2011年05月31日

吉祥寺のクリスチーネF


知人が西荻に来たので、少し飲みました。

この間の記事に書いていた「忘れた頃に東京のいろんなところで会う女性」のことを話しましたら、彼は「また女の子の話か」という顔をしながらも、しかし、その知人自体の頭の中にも女性のこと以外は存在していないと思われますので、ほとんど気にしないで話を進めていました。


知人「そんなにカワイイ子なの?」
私 「そりゃもう、ものすごいカワイイよ」
知人「有名人で誰と似てる?」
私 「死神博士」
知人「それじゃ可愛さがわかんねーよ。有名人の意味が違うし」
私 「じゃあ・・・クリスチーネF」
知人「・・・・・その子は本当にカワイイのか?」
私 「すごいキレイだよ」
知人「ちょっと具体的に描写してみて」
私 「死神博士っていうのは顔じゃなくて、全体のイメージ。ガリガリに痩せてるんだよ。それで、クリスチーネFと同じような真っ赤なロングヘアで、肌は真っ白。そして、あまり焦点が合わない視線での生気のない笑顔が印象的なんだよ」
知人「・・・・・・」
私 「天使みたいだよね」
知人「・・・・・オカは最近大丈夫なのか?」
私 「何が?」
知人「変なものに取り憑かれてないか?」
私 「何に?」
知人「気をつけたほうがいいぞ。こないだも知らない人に挨拶されてたし」



クリスチーネFは 1981年のドイツ映画で、私が若い頃に見た映画の中ではもっとも暗い内容の映画で、十代の終わり頃に男の先輩とふたりで名画座に見に行って、映画館を出たあと1時間くらいお互いに一言も喋ることができないほど精神的ダメージを受けた映画でした。

内容は、こちらの解説にある、

1人の少女がヨーロッパ全土を震えあがらせた。彼女の名はクリスチーネ。13才にして麻薬中毒,しかも娼婦だった。---

映画「クリスチーネ・F」は、実在のその少女クリスチーネ・Fの手記『われら動物園駅の子どもたち』の忠実な映画化、衝撃のセミ・ドキュメンタリー・ドラマである。手記は、ドイツで300万部を超す大ベストセラーとなり、ドイツだけで一千万人の人が読んだ。そのうちの多くは彼女と同じ、10代の少女達である。



で伝わるかと思いますが、この映画はとにかく、もう何だかストレートで、私などはしばらくクリスチーネFの姿と声の悪夢にうなされたほどでしたが、映画そのものはともかく、映画の中で、主人公の女の子がまだヘロインに溺れていない頃、デビッド・ボウイの大ファンだった彼女が、


「あたし、16歳になったら赤毛にするんだ」


と言っていたのが印象的で、実際に彼女は赤毛にするのですが、その頃にはもう本格的な中毒者となっていて、ボロボロの人生となっていきます。

そういうこともあって、私にとって、「赤毛は破滅への道」というイメージが強くあります。

それでその、「忘れた頃に東京のいろんなところで会う女性」なんですが、先日の記事に書いた時に会ったのはかなり久しぶりだったのですが、会った時の彼女の第一声は、自分の長い髪をさわりながら、


「あたし、赤毛にしたの」


でした。

それはいわゆる茶髪ではなく、クリスチーネFと同じ「レンガ色」の赤色でした。


「うーむ・・・・・」と私は唸りました。


chris-1.jpg

▲ 映画「クリスチーネF」より。赤毛にする前のクリスチーネF。


chris-f02.jpg

▲ 赤毛にした後のクリスチーネF(涙)。


18歳の時に「クリスチーネF」を見て以来、「赤毛」という言葉でトラウマが復活する傾向にある私は、吉祥寺の彼女の「あたし、赤毛にしたの」の言葉にも心を痛めました。

まあ、この世には「赤毛のアン」というような物語もあって、私は読んだことがないですが、多分、「赤毛のアン」にはヘロインも出てこないでしょうし、「赤毛のアンに見る暴走する十代の性」というような概念も出てこないでしょうから、一概に赤毛だけの問題ではないのでしょうけれど。

しかし、「赤毛」というのは実はあまりしている人はいないので、目立つことには目立つし、確かにキレイなものです。

先日の土曜に、子どもと奥さんと3人で「西荻スタンプラリー」というイベントに参加して街を歩いていた時、60代から70代くらいではないかと思われる比較的年配の女性がいて、その方が「赤毛」だったのですね。ロングヘアではないですが、ボブっぽいヘアスタイルをレンガ色に染め上げていました。

うちの奥さんに、「あれはクリスチーネFの髪の色だ!」と言うと、「ああやって、いつまでもお洒落にしてるのはいいことよ」と言ってました。


nishiogi.jpg

▲ 子どもたちと食糧難の大人たちが、賞品の「コメ」を競って争う西荻窪最大のイベント「西荻スタンプラリー」。うちの子どもは2年連続で、抽選クジでの事実上の一等賞のコメを当てています。



かつての映画

ちなみに、上に書いた「十代で見たクリスチーネF」の時に私は札幌にいたのですが、一緒に見に行ったナカジマさんという人とはいろいろな映画を見に行っていました。当時、札幌では 500円で見られる名画座が複数あり、また、当時の札幌駅の地下には 300円で映画を観られる映画館もあって、今よりも映画という娯楽は身近でした。

東京に出てきた頃も 1980年代の初めはたくさん名画座がありました。多くが 500円程度で、それ以下の料金の映画館もいくつかあったと記憶しています。

東京に来た最初の頃、夏は冷房が効いている映画館で1日中過ごすことも多かったです。

冷房は当時は普通の若者の住んでいるアパートなどにはほとんどなかったですし、それでも夏はやはり暑い。東京の電車にも半分くらいしか冷房がない時で、「完全に冷房の環境へ逃避する」には映画館は手軽な場所でした。

北海道から出てきたばかりの最初の1年2年は、梅雨と(北海道は梅雨がない)夏の暑さには本当にまいって、お金が数百円ある時にはほとんど映画館で過ごしていました。

上映しているのはどんな映画でもいいんですよ。
眠ることと冷房が主目的で、「場合によっては映画も見ることもできる」と。

そういう人は当時多く、売店の近くでジュースを飲んでる人が「ここも映画やってなきゃ静かでいいんだけどな」と言っている人などもいて、すでに、映画館とは何のためにあるのかということを忘れている人なんかもいました。


当時の東京の名画座はブッキングも適当なところも多く、大体3本立てなんですが、「少林寺」と「エイリアン」と「小さな恋のメロディ」などというような妙な組み合わせの時も多かったです。

「ラストコンサート」と「遊星からの物体X」が同時に公開されていた時は、眠る時には「末期癌に見舞われた少女とピアニストの恋の物語」だったのに、起きるとそれがグチャグチャな死に方をしていたりして、すでに映画が「遊星からの物体X」に替わっていることに気付かず、

「ラストコンサートの展開はすごい」

と感心したことがあります。


last-concert.jpg

▲ 中年男と少女との恋を描いたイタリアかどこかの映画「ラストコンサート」。これはそのサントラ。当時持ってました。恋愛映画のサントラまで買った十代の私(笑)。「中年と少女の恋」という意味では、今もう一回見るべきだと最近思っています。

buttai-x.jpg
▲ 世界中にカルト的な熱狂を巻き起こした異常SF映画の金字塔「遊星からの物体X」(1982年)。残念なことに「ET」の公開と時期が重なってしまったため、この世紀の意欲作は影に埋もれてしまいました。ちなみに、この映画に大きく貢献した特殊メイクアーティストのロブ・ボッティンという人が私は大好きで、高校生の時には真剣に、米国に渡って特殊メイクアーティストになりたいと考えたことがありました。

それにしても、当時の映画はいろいろあったなあ・・・。

今の映画を悪く言うつもりは全然ないですけど、時代と共にどんどん万人受けする方向に来てしまって、「良くも悪くも」というような部分は消えてきているような感じはしないでもないかも。

上のクリスチーネFだって、仮に今のアメリカ映画とかでリメイクされたら、妙に感動する青春映画になりそうな気がします。当時多くの人が感じた「ゲロを吐きそうな悲しみ」を感じさせてくれるかどうか。

ちなみに、ストーリーの元となった手記を書いた「現実のクリスチーネF本人」は、今もドイツで生きています。しかも、彼女が自分の体験を書いたその本は、ドイツ史上でも希に見る大ベストセラーとなったわけで(ドイツ国内だけで 300万部はすごい)。

むしろ、意外と「赤毛は悪運が強い」のかも。


Sponsored link




posted by noffy at 09:48 | ニシオギ日記