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米国のエポックタイムは、日本でいう大紀元の英語サイトで、メディアの母体そのものには法輪功という気功法の団体が絡んでいて、なかなか政治的なもののようですが、エポックタイムにしろ大紀元にしろ、ニュースそのものは科学面などで興味深いものが多いです。
今回、エポックタイムでコラム的な連載記事として「中国の天地創造神話」というものが始まっていました。
第一回は「盤古」という人について書かれており、これが天や地などいろいろなものを作ったということが中国の神話にあるのですが、これがどう見ても「男」なのです。盤古は日本語では「ばんこ」、英語では「パング」と読むようです。

▲ 中国の文献に出てくる盤古。こえー。
私は中国の神話を全然知らないですので、この際だし、勉強がてら翻訳して、この記事を資料として載せておこうと思いました。ニュースではないですので、 In Deep ではなく、こちらに載せさせていただきます。
ここのところ、女性性とか男性性の話が何ヶ月も続いている上に、最近では、恋に遊びに踊りに(踊ってもいるのかよ)と、「女性存在を中心とした精神的生活」となっているわけで、しかし、そうしていられるのも、今年の震災後に、人から「西洋神話では大地というのは女性の体が引き裂かれてできたものだ」と言われたことがあり、そのことを聞いて感覚的にとても納得したということがあります。
なので、「大地は女性からつくられた」、すなわち、天地創造の大元は女性という前提のもとに最近楽しく生きていたのに、今回の「盤古」の登場、すなわち、「最初に大地を作った男性」というような存在が出てくると、そりゃ個人的には大騒動ですので、訳しつつ、その後の展開、あるいは、顛末といったものを見ていきたいと存じております。
感覚的には「カオスであったといわれる宇宙の最初が男性というのはちょっとなあ」という感じはありますが、どんなものなのか。
また、ここには「地球の天候と創造主である盤古の関係」も書かれています。「盤古が嬉しいと雲が消え、怒ると空が暗くなり、涙が雨となり、息が強風となった」と書かれています。
ちなみに、この中国神話の連載、次回は中国神話の女性の創造神である女カ(日本語で「じょか」、中国語で「ヌーワ」)についてだそうです。
ここから翻訳です。
Pangu Creates The World
The Epoch Times 2011.05.29
盤古が世界を創造したとき

▲ 空を持ち上げる盤古。画:チェン・ジンチン氏。
古代の中国の神話にある、宇宙の創造、そして、人間の起源と発生についての記述。
それらの記述がある古代神話は間違いなく中国 5000年の文化遺産のひとつだ。
これらの中国古代神話では、地球がどのように創造されたかということが語られている。昔の中国では、親は子どもたちに「宇宙は盤古(ばんこ)によってつくられたのだ」と代々伝えていた。
宇宙がつくられる前は、それは巨大な混沌とした「卵」だった。
この卵の中に盤古は生まれた。
盤古はこの巨大な卵の中で 18,000年の間眠り続けた。
彼が目覚めた時、卵の中はまだ暗かった。盤古は、両腕と両脚を伸ばし、卵の殻を突き破り、卵を壊した。
その時、光と陽の「気」が立ち昇り、大きな空がつくられた。
同時に、非常に重くて厚い陰の「気」は下に沈んでいき、それは広大な「球」となった。
それ以来、この宇宙には天国と地球が成り立つようになった。
盤古はその天国と地球の間に立っていたので、毎日毎日、空はどんどんと高くなり、そして、下の大地である地球はさらに厚くなっていった。
このように、盤古はさらに高く高くなっていった。
空がそれ以上高くなることができなくなり、そして、地球がそれよりも下に行けなくなるまで、さらに 18,000年かかった。
そして、盤古は空と地球を占拠する巨人となった。そして、このため、宇宙はかつての混沌(カオス)に戻ることはなかった。
その時点では空と地球の間に立っているものは盤古ひとりだけだった。
そして、世界の自然や天気の状況は盤古の感情に続いて成立していった。盤古が嬉しい時には雲が消え、彼が怒ると空が暗くなり、涙は雨となり、彼の息は強風をもたらした。
盤古がまばたきをすると、空は稲妻で明るくなり、そして、彼がいびきをかくと、雷が轟いた。
そして、さらに長い長い年月が経ち、空はとても高くなり、地球はとても厚くなった。
ここにおいて、盤古は彼の任務を達成した。任務を終了した彼の体は、太陽になり、月になり、星になり、山になり、川になり、そして、植物となった。このように、盤古は自分の体のすべてを地球の人間のために献身的に捧げた。
中国の古代の伝説にはもうひとつの神話がある。
それは、地球の人々すべてを作った女カ(ヌーワ)の神話だ。その神話ではすべての人間は彼女の子孫だとされる。
次回はこの女カについて書きたい。
ここまでです。
「男性が創造神であるところのどこに違和感を感じるのか」ということに関しては、これは私が男性だから感じることなのかもしれないですが、
・悲劇性を感じない
ということがあります。
このあたりは好き好きの問題とはいえ、「宇宙は悲しみを持つ女性の体がバラバラになって作られた」とするほうが、最近の私の生活上での感情とは結びつくのです。
「私の悲しみをあなたたち人類の楽しみで消してちょうだい」と。
そんなことはないのかなあ。
次回の女性の創造神についても記事がアップされましたら、訳したいと思います。
少し前回に続きます
ところで・・・。
最近、昔の知り合いがどうの天使がどうの、誰かと似ていてどうの・・・というようなことを書いていました。
その中で、「好きな人の雰囲気というのは要するにとても似ている」ということに今日また気付いたことがありました。
前回の記事でふれました、飲み屋の知り合いの「忘れた頃に東京のいろんなところで会う女性」なんですが、今朝、映画のことなどを思い出していた時に「あっ」と気付いたことがありまして、それは私の大好きなタイのアクション女優のジージャ・ヤーニンさんという人がいて、「そっくりだ」と気付いたんです。
ジージャ・ヤーニンさんは、タイ映画の女優さんですが、デビュー作の「チョコレート・ファイター」こそ日本人の阿部寛さんなんかも主役級で出ていたせいで日本で公開されたのですが、2作目以降は日本ではなかなか見られませんでした。
最近やっと2作目の「レイジング・フェニックス」という映画を見ることができたのですが、その映画での彼女の雰囲気が本当に似ていたのでした。

▲ 「レイジング・フェニックス」のジージャさん。お茶目な不良少女が酔拳のマスターに従事しながら、成長していく姿を描いた作品。多分、日本未公開です。今やアジア最大級のアクションアイドルのジージャさんですし、作品はせめて DVD だけでも発売を願っています。
上の写真は格闘の途中のシーンですので、鼻血が出たりしていますが、顔だけという意味で「忘れた頃に東京のいろんなところで会う女性」とそっくりなのでした。本当に顔と表情だけですけどね。
その「忘れた頃に東京のいろんなところで会う女性」は上のような感じの上に、さらに「目の焦点があんまり合っていない」という特徴があります。そういう意味では、天使というより死神っぽい感じもあります。
そういえば、ジージャ・ヤーニンさんも紛れもない「天使」。私は彼女のデビュー作「チョコレート・ファイター」の格闘シーンを見て涙が止まらなかったです。存在自体が奇跡みたいな人なんですよ。