先日、昔の表現系の知り合いたちと飲むことがありまして、その後、なんとなくフラフラとひとりで夜の街に行ってしまいました。
行ったのは、いわゆる女の子がいる店で、知り合いの女の子がいます。
不思議な女の子で、その子と最初に会ったのはあまり関係のない場所で、しかも、2年以上前だったと思うんですが、その後、「忘れた頃に東京のいろんなところで会う」という感じです。
そろそろその妙な偶然の呪縛から解き放たれるかと思っていたのですが、何の因果か、彼女は今、吉祥寺の夜のお店で働いていることがわかりました。
「むしろ近くなってるじゃねーか」。
と思いつつも、「でも、あの顔が見たい」と行ってしまう私・・・(笑)。
まあ、ルックス云々メインで人を語ることには問題もあるとはいえ、やっばり確かに、「きれいなものを見たい」という気持ち自体は、特に最近は非常に強いような感じで、昼間はキレイな花と緑を見ていれば何とか収まるジイサン方も、夜になるとどうも落ち着かない。
「夜は植物じゃ収まらない」
私はかつて、女の子のいるお店がたくさんある繁華街のことをペルーの左翼組織の名前にちなんで、「センデロ・ルミノソ」と呼んでいました。
意味はスペイン語で「輝ける道」という意味だそうです。
「昨日、中野のセンデロ・ルミノソに行ったらさ・・・」
というように使っていました。
夜の街は私たちにとって、まさに輝ける道でした。
センデロ・ルミノソは「南米のポル・ポト派」と呼ばれていたような恐ろしい左翼集団でしたが、日本に数ある「輝ける夜の道」も、また、ある意味ではポル・ポト派などより恐ろしい場所という人もいました。
「ペルーは命が消えるが、東京は心が消える」と(よくわかんないですが)。
ちなみに、この「ポル・ポト」という名称なんですが、初めて聞く人にとっては、むしろ魅力的な響きに聞こえることもあるようで、昔、近所の飲み屋で話していたお客さんがポップスだかフォークの女性歌手だったんですが、酔っぱらっていろんなことを私が話している中で、上のような下らない話の流れなんでしょうが、ポル・ポトの名前を口にしたことがあります。
若い彼女はポル・ポトを知らなかったようで、
「ポル・ポトってカワイイ響きですね。歌の名前にしようかな」
と言っていたことがあります。
彼女はラブソングをたくさん歌うフォーク歌手でしたので、私が、「それは絶対にやめたほうがいいです」と言ったので、そのタイトルの歌は出ていないで済んでいるように思います。
一歩間違っていたら、「愛しきボル・ポトさん」というタイトルのラブソングがラジオで流れているところでした(それはそれで見てみたい光景だけど)。
昔の天使と今の天使

もう外れるだけ話が外れてきていますが、最初に書いた「忘れた頃に東京のいろんなところで会う女性」に先日、会いに行った話の続きです。
女の子のいる夜のお店に行って、特定の誰かと会う場合は「指名」と呼ばれる形となるのが普通です。
人気のある女の子の場合だと、この「指名」が複数重なっていることも多く、指名しているお客さんの間を時間区切りで平等に回るということになります。
非常にどうでもいい話ですが、この「指名」には料金が派生して、女の子の給与にかなりの大きな寄与となります。その指名料金が直接、女の子に入るという店もあれば、あるいは、その指名の数によって、女の子の基本時給が変化するというお店もかなり多いと思われます。
同じお店の中に、「時給 2000円の女の子と時給 3000円の女の子が同時に存在する」という一般的な理由は、普通は単にこれだけで、「指名が多いと給料が上がり、少ないと上がらない」というだけの話ではあります。
このあたりはきわめて「昼の社会と同じような営業理念」で支配されている夜の街のシステムでありまして、そのシステムには、想像以上に夢や情緒が存在しません。
しかし、システムには夢はなくとも、男性のお客さんたちが「勝手に自分の夢を持ってきてくれる」というのが夜の街です。しかも「実際には存在しない夢」を(笑)。
それはともかく、女の子の人気と指名はある程度が比例するものですので、「たくさんのお客さんがその子と会いたい状態」になっている場合は、たくさんの指名が入るということになり、「別のお客さんのところにいる時間も長い」ということになります。
そんなわけで、その「忘れた頃に東京のいろんなところで会う女性」も、私以外の他の指名もあり、そういう場合、時間ごとに店員さんが「○○さん、お願いします」と、時間区切りで他の指名のお客さんのところに行くことになります。
そして、その間には「ヘルプ」という役割担当で呼ばれる他の女の子がその時間にお相手してくれるということになります。
先日、その「忘れた頃に東京のいろんなところで会う女性」が他の指名でいなくなった時にヘルプで来てくれた女性と話していた時、
ヘルプ 「どの子、指名なの?」
わたし 「今、ちょうどあそこに立っているあの白い服の子」
ヘルプ 「なんか・・・天使みたい、あの子」
と彼女は言いました。
私は「ああ、なるほど、天使か」と曖昧ながらも納得したのでした。
最近、自分の中を貫いているキーワードのひとつに「天使」というものがあります。
実際の天使の定義は知らないですので、あるいは実際の定義とは別の、「私たちにとっての天使」。
上のヘルプの女の子も、特に意識したイメージで「天使」という言葉を使ったわけではないと思います。
一般的な天使のイメージというと、
・なんか浮遊感がある
・なんか白いような感じがある
・少なくとも男ではない
というような感じですかね。
これらの「なんか天使っぽい」というイメージは確かに存在して、そういえば、大学時代ですから、ほぼ 30年にも近いほど前に、私がバンドをやっていた女の子の話で、好きも嫌いも言わないまま終わった相手がいましたが、その子はまったく「天使」みたいな人でした。
この「天使」という概念は、難しいですが、優しいとか冷たいとか、あるいは、いい人、とか、悪い人、というような価値基準の話でもないです。「天使は天使」という形容しかできない部分があるのかもしれないです。
その、大学時代に私が一緒にバンドをやっていた彼女は、よく大学の構内の片隅でひとりで民謡を歌っていましたが(笑)。普通、こういう人は今も昔も「なんだか変なやつ」ということで終わってしまうのですが、彼女は、あまりにも天真爛漫で、大学の中の(男性も女性も)みんな、「あの子はかわいいなあ」と言っていたほどの存在でした。
実際、彼女と一緒にバンドをやっていた私は、よく大学構内で知らない男子たちに「あの、○○さんとバンドやっているそうですね」と声をかけられました。
わたし 「あ・・・はい」
それら 「今度、紹介してください」
わたし 「はあ?」
みたいなことがよくありました。
私は心の中では、「てめえらにサッちゃんを紹介するとしたら、お前らが死んで、死体のカスもこの地上から消え失せた頃だわ、このボケどもが!」と思いつつも、口では「ああ、じゃあ、今度、本人にきいておきますね」とニコヤカにその場を去ったりしていたものでした。
「彼女はいわゆる(曖昧な)天使だったのだ」
と、最近気づきました。
表面的な美しさがある程度は関係していたことは否めないですが、しかし、決してそれだけではなかったと思います。
上に書いた、その「忘れた頃に東京のいろんなところで会う女性」も、ヘルプの女の子に「あの子、天使みたいだね」と言われて、遠くから見てみると、なるほど、それは感じます。
あるいは単に、
・なんか浮遊感がある
・なんか白いような感じがある
という非常に漠然としたイメージだけなのかもしれません。
それでも、そういう女性はこの世に多いかというと、そんなに多いという気もまたしないです。
帰ってきた夜中、ふだん携帯メールをしない私ですが、その「忘れた頃に東京のいろんなところで会う女性」にメールをしました。
「よくわかんないけど、そのままいてね」と書きました。