
・Wikimedia
昨日、実に久しぶりに渋谷という大きな街に出かける用事がありまして、用事が終わって、渋谷を午後8時頃に出ました。
知り合いの男性と一緒に井の頭線というのに乗りました。
井の頭線という私鉄は、渋谷から下北沢経由で吉祥寺まで通っている若者にとても人気のある沿線です。
途中、明大前という駅で人々がいっせいに降りて、席が空いたので座りました。
電車の通路の奥から白い服を着た女性、お年的には、おばあさんといえるくらいの年齢の方が歩いてきて、私の前で立ち止まり、私にお辞儀しました。
私も、「ああどうも」と座ったまま挨拶し、おばあさんはまた歩いていきました。
知人「だれ?」
私 「何が?」
知人「今、挨拶してた人」
私 「知らない」
知人「知らないのかよ!」
私 「知らないよ」
知人「知らない人に挨拶されて即座に挨拶で返すのかよ!」
私 「向こうから挨拶してくれたんだし、しないと失礼だろ」
知人「どなたですか?とか訊かないのかよ!」
私 「知らない人だよ。見たことないもん」
知人「それでいいのかよ!」
私 「知らない人に挨拶されることってない?」
知人「ないよ」
私 「オレ結構あるよ。そういう時は考えるの面倒だから挨拶する」
知人「そんなもんかねえ」
しばらくして電車は吉祥寺に到着しました。
ふたりでホームを歩いていたのですが、その知人が「挨拶ねえ・・・」と少し考えています。
私 「じゃあ、してみりゃいいじゃん、挨拶」
知人「誰に?」
私 「誰でもいいよ。ほら、電車の中に座っているあのきれいな人とか」
その女性は二十代くらいの可愛い感じの女性でした。
もちろん知らない人です。
知人は少し考えてから、ペコッとその女性にお辞儀しました(笑)。
すると、その女性も特に躊躇することなく、ペコッとお辞儀しました。
知人「おおお! 挨拶してくれた!」
私 「ね。とりあえず挨拶すれば相手が誰でも挨拶するもんだよ」
知人「へええ、これは知らなかった。すごいね」
私 「ね。とりあえず挨拶すれば相手が誰でも挨拶するもんだよ」
知人「へええ、これは知らなかった。すごいね」
私の場合は、顔が「いろんなものに似ている」というような部分があるのか、わりと知らない人に挨拶されることは多く、考えても仕方ないので、挨拶で返すというようなことはあって、それで「知らない人に挨拶する」ということには慣れている部分はあるのですが、知人はそういうことがあまりないようで、妙に感動していました。
知人は「お辞儀は日本文化の根幹だねえ」などと言い合いながら、満足そうに歩きいていました。
ハミングの憂鬱
それから、上の知人と居酒屋に行ったのですが、その途中、道を歩いていると、妙に重苦しくて耳障りで、何かこうひどくイヤで不快な音が耳に入ってきます。
私 「なんだ? この拷問場で喉を掻き切られているかのような音は・・・?」
と、聴いていると、その音の正体がわかりました。
後ろのほうを歩いている酔っ払いの中年男性の「ハミング」でした。
何の歌か知らないですが、
♪ラララ〜 ラララ〜
と歌っています。
こちらも多少酔っているので、酔っ払いには容赦がありません。「うわあ、迷惑だねえ」と私は笑顔のまま言っていましたが、ハミングは後ろのほうからさらに強く聞こえてきます。
♪ラララララ〜 ララララララララララ〜 ラララ〜
♪ラララ〜 ラララララララ〜 ラララ〜
文章でハミングを書いても、その雰囲気がよくわからないわけですが、ハミングというか、この男性による「ラララ〜」には、どうも女性の鼻歌とは明らかに違う「狂気」を感じます。
私も悪酔いしそうになり、「反対方向に歩いていかないかなあ」と私は願い続けますが、その願いは届かず、彼の鼻歌も佳境に。
ハミングといえば、先日逮捕された内田裕也さんは 1991年の東京都知事選に立候補していて、その時のテレビでの政見演説放送(YouTubeにあります)の中では、内田さんの演説は、まず「パワートゥザピープル」を熱唱するところから始まりますが(苦笑)、その中で十秒ほどハミングに陥る場面があります。ここです。
「どうして男のハミングは狂気に陥るのか」ということを考えたのですが、それはわかりません。しかし、「男は何をやっても狂気に見える」という部分は確かにあるのかもしれません。
白昼の道路でハミングするだけで狂気を漂わせてしまう・・・。
エプロンをして笑っているだけなのに狂気を漂わせてしまう・・・。
花屋で花を見て笑っているだけなのに狂気を漂わせてしまう・・・。
上のどれも女性がやれば、問題がないばかりか、むしろ肯定的な見方をされることも多い数々なのに、男性がおこなった瞬間に、それも男らしい男性がすればするほど、「ああ・・・そっちで来たか」と、みんな引いていくという現実。
このあたりの「もともと男性が持つ狂気" 性 "」というものと、前回まで書いていた「特に男性をくるわせる太陽黒点活動」とういうものとの関連も感じます。
In Deep で書いていた「男性性」と「女性性」の問題は、染色体やミトコンドリア DNA の構造の違いなどによって、実は「性」という曖昧な概念の違いを超えて、構造的に実際に別々の生物であることが鮮明になってきています。
前回の記事などに少し書いたのですが、最近は以前以上につくづく「男性とは何なのか?」という存在論で悩む部分はあります。
男性はハミングするためだけに生まれてきたのか?
結局、男性は全員が内田裕也さんなのか。
そう考えてしまうと切ないものがありますが、しかしまあ、「そうではない」というような方向に持っていきたいとは思います。
そういえば、私には「若きシュタイナー研究家」というようなお知り合いの方がいるのですが、昨日の渋谷の用事の時に久しぶりにお会いしました。私は彼にも、最近考えている男性性の存在意味を話して、彼の意見を聞かせてもらったりしていました。
さらに私が、
「シュタイナーも男だから黒点最大期にはきっと太陽の影響を受けていたと思う。不倫とかしてたんじゃないの? 恋する神秘学とか言ってたんじゃないの?」
というと若きシュタイナー研究家の彼は苦笑していました。
突然わかった「太陽活動の意味」
シュタイナーが太陽黒点の影響を受けて不倫していたのかどうかはわからないですが、ただ、地球の人類約 60億人すべてが太陽活動の最大期の影響を受けるというわけではないこともまた感じていて、とりあえず、太陽活動最大期の影響は、
・男性が受けやすい
とは思います。
この理由は、太陽活動最大期に起きた大きなイベントのほとんどが、戦争、革命、暴動などの男性中心の「殺戮イベント」だったからです。
しかし、男性全部というわけでもないでしょうしねえ。
その違いは何なのか。
私のように、モロに太陽活動の影響を受けて「頭がバースト」していく人々と、そうでもなく冷静に日々を送っていける人々・・・。
何だろう?
もともとの性質?
星座?
出身地?
何か理由はあるはずだと思うのですが。
ちなみに、世の中を激変させるイベントは上の「戦争、革命、暴動などの男性中心の暴力イベント」だけではありません。
私たちの文明のうち、生活や文化の発展に関しては、現実には女性の存在のほうが大きく寄与していて、たとえば、私たちが教授している「快適な生活」の多くが女性たちの希望と、それを実現させるべく奮闘した「僕」としての男性の努力が大きいと思います。
私の生まれた北海道の田舎なんて、私が東京に出てくきた30年くらい前でも、まだ水洗トイレが普及していませんでしたからね。
そりゃあ当時でもイヤだったですよ、そんなの。
だから、今の、特に「水回り」の文化に関しては、本当に快適になったと自分では思っています。水洗トイレは「生活上の革命」とまで思います。これらは「暴力イベント」とは関係のない文化イベントで、そして、太陽活動と関係のない穏やかな革命だと思いますが、この「穏やかな生活上の革命」というものも、実は「暴力的な破壊のイベント」が存在しないと出現しないという性質があります。
すなわち、「破壊と再生」という言葉がありますが、これはどっちがいいとか悪いとかでもないわけで、再生という概念はそもそも破壊という概念がないと誕生しないですから、文化が先に進むには、どんどん壊して、どんどん再生するという手順が必要だと感じています。
・・・・・あ!
太陽活動の最大期の理由ってこれ?
再生のための「破壊の期間」を地球上に作るためと。
そして・・・・・
破壊 → 男性が担当
再生 → 女性が担当
と・・・。
そして、文明がまたひとつ先に進む。
案外そうなのかも。
これに関しては、「11年ごとの生活での文化や文明ツールの出現」を見ればわかるはずです。水洗トイレの普及のような穏やかな革命が11年周期で起きているかどうかです。戦争で破壊された後には新しい建物などが建ちますが、そういう意味での11年サイクルは探せばきっとあるはず。
今度、時間のある時に調べてみよう。
これは太陽活動の意味に近づいたかもしれません。