2011年01月28日

ペアである自分(資料編2)「死霊」 よりイエスと釈迦の弾劾


このシリーズでは埴輪雄高さんの長編小説「死霊」にふれていますので、その中で私がもっとも好きな場面を、参考資料といえるのかどうかはともかく、好きなので記しておきます。

場面は第七章「最後の審判」(1984年)から、「食われたものがそれを食べた者を弾劾する」ところです。ガリラヤ湖の魚を食ったイエス・キリストがその魚たちから弾劾された後に、チーナカ豆を食べた釈迦が、そのチーナカ豆から弾劾されます。

「死霊」は作者死去により執筆開始 50年目に第9章で未完のまま終わりましたが、構想では第12章まであり、その最後の章は「釈迦と大雄の対話」の予定だったそうです。大雄とは、インドのジャイナ教の始祖マハーヴィーラのことです。釈迦と大雄は、すでに、この第七章の「最後の審判」の中で、登場人物である失語症の男性の夢において論争しており、その際には、釈迦は大雄の「否定につぐ否定」の前になす術なく敗北していますが、しかし勝った大雄もその直後に存在自体が消滅します。


それでは、「食物連鎖の逆から弾劾されていく」シーンの山場です。
小説では、まずイエス・キリストが呼び出されます。そこには、イエスに食われたガリラヤ湖の魚がいます。

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読みやすくするため、適度に改行を入れています。




埴輪雄高「死霊」 第七章 最後の審判(1984年)より


 いいかな、イエス、これほどお前に食われた魚の悲哀についてばかりこだわりつづけた俺についていっておくと、さて、お前はテベリアの海ともキンネテレの海ともまたゲネサレ湖とも呼ばれたあのガリラヤ湖のきらめき光った眩しい水面を憶えているかな。お前が復活後、三度目にガラリヤ湖に現れたとき、なおまだ飢えているお前は「食べものはあるか」とまず訊き、「いいえ」と答えられて、こう指示したのだ。

 いいかな、お前は、シモン・ペテロ達に、船の右がわに網を打て、と指示して、おお、憶えているかな、百五十三匹もの大漁の魚をとらせたのだ。(略)

 俺たちがはいった大きな網が引き上げられて、跳ねあがっている俺達の重さと多さを眺めて満足な喜悦を現しているお前の残忍な顔を、水上の宙に跳ねあがった数瞬の俺は、永遠に忘れることはできないのだ。

 いいかな。俺が跳ねあがった水上は数知れぬものが写っていながら、それらが忽ちに消え去ってしまうところの虚無の鏡だったのだ。

 おお、ここまでいえば、お前もやっと憶いだせるかな。つまり、その大漁の魚を朝食として炭火の上にのせて焼き、パンとともにお前達が食べつくしたとき、お前が最後に食べたその最も大きな一匹こそがほかならぬこの俺だったのだ。(略)

 おお、イエス、その顔をあげてみよ、お前の「ガラリヤ湖の魚の魂」にまで思い及ばぬその魂が偉大なる憂愁につつまれて震撼すれば、俺達の生と死と存在の謎の歴史はなおまだまだ救われるのだ。

 おお、イエス、イエスよ。自覚してくれ。過誤の人類史を正してくれ。



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▲ 1995年の NHK の ETV特集「埴輪雄高 死霊の世界」より。





小説では次に、釈迦が呼び出されます。
そこには、釈迦が食べ物としていたチーナカ豆がいます。

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・チーナカ豆が釈迦を弾劾する場面



埴輪雄高「死霊」 第七章 最後の審判(1984年)より


 おお、サッカ、お前は、生きとし生けるものを殺してはならぬ、と繰り返し述べながら、その殺してならぬ生きとして生けるもののなかに、いいかな、他を食わずに、ひたすら食われるだけのこの俺達、お前達の大地の上に緑なす「生の造化主たる生」をこそひたすらもたらした俺達草木を含めていなかったのだ。

 にもかかわらず、イエスから自分の肉と血であるとすぐ真ん前でいわれていることをその全身全霊をこめて喜ぶ卓上のパンと葡萄酒の愚かな心に似て、いいかな、お前が食物から受ける前に必ずするところの合掌をただに施与者への感謝の表示としてばかりではなく、これからやがて食べられる俺達へのあらかじめの悲痛切実な哀悼をこめた心の奥底からの詫びと許しをまごころこめて乞うこの上なく真摯誠実な標しだと思い誤って、例えば、いま俺の両側にいる米も麻の実も、そうしたお前を心の底から許してしまったのだ。

 だが、サッカよ、すべての草木が、お前に食べられるのを喜んでいるなどと思ってはならない。お前は憶えていまいが、苦行によって鍛えられたお前の鋼鉄ほどにも堅い歯と歯のあいだで俺自身ついに数えきれぬほど幾度も繰り返して強く噛まれた生の俺、すなわち、チーナカ豆こそは、お前を決して許しはしないのだ。



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▲ 1995年の NHK の ETV特集「埴輪雄高 死霊の世界」より、釈迦像。





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▲ 作者の埴谷雄高さん。左手に大好物のハンガリーのワイン、トカイの入ったグラスを持つこの写真は雑誌「太陽」の表紙にも使われました。ちなみに、埴谷雄高(はにや・ゆたか)はペンネームで、本名は、「般若 豊」(はんにゃ・ゆたか)。本名のほうがすごい。
タグ:ガリラヤ湖


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posted by noffy at 22:26 | ペアである自分