2010年07月01日

ネイチャーに載る21億年前の多細胞生物の化石の論文の翻訳と、聞こえてくる科学者たちのため息


最近は、宇宙の成り立ち自体もどうでもいい感じで、結局大事なことは、「今、人間や他の動物や植物としての私たち生物は事実として存在している」ということを把握するのが精一杯な感じです。

特に進化論に関しては、仮に実際それがどんなものであったにしても、人類が地球に生存している間に真実などわかることもないだろうと、なかば諦めています。

まあ、進化に関しての自分の信念だけがかなり強く(今までずっと書いてきたことと同じです)、それだけが中心に残り、周囲のゴチャゴチャとした理論とか発見はあまり気にならなくなっています。誰でも思い込みってのはあるわけで、そんな感じの話ですね。

とはいえ、ニュースに出てくる進化関係の記事はつい読んでしまう。

今日(7月1日)発売されるという科学雑誌ネイチャーに「21億年前の化石についての大発見」みたいなものが掲載されるとかいう報道を読んで、ネイチャーには何度も痛い目に遭っているのにも関わらず、進化論に対してマゾ傾向が強いわたくしは、またもネイチャーの要約ページなどを見てしまっていました。

ネイチャーの要約ページは、こちらですが、何が何やらよくわからず、しかし、ここでわかったことは、研究チームが「世界各国からの20人以上の専門家チームであった」という大研究だったもののようです。

わかりやすく内容が書かれているものはないのかと調べてみみましたら、昨日の WIRED に記事が出ていました。こちらも簡単な内容とは言い難いですが、「高等生命はなぜ生まれたのか」とかいうようなフレーズに惹かれて、つい訳してしまいました。

そして、訳した後には「キーッ! ((((>_<)))) またネイチャーにやられた!」ということがわかり愕然としたのですが・・・しかし冷静に訳したものを読み返してみると、科学者たちの、それなりの心の葛藤というようなものが垣間見える内容のようにも思いました。

これはあくまでも原始スープから始まる「進化論」を語る論文のひとつでしかないですが、科学者たちが「自分たちは生命の進化という、予想以上に深い谷の淵に立っているのではないだろうか」ということを少しずつ表明してきているような感じが何となくしたのです。

論文の内容は結末がわかりにくいものですが、一言でいうと、かつてアメリカミシガン州の北部に分布する鉄鉱層で発見された21億年前とされる最古の真核生物の化石「グリパニア・スピラリス」という生物の存在があって、その同時期に生きていたと思われる化石、つまり21億年前の多細胞生物の化石の新たな研究とその発表というものです。

この新しい化石にはまだ種の名前はつけられておらず、見つかったのはアフリカのガボンです。

地球に酸素が生まれた一大イベント「地球の大酸化事変」という時期と、これらの生物の登場した時期などがシンクロしており、そのことから、酸素と多細胞生物の進化を語るというもので、核心が今ひとつわからないものですが、まあ、何というか、科学者たちの

「なんか生き物ってアレよねえ・・・複雑よねえ」

というようなため息が聞こえるような(なんでオネエだ?)詩的な論文のように思いましたので、面白い内容ではないですが、載せておきます。訳は最近同様、「ぶっちゃけ翻訳」で、ザッと読んでザッと書いているだけなので、詳しいところは原文をお読み下さい。専門用語は調べながらやったので、合っているものもあると思いますが、間違っているものもあると思います。


(ここから)



2-Billion-Year-Old Fossils May Be Earliest Known Multicellular Life
WIRED 2010.06.30

もっとも初期の段階での多細胞生物かもしれない20億年前の化石

Gabon3_3D_B.jpg

最近新たに化石として発見された21億年前の生物の分類群は、地球の多細胞生物群のうちでもっとも初期の生命グループとして知られることになりそうだ。この生命群は科学者たちの「高等生物がいつ進化して形成されたのか」という疑問に対してだけではなく、「なぜ生まれたのか」という疑問に対しての理解を助けることになるかもしれない。

見つかった化石群。それは、帆立貝のようなシェイプと放射線から成る直径およそ5インチ(約12センチメートル)の平たい盤上のもので、これは、単細胞生物と初期の動物たちの住み家だったと思われる。

これらは、進化の交差に関しての出発点としての初期の異種交流を表しており、また、この異種交流は地球の大気の根本的な変化に対応する必要性を作り出したことを示唆している。

「生命の多細胞性と、酸素の濃縮には明らかに関係がある」と、フランスのポアティエ大学の学者の アブデラザク・エル・アルバニは7月1日に発売されるネイチャー誌で化石について説明している。

単細胞生物は約34億年前に地球の原始スープから現れた。ほぼ直後に、その中のいくつかは集合を開始した。しかし、グリパニア・スピラリス( Grypania spiralis )と呼ばれる最初の多細胞生物が化石の記録として登場するまでには、それから14億年の歳月を要した。

グリパニアは細菌コロニーか真核生物のどちらかであったかもしれない。それは、細胞膜の中に分化した細胞を持つ生物であることを意味する。グリパニアがどういう生命であれ、化石の記録の多様性が爆発する約5億5000万年前(カンブリアの爆発)までに存在した複雑系生物のわずかに知られている例の中のひとつだった。

Gabon2_plaque1.jpg今回の新たな化石(まだ種の名前は与えられていない)は、グリパニアが単独の種ではなかったとこを意味する。彼らは同時代に生きていたかもしれない。 グリパニアは現在のアメリカ合衆国で見つかり、今回の種名のない新しい化石は中部アフリカのガボンで見つかった。生命の多細胞性が当時、特異なものというわけではなく、むしろそれが多数だったという可能性を掲げた場合、「いつ進化したのか」という問題だけではなく、彼らはまた「なぜ高等生物は進化したのか」という疑問に対してのヒントを与えてくれるのだ。

グリパニアと、今回新たに発見された化石が、化石の記録に現れるほんの数百万年前に、地球は「大酸化事変」(The Great Oxidation Event)と呼ばれる環境の大変化を経験している。光合成を行うバクテリアの突然の進化が地球の大気を根本的に変え、無酸素に近い大気の状態から現在の呼吸が出来る大気へと変わったのだ。

「細菌の世界は、地球の気候の歴史の中での最大級の気候変動の洗礼を受けた」と、ブリストル大学の古生物学者のフィル・ドノヒューとジョナサン・アントクリッフェは調査結果に伴う論評に書いた。海洋の化学的変化が複雑系生命の進化を促したという概念がある中で、「これらの化石の年代は地球の大酸化事変のタイミングと見事に接近している」。

細菌は、化学的なシグナル伝達系を持つ。そして、今では多くの研究者たちが、彼ら細菌が何百万も集まり数センチメートルもの規模にも達するコロニー(集合体)を形成する姿を見ることができる。そのコロニーは、個々の別々の細菌たちが集まり、集合的な生命体を形作っているものだ。

この新しい化石に見られる成長パターンは、複雑な情報伝達システムを持ち、また、環境に対しての適切な反応ができる多細胞生物であることを示している。

「細菌に圧力がかかったときに、彼らは協力し合う」と、テルアビブ大学の生物学者であるエシェル・ベン・ヤコブは言った。 「より複雑な環境に対処しなければならない生き物は、さらに高い複雑さを示す」

「あなたがたも、そして私も、地球で最初に大気の中に酸素が湧き出てきた頃に形成されたと思われる多細胞組織を有しているのだ」とエル・アルバニは言う。彼は、多細胞生物は多くの場所で進化してきたはずだと言ったが、化石はまだ見つけられていない。

「地球のすべての生物は変わる必要があった」と、ベン・ヤコブ氏は言った。


写真:1) 化石標本/内側の構造と、再構成をシミュレーションしたもの。
写真:2) 化石




(ここまで)


参考資料として、独立行政法人海洋研究開発機構が東京大学とリリースした 2008年12月24日の論文「従来の定説より3億年前に酸化的大気が存在したことの直接的証拠の発見 〜生命進化と地球大気の進化の関連性の解明に大きなインパクト〜 」に、地球の酸化のことが述べられているようです。


・・・まあ、いろいろと不満も書いてしまいましたが、本当は進化のジャンルには少し希望はあるのですけれどね。多分、お茶目なアナーキー日本人研究グループがまずは宇宙のことあたりからやってくれるとは思っていますけれども、その期待は過度なものではないのです。

別に新しい発見や理論が出てきても、世界の標準理論になんてならなくていいんですよ。

「無」進化論もパンスペルミアも。

単に自分が死ぬまでに納得できるものと出会えればそれでいいかなと。

最近ではパンスペルミア説とか、「生命は登場の最初から分岐していた」という概念は根本的に自分の中に浸透しているので、すでにエイリアンとかにも興味ないんですよ。UFOとか。

宇宙に最初から生命が散らばっているのならば、他の惑星に生命がいるのは当然のことで、しかし、サイズも形態も文明も、それぞれでしょうし、やはり人間サイズで他の文明圏の生命を語っても仕方のない面もあると思うのですよね。

そもそも宇宙の始まりがビッグバンが否定されている現状(過去の記事、地球の成り立ち(3) - ヒミコなどをご参照下さい)ではもうわからなくなっている感じで、宇宙の歴史の長さは計測不能状態に陥っていると思っています。

そんなわけで、他の惑星の生命に対してもっともいいと思うのは、「不干渉」と最近は思っています。「不干渉が一番」というのは寂しい響きに聞こえるかもしれないですが、頭の中では完全に「存在している」のですから、それ以上はもう個人的には不要な感じがしています。

みんないるのは知っているから、お互い会うのはよそう」と。

つーか、実際会えないし。


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posted by noffy at 12:28 | 地球の歴史