2010年06月15日

西荻窪の憂鬱


大学を中退した後(除籍かもしれません。忘れました)、self23 という劇団みたいなものを作ったのは1982年か83年頃でした。

友人3人くらいと始めました。大学の頃に演劇関係のサークルにいたとはいえ、演劇は観るのもやるのも本質的に嫌いだったので、そんなことを始めた理由は自分でもわからない部分はありました。

最初の公演は小さなトラックで粗大ゴミや廃品を大学内の劇場全面にぶちまけて、その中で殺し合いを演じる家族の様子を描く、というものでした。それから2、3年で「東京で一番過激な…」というような代名詞をつけられてメディア等で紹介されるようになり、90年代の初めころには東京国際演劇祭などの各種演劇フェスティバルに招聘されるようになっていました。

東京国際演劇祭の時の公演は、浅草の大勝館という当時は廃屋だった演芸小屋を(もちろん主宰者の同意と打ち合わせの上で)好きに破壊と改築をしてもいいというものでした。そ

の時の公演は写真誌のフォーカスの見開きで報道され、それを偶然見た田舎の母親かから

「あんたは東京で何をしているの!」

と電話がかかってきたほどでした。何となくテロ犯罪者風な記事でしたし(笑)。

game1.gif

▲ そのころの舞台。破壊して再構築したものが多く、結構規模も大きかったです。鉄材は鉄やスクラップを基本に、一時はトラック数台分に及んでいました。


何だか突然、身の上話を書き始めましたが、まあ流れですので続けます。

本当は今日は「嫌いな論文」の翻訳を載せようと思っておりしたが、そちらは後ろのほうに載せられれば載せておきます。

1980年代の終わり頃の雑誌などのメディアはバブルの絶頂で、ぴあや東京ウォーカーといった情報誌から、宝島などの娯楽雑誌まで当時は雑誌メディアはよく売れていて、売れているので何を載せてもOKでした。

そういう時代のせいで、マイナー文化やアンダーグラウンド文化はよく取り上げられていました。私たちの劇団も頻繁に掲載やインタビューがありました。取り上げられ方としては、「東京の異常な芸術集団」的なものでしたが、まあ、それは何でもよかったです。

そのメディア効果での認知の拡大もあり、劇団を始めた頃には数十人だった観客は何百、何千と増えていき、スタッフもどんどんと膨張していきした。

海外公演の誘いも多くなりました。

その頃になって、私は「突然イヤになって」、1994年くらいだったか、もうやめようかと、一緒に始めた友人3人くらいと話しました。彼らも同じで、「もういいよね」ということで、そのまま活動をやめました。

当時は特別な理由は言わなかったですが、やはり、理由は「お客さんが増えた」ことと、「有名になってしまった」ことだったように思います。

これがどういうことかを説明するのは難しそうですが、もともと私自身が、「目立つことは好きだけど、有名になるのはイヤだ」という人であるということはありました。しかし、それよりも、やはり発表していた内容そのものと関係していたと思います。

自分の言うのもナンですが、私の舞台は内容も舞台美術など見た目も異常に特殊ですが、何より表現全体を覆い尽くすその「倫理観」は、少なくとも万人向けではなかったことは十分に知っていました。なので、「どんな理由であろうと、お客が増えるのは自然ではない」と考えていたのです。

とはいえ、国からの助成金をもらうことを拒否していた私たちが公演を続けるには、自己資金が必要で(多くのアート系の団体が国からの助成金で公演が成り立っていました)、それには確かにお客さんはたくさん来たほうがいい。でも、お客さんがたくさん来ると、絶対に価値観の違う人が混じってくる。

つまり、見てほしくない人まで来てしまう。

それまでお金になるわけでも名声になるわけでもなく、何年もやっていて、それで私たちが充実していたのは、「私たちの公演を死ぬほど欲している人たちが少しいた」というのも事実があったからで、どれだけ少数でも、彼ら彼女らは私たちの公演告知をワクワクして待っていてくれていたという事実があります。

だからやっていました。

ちょっと前に書いた「光と闇の世界」の話でいえば、「光の世界にはどうしても馴染めない人々の一群」が世の中には少数ながらいます

その人たちが別に日々暗く暮らしているわけではないです。みんな普通に生きているだけですが、どうしても普段の世の中で「表」に出てくる媒体にスッと入っていけない。

そんな人たちは日本も世界にもいます。

私自身が小さな頃からそういう人だったので、「そういう人たちに喜んでもらいたい」と考えていました。はっきり言って、そうじゃない人には見てもらいたくなかった。

「ああ、これを見られてよかった」と思ってくれるお客さんたちに心から喜んでもらいたかった。そして、通常ではない精神世界での血まみれのその舞台を見て、感動して泣いている人や、手紙をくれる人はたくさんいました。

そういう時に、「ああ、舞台をやっててよかった」と。

なので、「私が本当に喜んでもらいたい人じゃない人たちがたくさん客席にいる」と感じた頃から何だか寂しい気分になって、そのままやめてしまいました。

その後、数年に一度くらい小規模のイベントをやることはありましたが、基本的にはもう大規模公演は十数年やっていませんし、このご時世では今後もすることもないでしょう。

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▲ やめた数年後に行った1999年頃の小規模なイベント。舞台美術のコンセプトは、1994年にルワンダで起きた虐殺の「教会での虐殺」でした(内容は関係ない)。舞台床全域に山と積まれているものはすべて衣服を着た死体とおぼしきオブジェ。オブジェとはいえ相当リアルでした。女性の美術スタッフと来る日も来る日も死体を作り続けました(苦笑)。


というわけで、唐突に思い出話でしたが、この「人によっての生きている世界の違い」は本当に大きいもので、多分、根本的にその個々の世界を理解し合うことはお互いにできないと思います。世の中がどれだけ変わっても、それは難しい。まあ、なので、要は「周囲を許容して生きていく」ということになるでしょうか。

さて、ここからが本来書こうと思っていた記事です。


ダーウィン派はくじけない

今回は珍しいですが、「好きじゃない論文」を翻訳してのご紹介です。原始スープ系とでもいうのか、「生命は地球で偶然にいろんなモノがデタラメに組み合わさってできた」系の新しい論文というものです。以前、地球の成り立ち(1) - 生命の確率という記事で書いた、10の26000乗分の1とか、まあ具体的な数字はともかく、そういう無理難題を乗り越えて、「それでも生命は地球で偶然にできたのだ」という人たちのものです。

私たちが子どもの頃に教えられて、多分、今でも教えられているであろう普通の「生命偶然発祥説」ではあるのですが、しかし、現在では実はわりと劣勢にもなりつつあって、確率だけの問題だけではなく、偶然にできて適応で進化したにしては、「あまりにも生命は高度に出来ている」わけです。そんなわけで、やや苦しくなってはいますが、それでもダーウィン理論派を始めとした科学者たちはひるんではいません。

最大の理由は、生物学会の基本的な勢力が19世紀あたりからあまり変わっていないということもありそうですが、「決定的な証拠の提示がどの意見にもない」という問題もありそうです。

この派には学会としての力がありますので、生命偶然発祥説の人たちが新理論を発表するたびに、ネイチャーやナショナルジオグラフィックなどに華々しく掲載されます。しかし、それらは大体において「決定的な証拠の提示」とは何の関係もないことばかりであることも事実です。

今回そういうもののひとつを紹介しようと思ったのですが、なんで、そんな嫌いな意見を? と思われるでしょうが、理由はふたつあります。

それはまずこのニュースを知ったキッカケ。Yahoo.com にアクセスしたら、トップページにこれですよ。大きさもほぼこれと同じで、つまり、ニュースとして大きな扱い。

newlife.jpg

ページの真ん中にドーンと「地球で生命が形成された新しい理論」と書かれてあれば、それは誰でも「おお!」と思うでしょう。私もでした。

そして、読み始めて3分後に苦笑してページを閉じましたが、しかし、このまま看過するのもなあ・・・と。たとえば、これが日本のヤフーで、ニュースコーナーに「地球で生命が形成された新しい理論か?」みたいなのがつくとやっばり、みんな「おお、そうなのか」と思うと思うのですよ。

たとえば、今年5月にネイチャーで「全生物は同じ単細胞生物から進化した」という論文が発表されていて、それはすぐに、ナショナルジオグラフィックの日本語の記事にもなっています。これは、「人間が独自に発生した確率(10の6000乗分の1)より、単一生物が進化したとする確率(10の2680乗分の1)のほうが確率が甘いじゃん。だから、ダーウィンが合ってるんじゃね?」という感じの論文でした。

10の6000乗分の1 vs 10の2680乗分の1

目くそ鼻くそ。


さて、今回の Yahoo のニュースは、簡単にいうと、地球にできた最初の生命のエネルギー源は「ピロリン酸じゃなくて、ピロ亜リン酸だったのだ!」という話のようです。違いはピロリンとピロリンの「亜」の部分です。この違いが私にわかるわけではないですが、どう考えても「新理論」というような画期的なものには見えないのです。

「さっき食べた寿司は、ハマチではなく、カンパチだったのだ!」
「うーん・・・ (´・ω・`) 」


文句も多くなりましたが、実はこの記事との出会いには結構感謝しているのです。

この記事の内容を調べたお陰で、記事にある ATP というものをはじめて知ることができました。ATPとは、アデノシン三リン酸というもので、こちらによると、

 > ATPが分解して無機リン酸を放出し、ADP(アデノシン二リン酸)に変わる時に発生するエネルギーを使って筋肉を動かす

というもので、この ATP という物質は、植物や微生物を含めたすべての生き物には必須のもののようです。

また、興味深かったのは、身の回りの化学 体の基礎代謝システムというページの ATP に関してのこの記述。


ATPを合成するには2種類の方法があります。一つは酸素を使わない方法です。もう一つは酸素を使う方法があります。ただし、酸素を使ってATPを合成した方がとても効率がいいのです。

ATPはブドウ糖(グルコース)から生成されます。ブドウ糖というよりも砂糖といった方が分かりやすいかもしれません。

酸素を使わない場合、一つのグルコースから2個のATPを得ることが出来ます。それに対し、酸素を使う場合は一つのグルコースから38個のATPを得ることが出来るのです。



効率が悪いとはいえ、酸素がなくても、生き物はエネルギーを生み出せる仕組みをもともと持っているようです。

クマムシなんて無酸素の宇宙空間で10日間生きのびたし、バクテリアにいたっては、月の上で2年間生きていたし(アポロの調査機に付着していた)、生物と酸素の関係は絶対的ということではないようですね。

この ATP という物質を知ったことに対しての感謝が、この論文を掲載した2つめの理由です。

というわけで、長くなってしまいましたので、今回はこのへんで。

・・・ああ、翻訳そのものを載せるの忘れてました。

(ここからです)



New Theory for Life's First Energy Source
Live Sience 2010.06.07

生命の最初のエネルギー源のための新しい理論

ピロ亜リン酸塩 (pyrophosphite) として知られる目立たない化合物が、地球の最初の生命を形成させたエネルギー源であったかもしれないと科学者たちは言う。

最も小さいバクテリアから複雑な人体まで、すべての生物が生きるためには ATP と呼ばれるエネルギー輸送分子を必要とする。これは 「再充電可能電池」と例えられることもあり、 ATP は化学エネルギーを、有機物質で使用できる形で蓄える。

「ATPを作るためには酵素が必要だが、酵素を作るためにもATPが必要なのだ。」と、英国リーズ大学の研究者のテレンス・キーは述べた。

「疑問点としては、これらの2つのもの(ATP と酵素)が存在する前には、エネルギーは、どこから発生したのかということだ。 我々はこの答えは、化学的にATPと非常によく似たピロリン酸塩などのような単純分子の中にあるかもしれないと考えている。ピロリン酸塩には、酵素なしでエネルギー移動させる可能性がある。」

目立たない存在だが、重要だ

生命が単なる化学物質からどうやってできたのかという理論に関して、ピロリン酸と同様のもので、別の化合物が、それよりもより複雑で、より効率的に ATP への役割を担っていると考えられてきた。

リン酸塩は、4つの酸素原子を中央のリン原子に束ねさせた形で、すべての生命の細胞の中に存在している。 2つのリン酸塩が水の分子を合成し、昇華するときに、それらは、ピロリン酸塩を形成する。

(以下略ですが、その「効率的に ATP への役割を担っている物質」がピロ亜リン酸塩というものじゃないの? という話のようです)




(ここまで)



最近、数日かけて、部屋を「植物に住みいい環境」に改造してました。

ベッドの空間を削ったせいで、子どもと奥さんの寝空間はもとのままですが、私の寝床はなくなってしまいました(苦笑)。床の開いたスペースに布団を広げて眠っています。
タグ:進化論


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posted by noffy at 14:33 | 雑記