2010年05月06日

人類の進化の可能性:大腸菌が獲得する「不死」に見る生き物の本性

風邪のおかげで今まで書こうと思って書いていなかったことを書く気になりました。

微生物の強靱な生命ということについて、もし書ければ続けて書いてみたいと思います。勘違いしていただきたくないので最初に書いておきますが、これは別に「そんな生き物がいてすごーい」という生き物バンザイの世界ではなく、人間自身の今後のサバイバルに関しての話だと考えていただいて結構です。

これは、「遺伝子やDNAといった生命の根幹は生き物同士であまり変わらない」ということが前提としてあります。

私たちは誤った進化論で、「ウイルスのような微生物から私たちのような大きなものに進化した」と教えられてきましたが、それは違うだろうなあと私は考えていますが、しかし、進化論に関しては私感も入る世界なのでここではふれないとして、確実に言えるのは「原核生物といわれる微生物は大変に進化した生き物だ」ということです。多分、進化の最終形(しかも最初の原型でもある)だと思います。そこには他のすべての生き物にはない強い生命力と驚くべきシステムが備わっています。

つまり、今後の本当の進化というのは、たとえば私たち人間でいえば、「少しずつ微生物たちの特性を獲得していくこと」なのだと思います。まだ、私たち人類は微生物の強さをほとんど獲得していません。

そして、もうひとつの前提として、パンスペルミア説があります。
確立された学説ではないでしょうが、私はパンスペルミア説、つまり、宇宙のすべてに生命は広がっていて、地球の生命はすべて微生物として宇宙から降ってきた(あるい現在も降り続けている)という説をグリグリに信奉していて、最初は信奉しているだけだったのですが、どんなデータを調べてみても、これを「裏付けないものはない」です。

しかし、このパンスペルミア説のことも今はいいです。
これはライフワークになるはずですので、どうせ今後も執拗に出てきます。
私の残り少ない人生はこのパンスペルミア説をグリグリの世界の定論にすることを夢見るだけの人生とも言えます。

ともかく、どういう進化論を選択しようとも、「我々人類の祖先は確かに小さな微生物であったであろう」ということはいえそうです。ダーウィン的な進化論から考えても、私の思う「人間の遺伝子は38億年頃前から地球にあった」という考えでもどちらでもいいのです。

ともかく、「微生物が祖先である」と。

ということは、「祖先の特性を獲得することならできるのでないか」と思うわけです。

私たちは全然関係のない生き物の特性を獲得することはできないように思います。たとえば、魚のように水の中で生活したり、鳥のように空を飛んだりは、多分いつまで経ってもできないでしょう。しかし、祖先である微生物の特性を辿り「その特性を人間に合わせるように生かすこと」ならできるかもしれない。

そんなわけで、微生物の持つ強靱さというものは、私たち人間の「将来の進化」と関係することだと思われるということを書きたいと思うのです。

生物同士で大した違わないDNAと事実がこの意見の強みとなります。この場合、遺伝子の数の差や身体の仕組み事態はどうでもいいことで、「基本が同じ」ことがどれだけ生き物において重要なことかという概念があります。

このことは実は科学方面だけを見ているうちはわからなかったのです。

それに気づかされたのは、ごく最近知った、いわゆるオカルトに関わる世界と概念です。
詳しいことは私はいまだに全然わからないですが、適当に抜粋して読む彼らの「未来の人間像」やその「理想型」というものは、シュタイナーとかグルジェフとかから、たとえば、ヒトラーなども言っていたものも含めて、それは「微生物の特性を持つ生き物のこと」を語っているのです。

彼らの時代ではまだ「DNA」という存在は発見されていなかたっはずです。また、細菌学というものも発展していなかったと思います。そんな中で彼らオカルトの大家たちが語っていたことは、少なくとも現在に当てはめると「人間」ではなく、「微生物の特性」だということに私は気づいたのです。

すなわち、

・食
・呼吸

といった基本的な生物の「生存の常識」と思われるものも必要としない微生物さえ実際にこの地球にもいるわけで、すごいところでは、

・死ななくなる

という特性さえ微生物の遺伝子にはプログラムされているのです。

まあ、遺伝子そのものは基本的に死なないものらしく(地球の遺伝子は地球に約38億年存在し続けているらしい)、「死ぬ」という概念は、生き物が肥大し、生物が細胞核レベルなどから身体が組成されるところから始まると思われるます。

バイオマスという言葉があります。
これは Wikipedia によると、

「特定の時点においてある空間に存在する生物の量を、物質の量として表現したもの」

だそうで、つまり、「生き物の量」とでも言えばいいのでしょうか。私たち人類は「細胞核を持った細胞」を持つ真核生物というものの範疇にあって、いわゆる見た目には複雑な生き物です。

一方、細胞核を持たない原核生物という、つまり細菌みたいな生き物の一群が地球にたくさんいます。

上の「バイオマス」という観点から見て、この「細菌 vs 人間」はどうかというと、Wikipedia の「原核生物」という項目にこうあります。

多様な生物種が存在を脅かす現環境下で生き延び、非常に早い増殖を可能にするために無駄を省いたシステムをもつ現生原核生物は、高度に特殊化しており原始的な生物とは大きく異なっていると想像されている。そのバイオマス(生物量)は真核生物の数倍から数十倍に達するとも言われている。


細菌のような生き物たちの生物量は、たとえば私たち人類のような生き物の数十倍あると考えられているわけです。この異常に高度な生き物の特性を「私たち人類はまだ獲得していない」ということになると思います。

なぜ獲得できないか?

ここで私の信じていない「進化論」を説いたダーウィンの「種の起源」の概念がとても参考になるのです。実は、ダーウィンの理論は、

・進化論を語るには片手落ちだけれども、

・種の絶滅を考える上では大変に参考になる


もののようです。
適材適所では生き物は進化しなかったことはある程度は明らかですが、この「適材適所」は実は大事な概念だと思うのです。

これは今後の人類も直面する問題だと思いますので、覚えておきたい気もいたしますが、こういうことです。

「適材適所で進化はしないが、適材適所として適合できない生き物は絶滅する」

ということです。

たとえば、人間でいえば、まあ、今でいえば、たとえば暑くて40度、寒くて氷点下20度だとか、酸素があるとか、水があるとか、そういうような環境で生きていて、このままであれば、そのままずっと大丈夫です。

では、この環境が「暑くて500度、寒くて氷点下200度だとか、酸素がないとか、水もないとか」ということになったとします。

想像だけでもいいのですが、この場合、「適材適所で進化」するかというと、難しい気がします。人間の生きる環境の想像上の能力を越えています。では、「適合できない生き物は絶滅するか」と考えると、「多分絶滅する」という感じがいたします。

つまり、生き物は一般的には「適合できない時には絶滅する」わけです。


さて、ここまでだと何となく、暗い話に見えてきたかもしれませんが、今回書きたかったことは極めて希望的なことなんです。書こうと思っていたことは「ある実験の結果」についてのこととなります。

実験内容はフレッド・ホイル博士の文献にあるもので、博士はそこに特別な感想を添えていたわけではなく、パンスペルミア説の証拠のひとつとして挙げていたのですが、私はここから「並々ならぬ生命の強靱さと機械性」を見いだしたのでした。

実験は、「大腸菌への致死量となる紫外線の放射」です。


実験内容:大腸菌群に「個体数の半数が死滅する量」の紫外線を放射する。

途中経過:半数ずつ次々と死んでいき、原子核の崩壊のように次々と固体は減っていく。たとえば、1万から5000に、5000から2500に、と、あっという間に個体数は激減していく。

ある変化:ところが、個体数が「約1000分の1」になった頃、変化が現れる。個体数が「約1000分の1」になった頃、残った固体全体が何と「死ななくなる」。




・・・ということなのです。

「死ななくなる」というのは言い方が間違っていますが、要するにその時点で「新しいDNAの修復機能を獲得するようだ」ということのようです。これは何度繰り返しても同じらしく、大腸菌は「個体数が約1000分の1になると、突如、それまでの死の原因に対しての耐性がつく」らしいです。

つまり、

・ある時点で死ぬことをやめる機能

という感じなんです。

生き物の仕組みのこの壮絶さ。

まるで機械のプログラムのような仕組みが少なくとも大腸菌にはある。
「何度やっても」ということは全部の固体にある。全部にあるということは遺伝子、あるいはDNA(あるいはそれに類したもの)レベルの問題であるように思われるわけです。

・・・・となると・・・。

DNAの仕組みなんて基本的にほとんど同じはずなんですよ。
私たちも含めた多くの生き物たち同士は。

つまり、

すべての生き物にはこの「1000分の1の個体数の減少で死ななくなるプログラム」が均等に植え付けられているのではないか

と考えます。
そのプログラムが人間においても作動するかどうかの問題というような気はします。

それが「今後、人類が生き残るポイント」だと気づいた次第であります。


image-38.gif

原核生物と真核生物より。ここから言えることは、進化がどういうものであったにせよ、「進歩」という意味での進化は38億年前に地球に出現した真正細菌が頂点で、「そこから大型化=退化」していったと考えられます。退化の意味はつまり「死にやすくなった」と。


なお、「38億年前からひたすら退化した」のなら、なぜ今の私たちのような生物がいるのかという疑問を感じていましたが、前回の記事でいだたいたコメント(ねるさん)のこの部分で何となく理解できました。


人間によって認識される物理的な宇宙が誕生したのは、つい最近のことです。それを観察する科学が人間中心であるのは当然といえば、当然かも知れません。ロジックによって把握する対象として宇宙が存在を開始したのは、ロジックを駆使するようになった人間の大脳の誕生と密接に関わりがあります。人間はそれ以前に存在していた "見えない" ロジックの宇宙を "見える" ロジックとして観察することが出来るようになりました。これは物理的な脳が誕生したおかげです。



そう、脳です。

宇宙の進化の過程で非常に大事だったのが、この「大脳の誕生」だったことがわかります。これは、前回記事で書いた、「世界の存在そのものは、生物に認識されて初めて存在すると思われる」ということとも関係するように思います。

すなわち、「人類の地球への誕生」ということをイベントとするよりは、宇宙史から考えると、「大脳の誕生」ということが大きなイベントだったということかもしれません。

つまり、「死にやすくなり弱体化してしまった大型動物の体質は生物の退化」ではあったけれども、私たちは大脳を獲得したということで、やはり「私たちの世代の生き物の登場は進化だった」と、初めて安心して生きることができるのでありました。

ふう・・・。

なんか一気に書いて、前後途中の文脈がバラバラですみません。


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posted by noffy at 11:20 | 地球と宇宙の生命