前回の記事の最後に書きましたが、「神はサイコロをふらない」というアインシュタインが量子力学を否定した発言から発展させれば、「宇宙に偶然はない」ということになると思われます。
最初に偶然がないなら、結果に「無駄はない」はず。
つまり、この世に存在しているどんなものにも意味があるということになりそうな気がするわけです。となると、この風邪の何らかのウイルスにも存在の意味があるということになりそう。
「風邪よ、お前の意味は何だ」
と、埴谷先生ふうに問いながらも、「ノドいてー」という苦しさが勝つあたり、「ウイルスよ、お前も悪よのう」(そりゃ悪いわ)と言いつつ、また寝たりしていたわけですが、しかし、朧気ながらも掴めないこれらの意味とは何なんですかね。
たとえば、この風邪という病気が感染して必ず死んでしまうというのなら、人口的な意味合いや、進化的な意味合いで何かありそうだけれど、わりと軽症ですぐ治ってしまう。風邪を引いた後に、何かその人が進化しているというふうでもない。「風邪よ、お前には本当に意味があるのか?」と、やはり考えながら眠っていたところ、夢に知らないジイサンが出て来たのですね。
「植物を調べてみなさい」
と言うわけです。(なんかどうしようもない話になってきたぞ)
「植物? 植物の何を調べるんです?」
「ほっほっほっ。ほーっほっほっ」
「おい! 笑って去るなよ! 教えろよ、ジジイ!」
と目覚めたわけです。
「植物ねえ・・・」
実際、夢で何か教えてもらえることってのは、近年わりとあったりするんですが、私の場合、夢でも「それは秘密です」的なところで目が覚める。なので、目覚めてからググるというような二度手間に。
ちなみに、この「植物」というテーマはずっと引っかかっていて、たとえば、以前、少しアップして、いろいろと教えていただいた薔薇十字とか、エメラルド板とか、アルケミー系全般とか、ああいう面から見ると、植物と人間は同位置ではないように見えるのです。しかし、 DNA だけ見ると、植物も人間もそんなに変わらない。
植物も人間もっていうか、DNAを見る限りは生き物はみんなあんまり変わらない。
それどころか、遺伝子の数だけでいったら、イネは3万8000個で、ヒトは2万2000個。イネの方が遺伝子の数は多いときたもんだ。まあ、何にしても多いほうがいいってもんじゃないにしても、ヒトの私としましては、「何が何を決めているのか本当によくわからない」という挫折感はあるわけで、
「イネよ、お前のほうが遺伝子が多いのはなぜだ」
と訊きたくはなるわけです。
なのに、イネは答えない(答えたら怖いわ)。

▲ 生物史から、自然の摂理を読み解くより。大体、生き物の根幹というのは、みんなこんな感じなんですよ。驚くほどみんな同じようなもん。
なのに、植物だけはどうもオカルトでも地球の創世の歴史でも、地球史の中での現れ方にしても、どうも存在位置が別格な感じがするわけです。
というわけで、風邪を引いていた今回は「植物の世界」という大きなテーマがひとつ問題として存在しているということを言いたい雑談なのでありました。
強靱な生命に喜びを
ところで、先日のコメントにも書いたんですが、ここ1、2カ月くらいの間だけでも、微生物の発見に関してのニュースにはものすごいものがあって、
・放射線の中で生きる微生物
・酸素が要らない微生物
・窒素から酸素を作る微生物
というニュースがありました。
特に中国で発見された放射線の中で生きられる生命は、原爆の何千倍の放射線の中でも生きていけるというスゴイやつ。
これらがどういう意味かということをさらに書きますと、「このこと自体が地球外の発祥の生命が地球上にいる」という証拠でもあるように思います。どうしてかというと、いわゆる進化論の「適材適所」を当てはまると、こんな生物が地球に存在する必要はないし、あるいは存在しても「淘汰されているはず」だからです。
地球の表面を原爆の何千倍の放射線が覆っていた時代は一度もないので、そんな体に進化する必要もないし、適材適所の必然性もない。なので、これだと、まるで地球上に不要な生命がいたということになりますが、しかし、すべての生命に「意味がない」なんてことはないはず。
他の2つの微生物、すなわち「酸素が要らない微生物」や「窒素から酸素を作る微生物」に関しても、こういうバラエティに富んだ生命が次々と発見されているという事実は興味深いです。
後者などは「もしかしたら、地球は植物の光合成以前に生き物自体が酸素を地球上に作り出していたかもしれない」という話に繋がりますからね。
アッパレ微生物であります。
あんまり関係ないですが、偶然目にしたブリザリアンって何?というページに、こんなことが書かれてありました。
かつてシュタイナーは薔薇十字の修行について、「人間の内部の中で酸素を炭素にする器官を形成する規則正しい呼吸を指導する。現在植物が行っていることを、将来、人間は自らの器官を通して行うようになるが、この器官を今から修行によって形成する。将来、人体葉より植物に似たものとなり、神聖な愛の鎗と出会う」と語った。
この極度にオカルトくさい発想も、上の微生物を見る限りでは、そんなにウソくさくもない部分もあるのかもしれないということも言えなくもないと断言するにやぶさかではないという人がいても不思議ではないということもいえるのかもしれません。(長え)
ただまあ、ちょっと暗いことを書いてしまいますと、最近になって、突如というような感じでこういう過酷な環境で生きる生き物がバタバタと見つかっているということは、今後、激しい地球環境の変化の前兆というようなこともあるのかもしれないですが。
たとえば、地上が放射能の嵐にしばらく晒されるとか、酸素がなくなるとか。しかし、そうなっても、なんと彼ら、すなわち上の微生物たちは生き残る!
すごい。