2010年04月28日

宇宙はサイコロをふらない - 宇宙の起源と生命の起源


「地球の成り立ち」をエンディング・テーマとするといって進めているのに、話が飛躍しがちだし、途中で昨日みたいなネバダのが入ったりして、連綿性という意味で問題が出ていますが、まあ、最近、頭の中が、インターネットのハイパーリンクみたいなもので、考え方の進み方にまとまった整合性がないので、仕方ないような気もいたします。

まあ、そうは言っても、社会情勢のほうは、核有事の懸念やら、ギリシャはジャンキー化し、タイのフランス革命化と、混沌としてきていて、こんな厳しい社会情勢の中で、いつまでこんなものが続けられるか微妙ですが、とりあえず、ここまで書いた中で、教えていただいたり見つけたりした中での、いくつかのポイントを進行順に簡単に書いておきます。



これまでのまとめ

1. 発祥は不明ながら宇宙はもともとあった(ビッグバンはなかった)。

2. 地球の生命は地球上で偶然にでたらめに発生したものではない。

3. 生命の素はウイルス、バクテリア、真菌(カビ系)などの微生物として宇宙から来た。

4. ダーウィンの提唱した進化論は存在せず、生命種のもともとの遺伝子が地上に存在した(遺伝子の寿命は理論上では50億年)。

5. 世界の存在そのものは「生物に認識されて初めて存在する」と思われる。

6. 知覚の媒体は光や音や味などの、つまり粒子や電磁波で、それが生物の知覚機能でキャッチされるが、その後の媒体の行方は現在のところ不明。

7. 生き物が世界の認識をやめると、多分、世界は消滅する

8. その認識本能を牛耳っているのは生物すべてにある「元型」。

9. 元型は情緒の問題ではなく、多分、存在しているナンカの物質が介在している。有機物かそれよりちっちゃい粒子のようなものかはわかりません。

10. 元型は宇宙全体に満ちているので、たとえば、地球が滅びたり地球の人類が絶滅しても、宇宙の存在を支える元型は消えないので宇宙は消えない。




こんな感じでしょうか。

「3」に関しては、「太陽系周辺に地球の生命のほぼすべてを構成している左型のアミノ酸が最近発見された」(こちら)ということもあり、ウイルス、バクテリア、真菌、アミノ酸、など、様々な生命体が宇宙に存在する状況証拠は上がっていて、思ったよりも宇宙を漂っている生命や有機物の種類は多彩な可能性もあります。

「簡単に」と書いたのに、何だか長いですが、まとめた文章として書けば、

本来はこの世の存在というのは無いもので、宇宙全体の元型を保有している有機物起源の生命(のたぐい)が、それぞれの知覚機能(人間なら視覚や聴覚や味覚や触覚など)で認識することによって世界は現れて存在している。その意味で、世界と宇宙を支えているのは生命そのもの。

というような感じでしょうか。

たとえば、神様とかの正体はまだわかんないですが、それらが仮にエラくても、世界を存在させるには、「元型を機能させるマシン」が必要で、それが、生き物の肉体だということのように思ったりします。

なので、神様(正体不明ながら)だけでもダメだし、生き物だけでもダメだしと。
どっちがエライも何もなく、ひたすらに一蓮托生の世界。

「本来はこの世はない」という部分には、確かに妙にオカルトな響きがありますが、これは生物の感覚の認知機能上の問題で、「認識されないものはない」という表現となっているわけで(実際に存在しない可能性はあるにしても)、普段の生活では気にしないでもいいことだと思います。

それもこれもあれも、まあ一応は今は存在しているから大丈夫と。

あるいは生きていないものも関係しているかもしれないですが、多分・・・ですが、死んだものは、私たちに見えている宇宙の出現と存続とは関係していないように思います。それは、死んでしまって肉体を持たなくなったものは、「元型の仲介物質」を持つことができないからです。

今日の報道で、

物材機構・米ミシガン工科大など、人間の脳に似たプロセス持つ進化回路を作製 (日刊工業新聞 4月26日)

というものがありました。

「大規模な並列計算をする脳型コンピューターを作り、自然災害やがん細胞の進化など複雑な現象のシミュレーションなどに応用する。」というもので、この分子プロセッサーは(生物の細胞のように)自己繁殖もできて、(生物のDNAのように)自己修理もできるようです。

しかし、これがどれだけ進んでも、ロボットには元型がないので、「生き物」と価値観を共有することはできないし、人間にもならないと思われます。小説のように、ロボットによる世界征服は単なるプログラム的な出来事で、さほど恐いものではなさそうです。

この「元型 vs 無機物」は、たとえば、映画ロボコップで、ロボコップとオムニ社の治安維持ロボット ED209 がオムニ社の本社ビル内で戦うシーンがあります。いくら、 ED209 が武力に優れていても、元型がないので、「人間の感情の変化によるカオス的な行動パターンが読めない」ということになり、ノーフィールド、ノールール戦なら何度やっても、 ED209 はロボコップに勝てないと思われます。

ed209-robocop.jpg

YouTubeより。左がED209(純粋なロボットで元型を持たない)。右がロボコップ(思考主体は人間の脳なので元型を持つ)。


何だかよくわからない展開になりましたが、「地球の生き物同士の、良い悪いを含めた強靱な感情の連帯感はこの元型にある」ということかもしれません。憎い、可愛い、恐い、恥ずかしい、愛しい、などは、相手が元型を持たないものならあまり持たない感情ではないでしょうか。つまり、生物である犬や猫に対して向けられる愛情と、宝石や自動車などに対しての感情とは違うと。

嫌われる虫がいるのも、それが「元型をもって生きている」からだと思います。どんなに精巧に作っても、ロボットの虫の嫌われ度は大したことがないと思います。

なので、いわゆる、死者や死者の世界、あるいは霊とか、そういうものは別のメカニズムで存在しているのかもしれないですね。

私なんか子どもの時だけじゃなくて、今でも幽霊の話とかコワイし、心霊写真なんか見ると、寝られなくなっちゃいますが、不思議なのは、霊とかって、確かに「見える人と見えない人」がいるのですよね。学生時代からつい最近まで、ずいぶんとそういう人と会いました。

私は今も昔も霊のたぐいはまったく見えないわけですが、この、

・見える



・見えない

の差は、「共通の元型」の話から考えると、大変に大きな問題で、本来なら「同じ世界にいる者同士であっちゃいけないこと」だとしか思えないのですが、霊が見えるという人たちのただ一人として、ウソや幻覚を言っているような人はいませんでした。つまり、その人には「見えている」。

なので、多分、「光」の問題と「認知機能の進化」の問題なのでしょうね。

前述したように、世界が存在する上で「見える部分」に関しては、光の反射がすべてで、物の色も形も「光が目に入ってくる」から認識できます。これは「真っ暗闇では何も見えない」とうことで何の疑問もなく理解できますが、つまり、生き物、少なくとも人間には「光を反射するもの以外は見えない」ということになります。

つまり、霊のたぐいは光を反射しないのでしょう。
それが見える人がいるというのは、それは「目」で見ているのではないということかもしれないです。目で見えていると思っているのは、見えている本人が勘違いしているのだと思います。視覚、聴覚、味覚、触覚以外の感覚なのかもしれない。いわゆる異次元とか、幻視体験とか、デジャヴュとか転生とか前世とかそういうのもこれらと関係ありそうですが、わかんないです。


暗黒物質を知覚する物質とは

さて、この「光」で思うのが、宇宙の暗黒物質です。

昨日、アストロアーツで、

すばる望遠鏡、暗黒物質のゆがんだ分布を明らかに

というニュースがあったのですが、この冒頭部分でも尋常ではない「暗黒物質」の存在がおわかりかと思います。

銀河団とは1,000個ほどの銀河の集まりで、そこには太陽の1,000兆倍にもおよぶ大量の暗黒物質が付随していることが知られている。暗黒物質の正体は依然として不明であり、現代天文学および物理学におけるもっとも重要な未解決問題のひとつとされている。

とあります。そして、

暗黒物質は光を発しないため、詳細な空間分布を調べることはひじょうに難しい。


とあります。

abell2390.jpg

▲ 上記アストロアーツの記事より。紫の部分が解析で得られた Abell 2390 という銀河団の「暗黒物質の分布」と見られる場所。この暗黒物質の正体に迫る結果を導き出したのも日本の国立天文台の人。最近、国立天文台がノリにノッてます。応援してますよ。


アストロアーツの暗黒物質の説明には「光を発しない」とありますが、これは「光を反射しない」ということと同義だと思われ、これは月や様々な星を考えるとわかります。月も夜空に光るたくさんの星も、光を発しているのではなく、反射しているから、私たちに「見えている」

暗黒物質にはそれがないということのようです。
霊も多分、光を反射しない。

まあ・・・ここからは相当なオカルトですが、「太陽の1,000兆倍にもおよぶ大量の暗黒物質」というものと、霊や異次元に代表されるような、「見える人と見えない人のあるもの」、つまり、光を反射しないものは、(知覚の面では)同列のもので、そして、それが宇宙全体の90何パーセントを占めているということは、本来の世の中のほとんどの存在はそれらなんでしょうね。

既知の知覚以外でしか掴めない何か。

それが何かは死んだらわかると思います。
私が死ぬ際に唯一楽しみにしていることがあるとしたら、それくらいですかね。


ちなみに、タイトルの「宇宙はサイコロを振らない」というのは、アインシュタインが量子力学を批判する言葉として使った「神はサイコロを振らない」という有名な言葉から拝借したものです。

日経サイエンスの、量子力学 - やっぱり神はサイコロを振らない?という記事にはこうあります。

彼(アインシュタイン)は観測される現象が偶然に選ばれるという量子力学のあいまいさに納得せず,最終的にはすべてが古典力学で説明できるのではないかと考えていた。



アインシュタインが言うように、この世には「偶然」というものは存在しないように最近思えます。それが古典力学で解明されることかどうかはともかくとして。


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posted by noffy at 12:24 | 地球の歴史