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2010年04月24日

ホイル博士が夢見た無数の世界

連日の投稿で、慌ただしくてすみません。どうしても資料として書いておきたいものがあったので、書いておきます。

今日は何だか眠くて、寝っ転がって、フレッド・ホイル博士の「生命はどこからきたか」をボーッと読んでいたのですが、その中の一説を読んで、何だか異常に感動してしまい、抜粋しようと思いました。

この「生命はどこからきたか」は日本で1995年に出版されたフレッド・ホイル博士と、その弟子にあたるチャンドラ・ウィクラマンシゲの共著(訳は東京工業大学の大島泰郎元名誉教授)ですが、以前紹介した「生命 (DNA) は宇宙を流れる」よりも過激で、進化論の歴史を述べた後に、進化論を「科学的根拠とデータと数式で完全に否定していく」というような本です。内容的に「生命は宇宙を流れる」よりも専門的なだけに誰にでもわかりやすいとは言い難い部分はあります。

理論につぐ理論、整合性に次ぐ整合性による、新しい「生命理論」を議論の形で進めていくものなので、曖昧な記述はまったくありません。

特に今回抜粋する「第15章 生命の起源」という終章には、曖昧な記述や宗教的な記述など一切出て来ません。有機物や分子やDNAや太陽系や地球の生成の話ばかりの話が続きます。ところが、本編のこの第15章の最後の最後に、唐突にこういう記述が出てきます。全250ページの中のたった1ページ半の記述です。

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▲ 2001年8月22日に、フレッド・ホイル博士の死を伝える 英BBCニュースにあるホイル博士の写真。


「科学は、ユダヤ - キリスト教の世界観によって徹底的に曲げられ貶められてきた」として、続いて、こう書いてこの著作の本編を終えています。

(ここから転載)





-- 「生命はどこからきたか」 第十五章の最終ページより --


 しかしながら現代の科学者はもはやキリスト教の独占状態ではない。われわれは非キリスト教的起源を持つ科学的、技術的文化の急速な出現を日本や東アジア地域に目の当たりにしている。

 これら新しい文化が影響力を持って広がり成長していくとき、何がそうさせるのかと思うだろう。日本では重要な文化的影響力を持つ仏教は寛大で比較的教義に拘束されない。ゴータマ・ブッダは真実を見いだすことの重要性を強調した。彼の弟子に対する教えが墓碑に刻まれている。

「自分に忠実に生きなさい。真実の光をともし続けよ。真実においてのみ拒否しなさい。あなたの隣の誰かのために拒否するのではない。今、この先、生きる人々が知を望むなら偉大な達成が得られるだろう」(「マハパリニッチ・スッタ」 No.16)

 これは現在でも将来有望な若い科学者への良い助言となる。紀元前六世紀に、ブッダの世界観はすでにコペルニクス革命以後に入っていた。彼は宇宙が、各々がわれわれの惑星系と似た数十億の ”小さな宇宙” から成り立っていると記している。ブッダの対話形式になっている古い仏教の教典のなかに無限の宇宙について述べられている。

「無数の太陽、無数の月、・・・、無数のジャムブディパス、無数のアパラゴヤナス、無数のウッタラクラス、無数のブッダビデバス」

 ジャムブディパスとは当時の北インドの人々が知る限りの人の住んでいる地域を表す単語である。この対話から、ブッダが生命と意識(彼はすべての生命に意識があると考えていた)を宇宙的表現 -- 宇宙の構造に全体として結びついていて別々にできないものと捉えていたことは充分に明らかである。

 古代の伝統的仏教は数多くの点でわれわれがこの本で議論した方向へのコペルニクス革命を発展させるのに適した考え方であると思われる。もしそうした考え方が広がれば、少なくとも中世の足かせから解放された科学となるだろう。




(転載ここまで)


ここを読んでいて、なんとなく涙が出て来てしまって、同時に、まあ、多分にホイル博士の東洋に対しての思い違いの部分もあるとはいえ、せっかくホイル博士が「われわれは非キリスト教的起源を持つ科学的、技術的文化の急速な出現を日本や東アジア地域に目の当たりにしている」と博士が言っている、その日本に住んでいる日本人である私たちが、なんと今までユダヤ・キリスト教的な科学的価値観や常識的価値観で縛られて生きてきたことかと。

少なくとも、この本が書かれた1995年の時点で、西洋では、何人かの西洋人たちがすでにそのキリスト教的価値観が苦しくて、このホイル博士のようにもがいていた。その反面、彼らが精神的に目指していた「アジア」は今どうなんだろうと考えます。ホイル博士の理想のように進んできたのだろうか・・・と。そこはどうにも疑わしい。

しかし、最近私のよく取り上げる重大な科学的発見の多くは日本人主導によるものです。代表的なものは、

宇宙の特殊な光から地球上の生命の起源に新知見 (国立天文台が率いる国際研究チーム)
ビッグバン仮説を否定するヒミコの発見 (大内正己氏が率いる国際研究チーム)

などで、これらは今までの宇宙観を変える可能性があります。上のホイル博士の文章の表現を使って書けば、「コペルニクス革命を発展させるのに適した」ものといえます。

もちろん、これらは何かの既成の価値観に反発して生まれたものではもなく、何かを狂信的に信じたものでもなくも淡々と発見されていったものでしょう。この「宇宙発想革命」の材料を発見する機会を日本人を得たことは恐ろしいほどの幸運ではありますけれども、それでの「大変化」など今は(私たちも)期待などはせずにこの後も淡々と研究されていけばいいのかなあと思います。

ユダヤ・キリスト教的な価値観を、私たち日本人は積極的に憎んで否定する必要はないわけで、最近の私のように、「使えるもんなら聖書でも創造論でも全部使えばいい」というような、徹底的な宗教観の欠如をもって望んでも構わない気はしています。

聖典をオモチャにして、ふざけながら前に向かって歩いて行く永遠の子どもでも、それはそれでいいのだと感じます。


この本にある進化についての概念はのちのち書いてみたいと思います。「5億7000万年前(カンブリアの大爆発期)には、すでに人間の遺伝子の組成は地球に存在していて、後にウイルスによる活性化の引き金を引かれて活動を開始するまで(人間になるまで)、5億年以上、じっと地球で待っていた」というような、死ぬほど刺激的で面白い理論です。

この理論だと、我々人類は5億7000万年前には今と同じ(に成長する)遺伝子を持って地球で長く眠っていたということになるのかもしれません。


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posted by noffy at 15:30 | 地球と宇宙の生命