2010年04月23日

聖霊の正体 - 資料編

いつも、コメントでは本当に勉強させていただいてるというか、参考になる内容が多く、大変感謝しております。というか、コメントを読ませていだきながら「うっひゃっひゃっ、また何か知ったぞ」と喜んでいる次第であります(苦笑)。

前回記事のコメントでも、聖霊や元型というテーマに即した様々なことが記されておりますので、ぜひコメント欄をお読みいただければと思います。私のブログ本文は読まないで、コメント欄だけでもどうぞ。

その中から一部抜粋させていただきます。
ねるさんという方の書かれたものです。


西洋神秘学によれば、われわれが生きる世界には、三つの原理があるそうです。感覚的にはそれぞれ「嗅覚」「視覚」「聴覚」です。残る二つの感覚は「味覚」と「熱感覚」になります。

まず "嗅覚" があります。におい、というのは対象に属する微粒子がその人の鼻の粘膜に働きかける直接的な体験です。そしてこれが「父」に例えられます。それ自身で存在する、としか表現しようのない原理のことです。

そして次に "視覚" があります。これは対象についての直接的な体験ではなく、光としてやってくるものを目のなかで化学的に印象へと変換する体験です。存在するだけの「父」は、それを反射する「子」がいなければ世界は発生しません。

最後に "聴覚" があります。もはや人にとどくのは、それ自体ではなく、空気の振動にすぎません。しかし世界が実体として存在するにはどうしてもこの「聖霊」という道具が必要なのです。


(改行させていただいています)


これを読んで、ちゃんと理解はしていなくとも、なんとなく「なるほど」と思った次第。

そして、同じコメント欄にそれとは関係のないジャンルの話題として、 Ku_uu さんが下のNHKニュースのリンクを書いて下さったんですね。NHKニュースのサイトはソースが消えるのも早そうなので、別のところに丸写ししたリンクです。

ヒトの皮膚組織に神経や筋肉などさまざまな組織に変化する力を持った未知の細胞が存在 (NHK 2010年04月20日)

これはですね、どんなすごいニュースかというと、 IPS細胞だとか、そんなような人工細胞と同じようなもののようなんですが、ようするに「生物のいろいろな部分の細胞に分化していくことのでき得る分化万能細胞」というものなんです。

これは人工以外では「受精した直後」にくらいにしか、人間などの多細胞生物にはないものらしいんですね。

たとえば人間だと、受精して受精卵に精子が着床したあとに、それは赤ちゃんになっていくわけですけれど、受精卵の時点では「ひとつの細胞」のわけです。それが人間が大人になるころには、この「1個」の細胞が「60, 000, 000, 000, 000個」くらい(ゼロを並べて書いてみました。60兆個です)まで増えるのですが、最初はその「ひとつ」なのですよ。そのひとつが人間のいろんな部分になるわけです。

じゃないと、人間には肉も血も神経も肝臓も腎臓もないわけで、細胞が「分化」して、人間の体はできていくわけです。

それがなんと、私たちの皮膚にいつも普通にあったと。

すげえッ!!! と思いましたね。
私たちは常に万能細胞と一緒に育ってきていて、今も一緒に生きているのです。トカゲなんかの尻尾が切れて、それがまた生えてくるのを見て、私たち人間は「トカゲってすごい」とか言ってますけど、ほとんどおんなじものを持っていると推定されます。

しかし、その万能細胞のニュースが、なぜ上の「西洋神秘学」の話と繋がるかというと、先日の聖霊の正体というところで書いた「共通の元型」という部分とリンクするということもあるのですが、さらには、ヤスさんが以前訳されていた、ミハール・タラビッチの予言のこの部分です。

だが、本物のエネルギー源は自らの周囲にある。エネルギー源は「見えないの? あなたの周囲にある私をとって」などと言うことはできない。長い年月がたってからやっと人間はこのエネルギー源の存在を思い出し、地中に多くの穴を開けたことがいかに馬鹿げていたのか後悔するようになる。

このエネルギー源は人間の中にも存在しているが、それを発見し取り出すには長い歳月がかかる。だから人間は、自分自身の本来の姿を知ることなく、長い年月を生きるのだ。高い教育を受けた人々が現れる。彼らは本を通して多くのことを考え、自分たちがなんでもできると思い込む。彼らの存在は、人間が自分自身の真の姿に気づくことの大きな障害になる。

だが、人間が一度この気づきを得ると、こうした教育ある人々の言葉に聞き入っていた自分自身がいかに大きな錯覚に陥っていたのか自覚するようになる。この本来の知識はあまりに単純なので、これをもっと早く発見しなかったことを後悔する。



つまり、まだまだ「私たち人間は自分たちのことを何も知らない」ということが、上の、「西洋神秘学の世界」と「作らずとも存在した万能細胞」を結びつけるあたりではないかと思った次第であります。

そんなわけで、この「聖霊」で少し足踏みしてしまうかもしれないですが、今回は、今後のためにいくつか「聖霊的な資料」と感じるものをメモとして記しておきます。ネットだけではなく、最近、私が読んだ本などからもあります。


ヨハネによる福音書に見るパンスペルミア説

その前にここまで書いた一連の絡みとも関係しているかもしれないですが、フレッド・ホイル博士が提唱していた、「宇宙をコントロールしているのは宇宙の微生物(ウイルス)」という説と、私が先日書かせていただいた、「聖霊というのは宇宙の微生物のことかもしれない」ということなどを考えていた時に、ふいに「新約聖書」の一説を目にしたのですが、その時にふと興味深いことを思いついたので、書かせていただきます。

前提として、フレッド・ホイル博士は生物種の進化を「数億年の一度のスパンでのウイルスの感染によるもの」としていて、それにより「大量絶滅と生物の進化が同時に起きる」と考えていたようです。そして、その「ウイルスと宿主としての人間の関係」について、一般的には「ウイルスが宿主を選んで寄生する」というような解釈だと思うのですがそうではなく、「宿主が来たるべきウイルスを選んでいる」というものすごい解釈をしています。

これは、たとえば、わかりやすく風邪でたとえると、風邪を引いた原因は風邪のウイルスが感染してきて風邪を引いたのではなく、「自分が風邪のウイルスを選んで体内に取り入れた」とする説というようなことになりそうです。
そうして、DNAさえも変革するようなウイルスの感染の連続で生物種は進化してきたというような感じのようです。

これを前提としてお読み下さい。

もし、読まれている方の中に敬虔なクリスチャンの方等がいらっしゃいましたら、気分を害される方もあるかもしれないですが、決してふざけてやっているわけではないですので、ご容赦下さい。

新約聖書のヨハネによる福音書 の1章は「はじめに言葉があり,言葉は神と共にあり,言葉は神であった。」から始まる下りですが、ここに続いて以下のような部分があります。

ヨハネによる福音書 の1章10-13
マルチメディア対訳版 新約聖書より)

彼は世におり,世は彼を通して造られたのに,世は彼が分からなかった。彼は自分の所有物のところに来たのに,彼自身の所有物であった者たちは彼を受け入れなかった。しかし,彼を受け入れたすべての者たち,その名を信じた者たちに,彼は神の子供となる権利を与えた。すなわち,血によらず,肉によらず,人によらず,神によって生まれた人々である。


この部分で次の3つの言葉をそれぞれ入れ替えます。

彼 → 宇宙の微生物
世 → 世界
神の子 → 進化した生物

すると、こうなります。


宇宙の微生物は世界におり,世界は宇宙の微生物を通して造られたのに,世界は宇宙の微生物が分からなかった。宇宙の微生物は自分の所有物のところに来たのに,宇宙の微生物自身の所有物であった者たちは宇宙の微生物を受け入れなかった。しかし,宇宙の微生物を受け入れたすべての者たち,その名を信じた者たちに,宇宙の微生物は進化した生物となる権利を与えた。すなわち,血によらず,肉によらず,人によらず,神によって生まれた人々である。


自分でも思わず小さく「おお」と唸ってしまったのですが、まあ、これはともかくとして、今回は今後考えていきたい、いろいろな資料をメモしておきます。


エマヌエル・スウェーデンボルグ著 「宇宙間の諸地球」1758年

だれも神を或る考えによって把握しない限り、正しく神を把握することはできない。まして、神とつらなることはできない。また神は人間の形においてのみ把握されることができるのであって、もし神がそのようにして把握されないならば、神についての、思考にぞくした内的な視覚は、肉眼の視覚が無限の宇宙を見る場合のように消滅してしまい、こうした場合、思考は自然の中へ沈み込んで、自然を神として拝まざるを得ないのである。

注釈:これは昨年秋くらいに偶然古本屋で見つけて、タイトルに惹かれて買ったのですが、タイトル通りにスウェーデンボルグが、晩年の1758年に、太陽系と太陽系の外の様々な「地球」の人々のと話し合ったことを記録した本で、スウェーデンボルグは、太陽系には全部、人間がいる(すでに実体を持たない人たちも含めて)と書いていました。その中の一説。これは要するに「とりあえず、神を人間の形にしておかないと、神の存在は消えてしまう」と言いたいようです。表現を変えて、繰り返し出てくるフレーズです。


コーラン (イムラーン家章 マディーナ啓示 200節)

イスラーム文化のホームページより。

かれこそは、御心のままにあなたがたを胎内に形造られる方である。かれの外に神はなく、偉力ならびなき英明な方であられる。

かれこそは、この啓典をあなたに下される方で、その中のある節は明解で、それらは啓典の根幹であり、他の節はあいまいである。

そこで心の邪な者は、あいまいな部分にとらわれ、その隠された意味の内紛を狙い、それに勝手な解釈を加えようとする。だがアッラーの外には、その真の意味を知るものはない。それで知識の基礎が堅固な者は言う。「わたしたちはクルアーンを信じる。これは凡て主から賜わったものである。」だが思慮ある者の外は、反省しない。


注釈:これはもう、「あいまい」という言葉に惹かれたのですが、ちょっと前に書いた、薔薇十字団の記事に出てくる、錬金術祖師ヘルメスの「エメラルド板」にあるこの節、


全世界の、あらゆる完全性の父はここにいる。
その作用と力は完全である。それが地に転換されれば、甘美にも偉大なる手腕によって、地より火を、粗雑より精妙をわかつ。
それは地上より天へと昇って再び地へと戻り、優れたもの劣ったものの作用因を身に付ける。
この手段により、汝は全世界の栄光を手に入れるであろう、そしてそれが故にこそ、すべての曖昧は汝より去るであろう。


の部分の「すべての曖昧は汝より去るであろう」などを思い出したからですが、しかし、そもそも全体として、コーランにある「かれの外に神はなく」と、上の「あらゆる完全性の父」なんかは概念として差異を感じにくいという部分はあります。

前にも書いた、テキヤだった私のおじいちゃんは天理教の信者だったんですが、それを思い出して、天理教の教え - 親神・元の神実の神などを見てみると、

元の神とは、この世をはじめ、人間をつくった本元の神ということで、私達の生命をはじめ、万物に生命を授けられた根源者ということです。実の神とは、この世の一切のものの上に、また、人間の身の内に入り込んで、守護し、お働き下さっている神ということです。


とあり、やはり差異を感じにくい。
特に「また、人間の身の内に入り込んで」というあたりは、「ウイルス進化論」を彷彿とさせないでもないという部分もないのではないかと思ったり思わなかったり。

宗教関係はこのくらいにして、次はサイエンス関係です。
こちらは最近のニュースがメインです。


光合成の出現以前に酸素供給があった可能性

起源の古い酸素生成経路

オランダの排水路の淡水性堆積物から分離された微生物で、亜硝酸および硝酸の還元に伴う嫌気的メタン酸化で酸素を生成するという、今まで知られていなかった経路が発見された。この反応を行う細菌の全ゲノムが組み立てられ、好気的メタン酸化の遺伝子が含まれることが明らかになった。

注釈:ネイチャーにあった記事で、バッと見なんだかよくわからないのですが、要するに、「酸素のないところで酸素を作る微生物が発見された」という、ものすごいニュースのようです。これは、植物による光合成が発生する以前から、酸素が地球にあったかもしれないことを示唆します。

さらに、酸素なしで生きる多細胞の動物発見 (朝日新聞 2010年04月14日)なんてニュースもあり、何だか、「何でもあり」というような気配も強くなってきています。

このニュースに関しては、2ちゃんねるのサイエンス板で論争があったようで、その中に、以下のようなやりとりがありました。長いですが、参考になったので、繋がっている部分を抜粋しました。
日付やIDは、省きました。



46 :
それなりに複雑な構造してそうだけど(クラゲ程度?)、
低酸素の堆積物ってヘドロみたいな環境で多細胞に進化した必然性ってなんだろ?

54 :
>>46
そういう仮説と
酸素が必要だった多細胞生物が無酸素環境に戻ったという仮説と
大きく2つ考えられるから
これからそれを検証していくのだろう

水生哺乳類やホットスポット周辺の甲殻類などの例を見ると
今のところ後者が有力だろう

それはそれでどうやって生きてんだ?
という点が大発見につながる可能性が大きい

56 :
>>54
クジラやアザラシの場合、海に戻った(=水中に適応した)とはいえ
肺呼吸という根本的なとこは変わってないよ
外見と違って簡単に変えられる部分でないからね
ましてや細胞の構造に関わるような適応は、今までの進化の概念では
説明しようがない
多細胞生物がその構造を保ったまま細胞内のエネルギー代謝のしくみを
がらっと変えるなんて難易度高すぎる

57 :
>>56
だからそういうところが実際どうなってるのか
これから調べるんだろ

60 :
>>57
だから好気性多細胞生物→嫌気性多細胞生物が有力な説とか
なんで簡単に言えちゃうのかと
その辺に突っ込んでるんだよ?

64 :
>>60
どっちが容易かで判断した

多細胞生物が多数の細胞をまとめておくために必要な材料は酸素なしでは作れない
よって単細胞生物が多細胞生物に進化するには
酸素への適応が絶対条件
つまり嫌気性単細胞生物が
嫌気性のまま多細胞生物に進化することはきわめて難しい

これに比べて
先に酸素に適応し多細胞化に成功した生物が
酸素希薄環境下に再び適応したというシナリオの方が
はるかに現実味がある
人間を例に出せば
同一個体で低地と高地の酸素濃度の違いに適応できるのだしね

もし嫌気性単細胞生物が嫌気性のまま多細胞化したのであれば
その体を維持する材料からして
既知の多細胞生物と異なるということになる
単細胞生物に例えるなら
原核生物と真核生物に分類できるのと同じようなレベルで
多細胞生物にも根本的に別の種類がいることになる
本当にそうなら大発見ではあるが
そういった大発見はそうそうない
(そうそうないから大発見なのだが)

65 :
>多細胞生物が多数の細胞をまとめておくために必要な材料は酸素なしでは作れない
この前提だと
>先に酸素に適応し多細胞化に成功した生物が
>酸素希薄環境下に再び適応
することもあり得ないだろ
酸素希薄環境下においては多細胞生物は適応できずに淘汰され
嫌気性単細胞生物だけが残るのが必然になっちまう

経過がどうであれ、嫌気性多細胞生物というもんが存在するとして考えるなら
しょっぱなの前提からして疑って掛からないといけない



この「65」の人の書いている「経過がどうであれ、嫌気性多細胞生物というもんが存在するとして考えるなら 、しょっぱなの前提からして疑って掛からないといけない」というのは、

 > 多細胞生物が多数の細胞をまとめておくために必要な材料は酸素なしでは作れない

に対応していると思われます。

つまり、「65」の人の言いたいことば「酸素がなくても多数の細胞をまとめることのできる生物の可能性」かとも感じました。とはいえ、この科学と化学の世界は私には相変わらず敷居が高いし、難しいですね。


「生命はどこから来たか」フレッド・ホイル&チャンドラ・ウィクラマンシゲ/1995年

ところで、前回だったか、「粘菌アメーバと人間の体内活動の原理の元となる物質(環状アデニール酸 / cAMP)が同じ」というようなことを書いたことがありますが、読んでなかったフレッド・ホイル博士の本を読んでいたら、こういう下りがありました。

十九世紀の生物学の中でのもうひとつの難題は、どうして一連の生き物の歴史のなかで、目が何回か現れてくるのかということである。

例えば、種々の動物を見ると、哺乳類や爬虫類、魚類の目と、タコの仲間の目とは直接的なつながりはない。まして、これらと昆虫の目とをつなぐ直接の進化的なつながりもない。しかし、この三種の目の基本的な動作機構は等しいのである。分子の形が異なるだけである。

このことを説明するには、同じ基本原理で働く全ての目は共通の源を持つものであり、独立に進化したものではないとするのが自然である。


うっひゃっひゃっ。
やはり、いろいろと同じ原理を持った器官というのは、生物間ではあるのですね。

何となく、今後こういう流れとして、「聖霊」、「進化」、「元型」などを考えていきたいと思ったりした次第であります。


そういえば、公開以来、すでに映画「第9地区」を2回見に行っていて、見るたびに男泣きして帰ってきているのですが(実は友情映画)、この映画、以前なら「こんなのないだろう」と思う情緒的な描写でも、「元型は宇宙共通」と考えるようになった今なら「ありだよな」と思います。

district9-1.jpg

▲ ナイジェリア人居住地で賭博に興じるナイジェリア人ギャングとエイリアンたち(第9地区より)。

ちなみに、第9地区、東京立川のシネマシティでは行った二度ともガラガラでした。あと何度か見たいと思っていて、打ち切りはやめてほしいので、皆さん行ってあげて下さい。いい映画です。ただし、そこそこグロですのでご注意を。


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posted by noffy at 15:25 | 地球の歴史