2010年04月13日

進化の仮説(1) - すべての細胞核が持つ元型

先日、出先で一時間ばかり時間をつぶすことになり、その駅の近所にあったブックオフでわりと適当に選んで買った本が、お茶の水女子大理学部の太田次郎先生という粘菌の研究者であったらしい教授の書いた「細胞工場」という本でした。昭和62年発刊で、すでに二十年以上経過しているもので新しいものではないですが、専門家向けではなく、一般人向けに平易に書かれていて、とても勉強になりました。

細胞とか DNA などのことを全然知らない私には、この本の中にいくつも「ほー」と感心させられることが書かれてありましたが、特に、いくつかの記述 -- それは、細胞と細胞核の関係や DNA の構造のもっとも基本的な部分に関しての記述は、最近、私が考えている「統一されたコントロール下にある生命」の問題に関わっていると感じました。

もちろん、私はこのあたりはまだまだ全然勉強不足ですので、その生命の問題という内容自体より、ここでは今後、私が書いてみたい「生命の進化」についてのキーワードを記しておくと、「生命の進化」というのは、

・DNA の塩基配列の外部的刺激による変異

・地上のすべての受精卵への影響

・細胞核にある全生物を通して持つ物質による社会行動コントロール


というあたりになってくるのではないかと。

まあねえ・・・。
こうやって書いていても、自分でもよくわかんない部分はありますし、だいいち、書いて説明などできるのかという部分はあります。「少し整理してからでいいのでは」とも思いますが、でもまあ、いつも整理なんかできないので、「地球の成り立ち」シリーズの中の項目として、少しずつ書ける時に書いてみたいと思います。

しかし、途中はフラついても「どういう結論に辿り着きたいのか」というのは決まっています。
それは、

・宇宙のすべての生物は細胞核が持つ「元型」にコントロールされている

ということです。

この「宇宙の」という点が自分でもひっかかっていたわけですけど、最近の国立天文台の発表の「地球の生命は宇宙から飛散してきた証拠」など、反論の余地のないと思われる証拠が出たこともあり、また様々な科学者たちの観測研究などからも「地球の生命が宇宙から来た」こと自体についてはすでに違和感はないといえそうです。

なお、この国立天文台の発表に関しては、翻訳しようと思っていたのですが、アストロアーツに生命をかたちづくったアミノ酸の謎に迫るというわかりやすい記事が載せられていて、ぜひ読まれてほしいと思います。


そんなわけで、「地球の生命=宇宙すべての生命」というあたりまではまあOKだと思うのですが、それでは、「地球以外の生物と地球の生物の関係性」というものに関してはどうなのか、ということです。

たとえば、 WebBot には「人間は宇宙のどこにでもいる」(生命体ではなく人間)というような発想が繰り返し出て来ていましたが、その概念はありうるのかと。

ちなみに、人間とは何かというのは難しい概念ですが、人間を人間と決めているのは少なくとも「形」ではないです(手足の数や大きさや外見ではないということ)。地球にもいろんな人種がいますが、生活習慣などが大きく違っても、それが「人間か人間ではないか」ということや、あるいは「人間の文化かどうか」というのは瞬時に判断がつきます。これをつかさどっている「元型」はとても強力で、それが人間かどうかをそう簡単には間違わないはずです。

その「元型」が全宇宙レベルで存在するのかという疑問です。

存在するなら、 WebBot にある「人間は宇宙のどこにでもいる」はあり得るし、その元型が宇宙レベルでは存在しないのなら、「宇宙の生命はそれぞれバラバラ」ということになりそうです。

でまあ、今のところ、私は「宇宙レベルの元型はあるんじゃないのかな」と。

上に書いた太田教授は細胞性粘菌という生き物の研究をされていたようなのですが、この細胞性粘菌(粘菌アメーバ)の生態を読むだけでも、少なくとも、「元型は地球すべての生物レベルにあるかも」ということを感じさせてくれます。

それはオカルト的な意味ではなく、人間と粘菌アメーバが共通して持つ物質についてのことですが、このことを今度書こうと思っています。その物質は、環状アデニール酸( CAMP )というもので、アメーバについては集合体を作り行動する際の必須物質となっていて、人間ではホルモンと体内の伝達の役割を持つ「体の循環を保つ生命の必須物質」です。

こういう、生命と社会行動の基礎からしてアメーバも人類もあまり変わらないという事実がありまして、そして、どうしてそこに「生物種を越えた元型があるのか」というようなことも書けたら書いてみたいです。

fig1.jpg

▲ 東邦大学理学部生物学科の細胞性粘菌は万能細胞というページにある写真より。粘菌が集まっていく様子。粘菌は数十万単位で集まり、ナメクジのような「移動体」という形を形成する。「どうして知覚機能を持たないアメーバに社会集団行動ができるのか」という研究は昔からされていて、その行動をつかさどる物質が1950年代に判明し、それが、「人間の体内にあるもの(環状アデニール酸)と同じだったこと」に科学者たちは驚いたそう。


ちなみに、これら「統一された元型」を考える上で、先日の薔薇十字の記事の中に出てきた、ヘルメスのエメラルド板に書かれていたこともリンクしてきたりはします。

roze-first-2.jpg

ヘルメスのエメラルド板は錬金術の始祖的な言葉ということで、そこだけ見ると完全なオカルトに感じるのは仕方ないですが、こちらのページなどを見ると、アイザック・ニュートンも1680年に翻訳出版していて、歴代の科学者たちにもなかなか魅力のあるものだったようです。このニュートン訳の一説にこういう部分があります。

万物は一者の適合により、一者より来る。
なんとなれば、万物は適合によってこの一者に起因す。


仮にここに何か真実があるとすると、「一者」のほうの大元は神がかった話になるので置いといて、生き物も他の万物と同じものからできているとして考えますと・・・。

生き物の構成は順番として、大きいほうから、

生き物 > 細胞 > 細胞核 > DNA > 塩基

となっていって、この基本の「塩基」の発生の原理がとければ、いろいろとわかりそうな気もします。あるいは、ヘルメスのエメラルド板にあるように、「あらゆる存在は同じ」ということになっていく可能性もあります。

まあ、ただねえ・・・。
塩基とかいわれても何が何やら。
これは今後の課題ですね。

今のところは「塩基の研究は延期・・・」(ここで駄洒落かよ)。


ところで、上の太田先生の本では、最後のほうの章で、粘性アメーバや単細胞生物などの進化の歴史についてふれているところがあって、先生は通常の進化論を書いた後に、「ただ、ひとつ気になることは・・・」というニュアンスで、次のように書かれています。

偶然の試行錯誤の考え方をとるとすると、考えにくい点があります。アミノ酸が百個つながったタンパク質や、塩基千個よりなる核酸のように、現在細胞内にあるもののなかでは小さいほうに属する分子を考えてみても、アミノ酸や塩基の配列のぜんぶの可能性を網羅しつくすためには、宇宙にある物質すべてをアミノ酸にしたり、核酸の塩基にしたりしても、不足してしまうのです。いいかえれば、アミノ酸や塩基がでたらめにつくられ、それらの対応関係が偶然生じたと考えるのは、機械的に過ぎて、実際にはありえないと思われるのです。

原始地球の化学進化の途上で、何らかの必然的要素が働いたと考えるほうが、現在の生物についての知見からは考えやすい感じがします。しかし、その必然の内容については、まだなにもわかっていません。この考え方をへたに進めれば、創造説と同じ道へ入っていってしまうおそれもあります。

このように、生命や細胞の起源を探るときに、素材の点からはじめても、わからないことだらけなのです。


(太田次郎著/細胞工場より転載)


やはり以前からわりと生命の発祥に漠然とした疑問を抱いている専門家は多かったのだなあと思います。そして、「なぜか生命の偶然発生説を否定できなくなっていた状況」というのがあったのかもしれません。

それは、学会などのアカデミーの問題はもちろんあるのでしょうが、科学者たちがもっとも恐れていたことがこの文章に書かれている気がしました。すなわち、「創造説と同じ道へ入っていってしまうおそれ」です。

「生き物は自然に発生したのではなく、誰かが作った」という考えに進んでしまうことが恐ろしいというのがあったのかもしれません。

科学が神話に屈してはいけないという科学者たちの共通した想いの部分かもしれません
もちろん、その「科学は神話ではない」という強い真面目な想いが科学を発展させてきたという側面は強いです。今では人類は DNA の解析にも成功しているのです。

しかし、科学が進むほどに実体が神話に近づいていく傾向は確かにあります。
これからの課題はむしろ「科学と神話の共存」なのかもしれないです。
タグ:進化論


Sponsored link




posted by noffy at 05:57 | 地球と宇宙の生命