最近の「ヤスの備忘録」を読ませていただきますと、その「違和感の正体」に気づかさせてくれるような部分を度々目にします。回ごとに出てくる人物や時代などが違うものであるのに、全体として現代の社会のもつ「悪い部分の本質」に近づきつつあるような一種の「気配」を感じます。
少し前の記事で、19世紀のミタール・タラビッチという羊飼いであった予言者が取り上げられていました。タラビッチの予言は、私のとても好きな感じの内容でしたが、その中に、
人間の魂は悪魔にのっとられるのではない。もっと悪いものにのっとられるのだ。人間の信じているものには真実などいっさいないのに、自分たちの信じる幻想こそが真実だと思い込むのである。
という下りがあります。
また、その後の記事のかなりオカルト?にある、ウェセルマンという学者とジンという現実には存在しないような人との対話にも、
ウェセルマン:
では、悪のもともとの源泉はなにか?
ジン:
悪の源泉は人間そのものだ。一神教の神として現れる「欺くもの」は人間に過ちを犯すように働きかけ、人間が自分で過ちを正すことができない地点にまで人間を追い込んで行く。ここにきて人間は悪を行うのである。人間こそが創造者なのだが、人間は「欺くもの」に影響されている。
とあり、さらには、2月18日に連邦政府のあるビルに小型機で突入して自殺したジョセフ・スタック氏の自殺宣言の翻訳にある、
子供のころからわれわれは、法による統治がなくなったら、無政府状態となり社会は存在しなくなると教えられてきた。悲しいことに、一人一人が国家のために献身するならば、国家は万民の正義の守護者となってくれるはずだとわれわれは信じ込まされてきた。さらにわれわれは、この国には自由があり、そうした建国の父が作った原理と原則は命をかけても守る抜くべきだと洗脳されてきた。
という下りもありました。
ジョン・スタック氏は対象がハッキリしていて、他は曖昧ではありますが、どうにも多くの人々が信ずるべき対象を見誤り、そのまま今の文明が築かれてきてしまったという側面はあるのかもしれません。
さらに、私たちの今の生活。たとえば、タラビッチの予言のこのあたりにある現代(20世紀の終わりから最近くらいまで)を言ったものであろうと思われる、
知識が増大するにつれ、彼らは互いを愛したり心配したりすることはなくなる。彼ら相互の憎しみはあまりに大きく、彼らは自分の親戚のことよりも、自分たちのもっている所有物や小物のことを気にかける。人々は、自分の隣人よりも、自分がもっているいろいろな機械や装置のほうを信頼する。
特に、
> いろいろな機械や装置のほうを信頼する。
などは、私たちすべての個人そのものの考え方や行動をも見透かされているようで、何となく反省させられます。
1800年代にセルビアで羊飼いを、多分草原の中でしていたであろうタラビッチから見れば、パソコンの画面をジーッと見つめて、情報を追い続けている私たちの姿は異様なものに見えたかも(そう書きつつも、パソコンの画面をジーッと見続けている私)。
タラビッチの「自分たちの信じる幻想こそが真実だと思い込むのである」という部分の「幻想」は、宗教的なもの、政治の形式的なもの、など、人によって様々でしょうが、それが「人生で一番大事なもの」となってしまっていて、「人間である自分自身の創造性や自主性」をないがしろにしてきたことが問題だということかもしれません。
そういえば、ちょうど、マドモアゼル愛さんの今日の記事に、こういうくだりがありました。
ウソつきは創造する人から奪えない限り存在できない。
ウソつきを神と思い、ウソつきを信じる、私たちの思いによって彼らは存在している。
それはあなたが自分には未来を作る力などない、、、と思っているから、このウソの世は作られている。
あなたの自分の能力の放棄により、何かの模倣によって、自分の安全を得ようとする人々の総意があり、それが彼らウソつきの存在を許し、戦争を許し、あらゆるこの世の悲惨を許している。
すべては自分の創造性を信じずに、他のものを信じたことにより、この世は残念ながら作られている。
イエスが言ったことは本当のことだったが、それはキリスト教とは違う。
多くの宗教は実は誰が作ったのか、、、この数千年はウソつきが法衣を着た時代であった。それを許したのは、自己の創造性の放棄に起因していることをそろそろ気づく時期に来ている。
いろいろと合わせ見てみますと、重要なことはこの「自己の創造性」を保つということなのかなあとは思います。社会などでいろいろな規範や価値観が作られていっても、「自分は自分だし、みんなもいろんな考えでいいやん」と。
(お、なんかここで前回記事の All in all is all we all are に繋がってきているような・・・)
ところで、宗教や政治など、タラビッチの言うところの「自分たちの信じる幻想」ができる前の人間たちはどんなことを考えていたか、というと、そこまで遡ると、具体的な文献等があまりないので、よくわからないわけですが、「人間の元型」は、数千年程度ではそれほど変化していないように思います。
つまり、「元型に沿った生き方をしていた時代があるのでは」ということで、もしかすると、数千年前まではそうだったかもしれない、と。
元型といえば、現代の元型追求ブロジェクト的な存在としての WebBot ブロジェクトからその「人間は本来どんな元型的な存在にもっとも大きく依存していたか」ということがわかるような気がします。そもそも主宰のクリフ・ハイ自身が、「 WebBot は人間の元型を読んでいる」と言っています。
その「本来の人間の元型」が、一体、 WebBot のどこからわかるのかというと、それは極めて単純なのですが、「的中度」からです。
・元型的に、人間が重視していることは・・・当たるはず
・元型的にはどうでもいいことは・・・当たらないのでは
というチョー単純な根拠であります(笑)。
ここから見ると、最近1年くらいは、
・よく当たるカテゴリー・・・地球環境と宇宙の現象
・当たらなくなってきたカテゴリー・・・政治と経済
となっていて、最近になってから特に人の意識が宇宙を目指しているといえそうな気がしています。「目指している」というより、多分、もともとそうだったのではないかと。
「人間が宇宙の下にいる」
という概念が基本で、他は重要ではなかったのではないでしょうか。あとの規範は「各自が好きでいいやん」と。それがこの数千年くらいの間のまあ、いろいろなことで遮断されていたのかもしれません。
ふたたび、好きなだけ宇宙のことを考えて、自分自身の価値観で生きられる時代になるといいと思います。そのほうが気楽だろうしね。
前々回記事の補記
続・ Google Earth で見る地球の不思議という記事で、「8 海上の UFO? "UFO"#1 IN SPITSBERGEN: 」(位置 78 38'29.61"N 15 7'5.50"E )のこの画像に関してです。

最初、なぜかメキシコとしてしまって、その後、ご指摘等あり、「北極圏のスバールバル諸島のあたり」と訂正したのですが、地図と照らし合わせてみると、やはりスバールバルのあたりで、「スピッツベルゲン島」と一致しました。
スバールバル諸島はこの地図の Svalbard と書かれた矢印の先にある場所です。

Google Map では航空写真ではこの周辺はクローズアップできないようですので、 YouTube で動画にあった地図と、通常の Map での位置を合わせてみますと、こんな感じでした。

このあたりに上のものが写っていたか、あるいは「ある」ようです。
これは、 YouTube の動画の説明には「 "UFO"#1」とあったので、そのまま UFO と書きましたが、海底都市っぽいというご意見も多かったです。
海面に規則正しい直線のような模様が見えたりはしていますが、映り具合の問題かもしれないし何ともわからないですが、このスバールバルという場所は、スバルバル世界種子永久貯蔵庫という「種子の方舟」が準備されている場所でもあります。無人の島ではなく、観光で行くことは可能なようですが、まあ、簡単に「ちょっと見てくるか」と行ける場所ではないでしょうね。
ちなみに、上の写真の丸いのは、さらに拡大してみますと、青い方は物体が何であれ浮いているように見えます。

白い方は、周囲に水の輪が見えますので、水面に接しているようです。

こちらの「地球の不思議」はまだまだ他にもありそうですし、興味本位で十分ですので、何かあったら教えてください(笑)。
最近ちょっと気になっている、米軍のバンカーバスター爆弾とイラン攻撃の関係のニュースも書こうとも思っていたのですが、ここまででも長くなってしまいましたので、次に書きます。ものすげー暗い話です。バンカーバスターのニュースに関しては、Walk in the Spiritsのイラン攻撃が近い??バンカーバスターがカリフォルニアからガルシア島へに詳しいです。
これと、昨年2009年7月20日配信の WebBot の ALATレポート「来るべき未来の形 0 巻1号」にある、「世界を巡り、数億人を殺す放射性物質」の話が、個人的にものすごくリンクしています。考えてみて、あまりにも落ち込まなければ、次に書きます。