・Does Dark Matter?
のページのこちらとこちらにアップさせていただきました。
最近は、暗黒物質とかそのあたりのことを漠然(具体的には考えようがないので)と考えることが多くて、何だかこのあたりのことが、進化とか存在論とか含めて、ほとんどのことに繋がっていくのではないかというように思うこともあります。
ところで、今日読んだニュースなんですが、朝日ドットコムのサイエンス欄に、6500万年前の恐竜の絶滅、つまり、前回の地球上の大量絶滅に関するニュース、「恐竜絶滅、原因は小惑星 国際チーム結論、論争に決着か(asahi.com 2010年3月5日)」というのがありまして、まあ、この「恐竜の絶滅した原因は小惑星だ」という結論のほうはともかく(どんなことでも性急に結論づけるのはよくないと思うのです)、地層等からの解析で、その時の様子がかなりわかってきたのだそうで、そこにあった記述に驚いたこと、驚いたこと。
いわく、
・衝突時のエネルギーは広島型原爆の10億倍
・マグニチュード11以上の地震
・高さ300メートルの津波
・1千億〜5千億トンの硫酸塩やすすが大気中に放出
・太陽光は遮られ、酸性雨や寒冷化
・植物プランクトンの光合成が長期間停止

ジャパネットたかたなどでは「なんとここにデジタルカメラもおつけします。それだけじゃありません。プリンターも、さらにはUSBメモリーとMDカードをおつけして、金利手数料は当社込み」などと言っていますが、「広島型原爆の10億倍によるマグニチュード11の地震です。それだけじゃありません、津波は高さ300メートル、硫酸塩の雨嵐を1千億トン、いやいや5千億トンおつけして、植物の光合成の長期間停止込みです」という感じでしょうか。
orz
どんな惨状だったんだ、地球よ・・・。(5千億トンの硫酸塩が空から降り注ぐって?)

▲ 記事にあった衝突時のイメージ。
ちなみに、その時に衝突した小惑星のサイズは「直径15キロほど」のものだったと推測されるとのこと。
これはもちろん大きいものではありますが、同じ朝日ドットコムの1月の報道にあった、10〜15メートルの小惑星はひっきりなしに地球のそばを通過しているというようことと、また、昨年の7月に木星にラグビー場くらいの小惑星が衝突して、地球サイズの衝突跡を残したことなどを考えると、宇宙の中では、「まあ、たまにはあり」なことのようにも感じます。実際、地球に6500万年前にぶつかったわけですしね。

▲ 昨年の7月に木星に見つかった「地球の大きさくらいの衝突痕」。木星は受難でありました。
あと、その6500万年前の地震の規模のマグニチュード11の件なんですが、この計算法は厳密には難しいようですが、 Wikipedia に「マグニチュードの大小の目安」というのがあって、それがわりとわかりやすいです。
近年で人的な被害の極めて大きかった地震のうち、先日のハイチの地震がマグニチュード7.0、2008年の四川大地震は8.0、2004年のスマトラ沖地震が9.1ということを念頭にして、TNT換算という爆発のエネルギーと比較した数値で表しますと、
マグニチュード7.0 (ハイチ大地震) → 48万トン
マグニチュード8.0 (四川大地震) → 1,500万トン
マグニチュード9.0 (スマトラ沖地震)→ 4億8,000万トン
そして、6500万年前の小惑星衝突時に起きたと推定される地震、
マグニチュード11 → 4,800億トン
ああこれは・・・。
ハイチ地震の100万倍の威力だったということになりそうですが、「何倍」とか書いても認識できるものではないので、数字で並べてみるとわかりいいです。すべて単位はトンです(○○トン相当の爆発の威力という感じだと思います)。
ハイチ 480,000
四川 15,000,000
スマトラ 480,000,000
小惑星 480,000,000,000
ちなみに、昨年だったか、北朝鮮が地下核実験をした時の観測マグニチュードが M4.0でした。
それは、
核実験 15
です。
書き間違いではなく、「15トン」だけです。
これが原爆の威力。
人間の作ったものと自然界の威力の比較は比較として成り立たない感じがします。
ちなみに、上記 Wikipedia では、マグニチュード12では、15兆トンということで、「地球を丸一周する長さで地殻が完全に断裂する」と、これが生じるのだとか。つまり、マグニチュード12の時には地球はないということのようです。
からだの中のフレンドたち
もうひとつ、やはり単なるニュースの報告ですが、数日前に、 AFP の記事で結構驚くのがあって、これは宇宙とは関係のない、人間の身体の話で、ヒトの消化器官に生息する微生物の遺伝子の全容が解明された(AFP 2010年03月04日)というようなものです。
世界中の100人余りの科学者たちによって、今まででもっとも詳しい人間の体内の微生物の分布などの状態について確かめて、彼らの言葉を借りると「解明」したのだそうです。まあ、ここでも、この「解明した」というのはともかく、やはりこの内容にも驚いたこと、驚いたこと。
記事によると、ひとりの人間の消化器系の中には、単細胞生物が数百種いて、その遺伝子は数百万近くにのぼり、さらには、
> 数兆個が口内、皮膚、肺、そして特に腸内に集中して生息していた。
という記述が。
「数兆個」・・・。
たとえば、今、私がこうしてボーッといるその瞬間にも、口や皮膚や肺や腸の中では、「数兆個」の微生物たちが働いている・・・。全部ではないにしても、多分、その中のいくつか(数兆単位で)は私と共生しているはず。そして、私が死んだ場合にそれらがどうなるのかよくわからないですが、多分、共に死んでしまう微生物も多いのではないでしょうか。
その際の死ぬ数も数兆、数十兆・・・。
私はもともと、人間の「生きる」とか「死ぬ」とかに対して、少なくとも今の世の中の一般的な道徳の概念から比べれば(自分の命に対しても)軽く考えてきたほうで、たとえば、自殺に対してなんかも、倫理を越えた自由意志の作用の部分を強く感じていました・・・が、上の「数兆の微生物と共生している自分」を考えると、「確かに自分の生命に対して、それを存続させるある程度の責任はあるのかも」という考えもまた「あり」なのかもしれないという気もしてきます。
まあ、通常の新陳代謝でもそのくらいの数の微生物が体内では死んでいるのでしょうけれど、完全に死ぬ時に道連れになる微生物たちの数はものすごいのではないでしょうか。
どのみち人間は死ぬわけですけれど、自殺の場合などにある「自然の意志ではなく、自分の意志で死ぬ」ということが、自分たちの体内の微生物たちの意志に対してはどうなのか、ということになるでしょうか。
たまにふれさせていただくことのある、作家の埴谷雄高さんが NHK の番組「独白「死霊」の世界」で 、「無」以外はすべて意志を持ち、夢を見るというようなことをおっしゃっていたことがあります。
もう十数年前のことで、当時は全然わからなくて、今でもセンセイの言っていたことを理解することは難しいですが、「無」以外、つまり、質量を持つものはすべて夢を見るというふうに置きかえると、体内の微生物は当然夢を見ている。そして、最近よく出てくる暗黒物質(ダークマター)にも質量があると仮定するなら、やはり夢を見ている。
となると、埴谷センセイの世界観だと、宇宙全体は巨大な数の意志と夢の集合体であるいうようなことになるわけです。埴谷センセイが亡くなる少し前に、ニュートリノに質量があることが確認されて、純文学の作家なのに、ニュートリノのことばかり(「ニュートリノの見る夢とは」とか)言っていたような感じの NHK の放映回もありました。
そして、個人と宇宙全体は影響し合っているという意味のこともおっしゃっていたように記憶しています。
うーん・・・ 。
たかが自分が生きることも死ぬことも、このあたりから考えてしまうと難しいですね。
(−_−) ・・・・・・・
・・・・・・・(−_−)
まあ、わかんないか・・・。
小惑星の件も、体内微生物との共生の件も、どちらもちょっと考えて解決するようなたぐいの問題ではないですね。
あまりうまくまとまらないですが、最近はなかなか上ずっている感じですので、こういうふうになりやすいかと思います。