2010年02月21日

第6の夜とか必殺とか生命の種子発見とか

先日、藤田まことさんが亡くなったわけですが、最初の必殺シリーズ「必殺仕掛人」は、子供の頃よく見ていました。「いつ頃だったんだろう」と ネットで調べてみると、「必殺仕掛人」は1972年の9月に始まっていました。私が9歳の時ということになります。藤田まことは最初から出ているのかと思っていましたが、中村主水が出るのは1973年の第2作からとのこと。

この放送開始の1972年というのを見て思ったのは、「必殺シリーズって第7サイクルの第6の夜に始まってんだな」ということでした。以前、こちらに書いたことがありますが、コルマン・インデックスの第7サイクルは、西暦1755年から1999年の間の約244年間で、その中の第6の夜の期間は1972年から1992年までの21年間でした。

今現在の私たちは、第8サイクルの第6の夜(2009年11月7日〜2010年11月2日)にいるわけで、詳しくは、ヤスの備忘録の記事にあります。

1972年頃のことを思い出すと、その頃は私が小学校の3年か4年生くらいでしたが、その後の人生と比べると、むしろ最近の私の興味の方向と似ていた頃のように思います。つまり、宇宙のことやUFOのことや宇宙人や超能力やタイムトラベルや、そういうことが興味の一番で、他のどんなことよりそれらが好きでした。これは私だけではなく、日本全体の子供たちに多かったと思います。

大体、当時は子供向けの本の様相が今とはかなり違って、中でも、漫画以外で男の子たちに人気のあったのは、怪獣本であり、UFO本であり、予言本でありました。五島勉の「ノストラダムスの大予言」が出たのも1973年で、今思えば、私や周囲の子供たちもみんな読んでいたので、小学4年くらいに「五島勉の洗礼」を受けていたことになります。

当時のオカルト本の中では、中岡俊哉先生の本はどの子供もどれかは持っていて、当時の子供たちにとっては「旧約聖書」的な存在でした。

中でも人気のあったのは、私も当時持っていたと思いますが、「写真で見る世界シリーズ 世界の怪獣」でしょう。「写真で見る世界シリーズ」なのに、本の中に写真が1枚もないというのもスゴイことですが、それ以上に内容がすごかったというのはあります。こういう「世界の怪獣」というようなタイトルがつくと、今だと UMA (未確認動物)のようなもの、たとえば、ネッシーだとか、そういうようなものを連想されると思いますが、この本は違うのです。

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▲ 発売は1967年だそうですので、ロングセラーだったんでしょうね。


たとえば、「なぞの人面怪獣」という怪獣のページは、

1948年、イギリス人の探検家によって発見されてから、その後、だれにも見つからなかったなぞの怪獣が見つかった。


というような、年代や日にち、場所等が明記されており、実にリアルな始まり方なのですが、始まってみると、

人面怪獣、それはからだつきは、クロヒョウそっくりで、体長が1メートル70センチあまり、尾の長さが60センチほどのものであった。


というような説明と共に、こんなイラスト

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があったりする。

最初は「へえ、外国にはそんな怪獣があるんだ」と読んでいるのですが、「爆発する謎の植物」や「宇宙怪獣ゲークラ」(クラゲと似ているからゲークラ)あたりになると、小学生の私でも「ん?」と思い始め、後半になって次から次へと出てくる宇宙怪獣の「バークトン博士を艇長とする金星ロケット艇7号は、金星に向かって快調にとんでいた」あたりになると、

「金星? もう人類って金星に行ってたっけ?」

と、やや猜疑心を持つつつも「まあ、しかし外国では秘密裏に行っている国もあるのかな」と、自分の猜疑心を打ち消したりしていたものです。

最近、こちらのページにこの「写真で見る世界シリーズ 世界の怪獣」がイラスト共に、「全編」アップされていました。本一冊をネットに複写するというのは並大抵の熱意ではないです。それだけ、思い入れのある人も多いのかもしれません。


中岡俊哉先生は他にも、UFO、宇宙人、テレパシー、死後の世界、幽霊、といったジャンルの本を多数出していて、多分、今の私たち中年世代がオカルト大好きになっている一因にもなっていると思います。

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▲ 1970年代に書店の「児童書コーナー」はこういう本で埋められていました。右上の「世界の怪奇画報」が中岡俊哉著です。すごい時代かも(笑)。


何だか話が異常に逸れてしまいましたが、「必殺シリーズ」が、第6の夜の1972年に始まって、今年2010年にその象徴的な人物である藤田まことが亡くなったというのは、マイケル・ジャクソンが1972年にソロ・デビューして昨年2009年に亡くなっていることを彷彿とさせる気がしたりしたのでした。

その第6の夜の始まりであった「1972年」に何となく興味が湧きました。いつものようなアンダーグラウンド文化ではなく、日本の大衆文化はどんなものだったのだろうと興味があり、調べていましたら、確かにいろいろと興味深い感じはします。四十代くらいから上の方にとっては、この1972年がなかなか興味深い年だったということは漠然とながら感じるのではないでしょうか。

まず、テレビ
この年に始まったテレビドラマで、個人的に印象的なもの。

・太陽にほえろ!
・木枯し紋次郎
・必殺シリーズ
・飛び出せ!青春
・レインボーマン
・人造人間キカイダー

終わったテレビ番組

・シャボン玉ホリデー

歌謡曲

・ちあきなおみ「喝采」
・小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」
・天地真理「ひとりじゃないの」
・山本リンダ「どうにもとまらない」
・平田隆夫とセルスターズ「ハチのムサシが死んだのさ」
・森昌子「せんせい」
・橋幸夫「子連れ狼」
・郷ひろみ「男の子女の子」
・アグネス・チャン「ひなげしの花」

など。
これらはこの頃、つまり9歳の時にテレビやラジオなどで流れていたものを聴いていただけだと思いますが、今でも全部歌えます。いい歌かどうかの判断はできないですが、この頃の流行歌の覚えやすさはかなりのものです。

ところで、郷ひろみの「男の子女の子」の歌詞はすごいですね。
調べてみると、作詞は岩谷時子先生なんですが、


君達女の子 僕達男の子
ヘイヘイヘイ ヘイヘイヘイ
おいで遊ぼう 僕らの世界へ走っていこう

幸福探すのは まかせてほしいのさ
ヘイヘイヘイ ヘイヘイヘイ
夢があふれる1度の人生 大事な時間


となっていて、一歩間違うと狂信的なカルト宗教っぽい雰囲気も漂うこんな歌詞を覚えやすい歌に仕立てたのはすごいですね。岩谷時子先生に関しては、高校の時に合唱で歌った、中田喜直作曲の「混声合唱とピアノのための組曲 - 都会」という歌の作詞をされていて、これがスゴかった。これは日本の合唱曲の宝だと思います。YouTube などにはなかったので、紹介はできませんが、音源が手に入ればアップしてみようかなと思います。歌詞も曲も難解ですが、素晴らしい。

ちなみに、私は高校の時は、昼は学校の合唱部でクラシックを歌っていて、学校が終わった後にパンクバンドの練習をするというイビツな高校生活をしていました。その合唱部は当時80名近くいた大所帯で、NHKの全国大会にも出場していた強豪校で、日々の練習が数キロのマラソンと、百回程度の腹筋と背筋運動から始まるという体育系でしたが、当然ながら部員は真面目な人々ばかりで、まあ、そっちはそっちでバンクスの連中たちと付き合うのとは違う人々との付き合いで楽しかったです。

昼間、真面目な高校の中でも特に真面目な男女高校生たちと3時間ほど過ごした後に、不真面目な人々の中でも特に不真面目な人たちと夜中まで過ごすという感じでした。

ちなみに、その高校の合唱部にいると、日曜になると交代で「教会で賛美歌を歌う」という義務というのか習慣がありました。なので、私も変な白い服を着て、賛美歌をたまに歌っていました。白い服の下には「 Fuck Off 」とか書かれたドクロのTシャツを着ていたりいましたが。


あー・・・。

話がどんどん逸れて、思い出話に突入してしまい、今日に関してはもう戻れない気がしてきましたので、1972年の大衆文化のことは続きで次にも書いてみようかなとも思います。時間のスピードの問題で、また書けないかもしれないですが・・・。

ちなみに、 Wikipedia などで1972年の出来事を見ていて、個人的にもっとも印象に残るのは、

・4月16日 - 川端康成が逗子市でガス自殺。
・7月12日 - ハイセイコーが大井競馬場でデビュー。
・ノーベル経済学賞 をイギリスの経済学者のジョン・ヒックスが受賞


の3点でした。

ハイセイコーは JRA という存在を考える上では、現在に至るまでも頂点にいる馬だと思います。

私はもう10年以上、競馬を見ていないし、馬券も買っていませんが、三十代の初めの頃、ものすごくハマッたことがあり、馬券で生活したいと思っていました。その頃、「競馬(あるいは馬券)の研究」を2年近くしていたことがあり、趣味が高じて、競馬雑誌の編集をしていたこともあります。

その「馬券の歴史」の中で(競馬の歴史、ではありません)でも、この「ハイセイコー」という存在は群を抜いて際だったものでした。どうして、地方馬であったハイセイコーという馬が、戦後最大のスターホースになったのか。あるいは仕立ててていったのか。

その仕組みはその後の「JRA の競馬と大衆の感情操作」とリンクしてくることです。
詳しく書いても仕方ないですが、たとえば、日本の競馬の競争体系というのは、世界に例を見ない複雑なものです。距離や賞金別ランク、芝ダート、年齢、別定、ダートなどでのレースの体系は恐ろしく膨大で、「なぜ JRA はそこまで日本の競馬を複雑にする必要があったのか」という疑問に結びつき、最終的に当時(1990年代のはじめころ)の私は結論のひとつに至りましたが、まあ、何となく陰謀論的な感じもするので、ここには書きませんが、ある強烈な不文律のもとで競馬運営はされていると今でも思っています。

まあ、このあたりのことはどうでもいいですが、ハイセイコーのデビューが第6の夜の始まりにあったというのは印象的です。

ああ、そうだ、忘れていた!
本当は、このニュースのことを書きたかったんですよ。
テクノバーンの記事で、テクノバーンは日本語版がなくなってしまいましたので、英語記事ですが、

Scientist finds previously unseen organic compounds from the Murchison meteorite
マーチソン隕石から見えざる有機化合物を発見

というものです。

40年以上前にオーストラリアに飛来した有名なマーチソン隕石の新しい分析は天文学者を驚かせました。 隕石(46億5000万年以上古いもの)は何百万もの見えない有機化合物を含んでいます。 たぶん、この地球で活動を始めた生き物の種子です。


と始まるこの記事は、先日書いたチャンドラ教授の言う、「人類の祖先は彗星になどに乗って地球に持ち込まれた宇宙微生物である」という意見と非常にリンクした話で、発見したドイツの研究者たちも興奮しているようですが、私も少し興奮しました。これが確認されれば、「生き物の種が彗星や隕石などに乗って宇宙のあらゆるところを飛び回っている。」ということが、ある程度は考えられるというように思われるからです。


そのうち、どこかでちゃんとした日本語の記事になるようにも思うので、その際にご紹介できればと思います。何だか、ものすごいスピードで、私たちの今までの科学的常識が少しずつ動いてきているような気はします。

何だか上から下までに内容にまとまりがなくてすみません。


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posted by noffy at 20:59 | 地球の歴史