2010年01月07日

夢の話と大量殺戮と太陽黒点の関係

もともと、夢はよく見るほうなのですが、それでも周期というのか、10年に1度とか、派手な夢を毎日見るような時期というのがあって、最近がそうです。

そんなに夢を見ない(あるいは覚えていない)という何ヶ月、何年というのは確かにあって、そういう時は夢は見るには見ますが、特に印象に残るような夢は見ないものです。

他の人の夢というのを具体的に聞くような機会はあまりないので、夢というのはある程度は誰でも現実離れしたものを見るものだろうと私などは思っていたのですが、私の奥様などによると、「すごい夢というのは見たことがない」とのこと。では、どんな夢を見るのかというと、日常生活の延長の夢がほとんどなのだそうです。日常との差がわからないような世界の中で「こんな忘れものしちゃって大変」とか「仕事でこんな失敗しちゃった」とか、そういう感じの夢のようです。

なので、私が(あまりに強烈で人に言わずにはいられない内容なので)たまに朝からベラベラと喋りまくる夢の内容が不思議だとよく言っていました。むしろ、そこまで日常的な夢を私はあまり見ないので、「夢がそんなに現実的だと、夢を見ることにそれほど期待がわかないのでは」ときくと、

「そうなのよ。夢の中にも夢がなくて」

とおっしゃったりするわけですが(苦笑)、夢は見ている時は「これが現実だ」と信じているわけで、起きた時に「あ・・・夢?」と気づくわけで、その分、夢が派手であれば派手であるだけ、落胆や、あるいはホッとしたりというのはあります。

ここ数ヶ月というもの、大地震だの津波だの宇宙旅行なんてのは、夢としてはもう普通のほうで、「どう見ても形を把握できない生き物たちと旅行している夢」とか、「地表がすべて七色の水で覆われた地球の上でキャバクラを経営している夢(どんな夢だ)」とか、もう何でもありな感じにはなっています。しかし、その中に今や昔のいろいろな友人や知人たちが頻繁に出てきたりもしていて、見ている時には現実味があります。

まあ、派手な夢は個人的には楽しくもあるので別にいいのですが、レム睡眠とかノンレム睡眠とかの絡みで考えれば、本来は寝苦しい夏などのほうが夢を見やすい気はしますが、夏頃はあまり夢は見ませんでした。

まあ、昨年少し書いたことがありますが、昨年春頃から始まった、睡眠障害(?)なのか何なのか、何時に寝ても、夜中のある程度の決まった時間に起きてしまう習慣は続いていて、そうとう泥酔していない限り、夜に寝て朝まで眠り続けたことがこの半年ほどありません。慣れると、どうということではないのですが・・・。

思い起こすと、以前こういう「派手な夢を毎日見た」というような時期があって、2001年の頃もそういう時期でした。その頃は今とは質が違うタイプの夢でしたが、スゴクて、その頃はとにかく「殺戮に関わる夢」を毎日見ていて、あまりに描写がスゴイので、当時仲間内の連絡用に持っていたインターネットの掲示板に、すごすぎる夢を見た時には、詳しく書いて報告していたほどでした。

「さすが脚本家だねえ」

とか言われたりしましたが、自分の想像力を越えたすさまじさで、そういう意味では夢を見るのが楽しみでもありましたが・・・。

とにかく「血」でしたね。人やら木やら怪物やらが手当たり次第に人間を引き裂いて、血をそのあたりにまき散らし、建物も地上も血だらけになって・・・(今思うと、これは「宇宙戦争」の後半の世界だなあ・・・)、みたいな夢を毎日のように見まして、掲示板に書く度に、「そんな夢毎日見ちゃうと疲れちゃうでしょ」などと言われていた時に、アメリカで同時多発テロが起きました、

そして、そのまま、血なまぐさい夢は見なくなりました。

これは当時の自分の解釈では、予言的なことではなく、「興味の対象が、同時多発テロに移ったので、心の中に占めていた暴力衝動的な心理(不満などを含めて)の部分が影を潜めて(あるいは昇華して)夢どころではなくなった」と考えています。

それから最近まで、見る夢はごく普通になり、この10年くらいはああいうド派手な夢はあまり見なくなっていたところで、最近数ヶ月のこの派手な夢の登場という感じです。これも第1に考えられるのが、「自分の意識の中にある変化への願望」というのが一番だと思います。

夢に関しては若い頃からいろいろと考えたり、勉強みたいなことをしたこともありますが、見る夢の大部分が、現実の生活や信念、感情、恋愛などからわき起こる「感情の変幻した形」であるとは思っています。

また、最近では、以前書いたことがありますが(フナブ・クーとか夢のこととか)、ヤスさんのブログで知ったデイムス少佐の「無意識の作用」に関して、

 > 人間の無意識は意識とはまったく異なる論理で作動しており、 異なった能力を持つ

というのがあって、夢も多分そうなのだろうと考えて今に至っています。

デイムス少佐は、

1)無意識のイメージに文法を正しく適用し、
2)無意識が送ってきたメッセージの意味を正しく解読する


ことが無意識の解釈に重要だとしていて、つまり、「無意識の世界は見たままでは間違った解釈になる」としています。

簡単に書くと、

・無意識の世界(夢や無意識のイメージなど)で見せられる世界は、見ていることを見ているのではなく、他のことをあらわしている可能性がある。

・だから、無意識を理解するには正しい解釈が必要だと。


これはユングも似たようなことを書いていたような気はしますが、「そのパターンの真実」ということになると、それを確立させるのは、現時点の理性的な科学では非常に難しいように思います。

なので、まあ、一般の解釈とか、学生時代から個人的な用途として蓄積している夢解釈などで「テキトーに解釈しておく」ということになっているわけですが、繰り返し見るイメージとなると、やはり「何とか解釈できないもんかなあ」とは思います。

最近の私の夢で、状況はともかく、イメージとして繰り返し出てくるのは、

・大量の水(川、洪水、津波など状況は様々)

・UFO、あるいはそれに属すると思われる乗り物

・地下


ですね。
どれもまあ、悪い夢ではないんですよ。
特に水は基本的に気持ちいいですし。
大量の死体なんかが出てくることも多いですが、死体の印象よりも水に圧倒されている感じはあります。

書いてもどうにもならないのですが、生涯でここまで、夢の中で大量の水にまみれるのは珍しいですので、つい書いてしまいました。

夢の話はまた次にでも続きを書きたいと思います。
ちょっと違うことを書いておきたいです。


大量殺人と黒点

この正月は、ふと思うところがあって、黒点の増加期、減少期と、各種犯罪についての相関関係などを調べていました。

もともとそれを思ったのは、コルマン博士の言う第6の夜に入り、黒点の増加した頃から突然、世界中で大量殺人が増え始めたことにあります。アメリカと中国が特にひどくて、中国では、2009年の12月だけで5件の大量殺人事件が起きています(たった5件のこれらの殺人事件の総死者数はなんと33人! ひとりで家族12人を皆殺しにした人もいます)。11月のフィリピンの大量殺人も、政治絡みとはいえ、総勢57人を短時間で全部殺すのはちょっと異常に感じます。

そして、過去の太陽黒点の増減表を見ていた時に、太陽黒点の最大期が「これまで私の興味があった大量殺戮の年代とリンクしている」と気づいたことにあります。

solar-s1.jpg

犯罪全体としてはまだ全然まとめていませんので、あくまで興味のひとつのとしてそのメモを書いておきます。

もともと私はずいぶんと若い時から犯罪、特に大量殺人や粛清などのことを読むのが好きでした。

1960年代の最初のほうの生まれという年代も関係あると思います。中学くらいの時にはカンボジアでポルボト政権が実権を握り、数百万人が粛清で殺された(可能性)のニュースが伝わってきて、中学校の図書館にある朝日年鑑なんかを開くと、ベトナム戦争の特集で、バラバラになったベトナム兵の死体を持ってポーズをとる米兵の写真なんかが出ている。

「世界中でなんでこんなに死んでるん?」

と、まあ中学生くらいでも思うわけですよ。

思い出話はともかく、生涯で印象に残る大量殺戮の代表としてこれらがあります。

ジム・ジョーンズ → 教団・人民寺院の主宰者。ガイアナに作った共同体村で900人以上を道連れに集団自殺(1978年の人民寺院集団自殺事件)した。

チャールズ・ホイットマン → 1966年8月のテキサスタワー乱射事件の犯人。

ペーター・キュルテン → 20世紀初頭の稀代のドイツの連続殺人犯。処刑直前まで彼のインタビューを続けた犯罪学者のカール・ベルク博士のペーター・キュルテンの資料が後の近代連続殺人の心理研究資料の原点となる。


これらは、継続的に調べることも多いものですが、個人の殺人に関しては最初は中学か高校くらいにコリン・ウィルソンの本で知ったものが多いです。今ではネットでもたくさん資料があるようですので、適当にリンクしておきます。私がそれぞれの説明を書くと、思い入れの問題を含めて、大変に長くなるので、説明はいたしません。

この3人はどれも稀代の犯罪者ですが、「人間とは何なのだろう」と考えざるを得ない、一種悲しい余韻と歴史を残して死んでいる3人ではあります。特に、人民寺院のジム・ジョーンズはキチガイカルトの代表のように言われることもありますが、少なくとも当初はそういうものとはかけ離れた理想の持ち主だったように見えます。

最近、人民寺院についてのドキュメント映画がアメリカで作られて、今では YouTube で全部見られます。英語だけで字幕はないですが、興味のある方はどうぞ。パート1からパート7までの分割でアップされています。

Jonestown: The Life and Death of Peoples Temple

jones-1.jpg


さて、黒点との絡みなのですが、とりあえず3つの事件だけではなんともアレですので、そこに私の興味のあるいくつかの事件の時期と黒点数の最大期を並べてみました。
事件はすべて1900年以降ですので、その期間の黒点の最大数の年は、1905年、1918年、1928年、1937年、1945年、1955年、1967年、1979年、1988年、2000年となり、そこにいくつかの大量殺戮を当てはめてみますと、




→ アンリ・デジレ・ランドリューの殺人の開始(1915)
1918年
→ アンリ・デジレ・ランドリューの殺人の終焉(1919)

→ ペーター・キュルテンの(デュッセルドルフでの)連続殺人の開始(1925)
1928年
→ ペーター・キュルテンの殺人数の頂点(1929)

1937年

1945年
→ エド・ゲインの墓堀時期(1947から1954)
1955年

→ チャールズ・ホイットマンのテキサスタワー乱射事件(1966)
1967年
→ シャロン・テート惨殺事件(1969)

→ ガイアナ人民寺院事件(1978)
→ デニス・ニルセンの連続殺人の開始(1978)
1979年




となり、チャールズ・マンソンのシャロン・テート惨殺事件事件以外は、「太陽黒点の増大期に事件は始まり、最大期に終わるか、最大期をまたいですぐに終焉している」ということがわかります。

そういえば、前述したポルポト政権の大粛清(殺戮自体は人民主導)は、1975年から1979年と、1979年の黒点最大期に向かって進んで終焉したものでした。


ヤスの備忘録のこちらの記事にあります、ロシアのチェゼセフスキー博士の研究によりますと、「黒点の最大期」は社会的には、戦争などの国家の狂気が実行されやすい時期であり、また偉大な事業が達成される時期でもあるのだそうですが、気になったの説明のこの部分です。

大衆ははるかに気が短くなり、自分たちの目標の実現の障害となるものはすべて破壊し突っ走る。暴動、革命、衝突など流血を伴う惨事が相次ぐ。大衆運動に対するいかなる抵抗も無意味に終わる。

一言で言うとこれは、大衆が無政府主義的になり感情を爆発させてしまうということである。感情のこの高ぶりの中で、大衆は自己防衛の本能さえ失って暴走する。



この中の

 > 感情のこの高ぶりの中で、大衆は自己防衛の本能さえ失って暴走する

これがこの時期の人間の方向性をある程度表しているのではないかという気もします。
自分の人生の中で経験した4回の黒点の最大期、

1967年
1979年
1988年
2000年

を振り返っても、個人的にもそのことを感じます。
多分、「熱狂」というようなキーワードとも結びつきやすい気がします。
左脳のほうではなく、右脳や本能が直接刺激されるようなイメージもあります。

いずれにしても、このお正月は、こちらの記事に書きましたが、世界のスーパー火山に思いを馳せたり、あるいは同時多発テロの時以上に繰り返し見る派手な夢の日々を前に、個人的にも世界も、本格的な変動への(願望も含めて)予兆などを見るのでした。
タグ: 黒点


Sponsored link




posted by noffy at 19:51 | 雑記