2015年03月06日

J氏の異次元との接触体験

ジローさんというのは、「Y嬢への謝罪」という記事などにも出てきた私の 30年以上の知人というか友人というか、そういう人です。

私の知り合いには現実的な人が多いんですけれど、このジローさんという人は、その中でも特に現実的な人で、オカルトだとかスビリチュアルとかそんなことにはまったく興味を示さないタイプの人なのですね。

あと、余計な夢とか希望とか、そういうものもあまり持たない人です。


self23-1988.jpg

▲ self23 の 1988年の舞台より(新宿タイニイアリス)。チェーンソーで舞台を破壊しまくる若き日のジローさん。


先日、用事があって久しぶりに電話した時のことです。

なんか怪我をしていたのですけれど、それにまつわる話をしていた時に、

ジロー 「パラレル・ワールドってあるんだよなあとその時思ったよ」
わたし 「なんだ唐突に? パラレル・ワールド?」
ジロー 「うん」


という意表をつく展開の話となっていきました。

わたし 「ジローさん、そういう話、興味ないじゃん」
ジロー 「というかね、ああいう経験しちゃうと考えちゃうよ」
わたし 「何があったんだい」
ジロー 「えーとね……(話の内容は省略)」
 ← 省略すんのかよ!

まあ、簡単に書くと、彼が長々と説明してくれたことは、

夜中に踏切を渡っていた時に、突然意識が飛びそうになり、踏切内で倒れてしまった。その時に、ふとまるで目の上の空間に現れた(ように見えたというだけですが)顔の輪郭がよくわからない女性と思われる人物が、スーッとジローさんを踏切の外まで体をずらしてくれた。その「人物」はそのまま消えるように姿が見えなくなり、ジローさんはその謎の女性に踏切の外に助け出された後に再び意識を失った。

というような話なんですが、続けて次のような話をしました。

わたし 「そもそも、なんで意識が飛びそうになったん?」
ジロー 「いやあ、それはよくわかんないんだよ」
わたし 「病院行った?」
ジロー 「次の日に行った。体は何でもなかったけど、腕の骨が折れてた」
わたし 「ひぃッ、骨折するほどひどい倒れ方したんかい」
ジロー 「だと・・・思う。よく覚えてないんだよ」
わたし 「どうして、その女の人が人間らしく思えなかったの?」
ジロー 「近づいた時に感じた」
わたし 「感覚的な話?」
ジロー 「それもあるけど、普通は助ける時って声かけたりするだろ。その人、最初から無言で、ふわっと現れて、その上、俺をスーッと、あっという間に踏切の外まで出してくれたんだよ」
わたし 「無口で力持ちの女の人もいるだろう」
ジロー 「そういう問題かよ」
わたし 「しかし、その人が誰であろうと、その時助けてくれていなかったら、そのまま踏切の中で倒れていたわけか。轢かれていた可能性もあるんだね」
ジロー 「その時思ったんだけどさ。あの時、『電車に轢かれて死んでいた自分』の存在を感じたんだよな」
わたし 「複雑な話になってきたな」
ジロー 「多分、あの時、俺は死んでたんだと思う」
わたし 「今生きてるじゃん」
ジロー 「死んでも他の宇宙は交差しているわけでさ。今、オカと話しているこの宇宙は、その時の宇宙とは少し違うかもしれないとかさ」
わたし 「ジローさんの口から出ると、むしろ夢があるというより、深刻に聞こえるな」
ジロー 「助けてくれた女の人の異質感って、次元の問題なのかなと思ったり」
わたし 「うーん、ジローさんがそんな経験をする時代になったのか」



実はここのところ、この「違う次元の存在」と触れる人の話が周囲で妙に多くなっていて、もちろん、私自身はそんなものとは縁がないですが、正直、「ものすごい話」を見聞きしたりすることがよくあります。

それは、いわゆるスピリチュアルで語られることに近いのだけれど、本質的に違います。

うまくは書けないですが、今の世の中で語られるスピリチュアルが「一次元宇宙(ひとつだけの宇宙)」に立脚したものであることによることをつくづく認識させられる部分があるのです。

そういう意味では、今の世で語られる多くのスピリチュアルは「多次元宇宙の中では、あまり意味や価値のないものなのかもしれない」とさえ思うのですけど、まあしかし、ジローさんの話の場合は、本人も意識が朦朧としていたわけで、いろいろな思い違いや、あるいは勘違いがあるとは思います。

ただ、先ほども書きましたけれど、ジローさんという人がまったくオカルトやスピリチュアルに興味を持たない人であるわけで、

「そういう出来事を待ちわびている」ということはない。

ということがあり、話に尾ひれはついていないと思います。

しかし、なぜ、ジローさんが、そこで「他の宇宙」という直感に結びついたのかについては、よくわかりませんし、本人も「よくわからない」と言っていました。

だから、結局この件については、よくわからないと。

それにしても、周囲の人々は確かに何だかどうにもいろいろなことを経験しているようで、それがいいことなのか悪いことなのはわからないですが、考えさせてくれるところではあります。

私はといえば、相変わらず異次元的なめまいと奮闘中なだけです。


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posted by noffy at 18:09 | 現世人類としての最期に