> 昔から夢はよく見ましたけれど、現実的ではない夢を見ることが多く
と書きました。
これはどんなものかというと、自分の現実や経験と「まったく関係のない夢」のことで、たとえば、 In Deep の2年ほど前の記事に、前日見た夢を書いたことがあります。
それは、
> ロサンゼルス(あるいは西側に海岸がある華やかな街)らしき場所が複数の核攻撃を受けて、私はちょうどの現場に居合わせた「夢」を見ました。灰と化した人々が白い雪みたく道の上に積もっている。
という夢でしたが、これは明らかに自分の現実とは関係しない夢です。
少なくとも、こんなことは、これまでの私の人生で経験したことのない光景ですし、未来的にも、今生でこのような光景の場所に実際に居合わせることがあるとはちょっと考えられません。
それに対して、現在、毎日のように見ている夢は、明らかに「現実の体験や生活」と平行しているのです。
しかし、平行しているけれど、実際にはそれらは体験したことのある光景ではない。
というような感じなんですね。
ふと、シュタイナーの著作『いかにして高次の世界を認識するか
シュタイナーは、「夢と眠りの状態」について、この本でかなりスペースを使って記しています。
人間には、
・目覚めている状態
・夢のある眠り
・夢のない深い眠り
という意識状態が交互に現れますが、その中の夢を見ている状態について、夢には二種類あるとしています。
そのあたりを読み返してみると、それは、先ほど書いたような
「非現実な夢」(第一の種類の夢)
と
「現実と平行した夢」(第二の種類の夢)
のふたつに分類できることに気づきました。
そして、以前は「第一」の夢がほとんどだった私ですが、現在ずっと見続けているのは、「第二の種類の夢」となりそうです。
そのシュタイナーの記述から抜粋します。
意識の持続性の獲得
シュタイナー『いかにして高次の世界を認識するか』より
私たちは眠りの体験を、二つの種類に厳密に区別することができます。
第一の種類の体験は、私たちがそれまで体験してきたどのような事柄と比べても、まったく異質のものです。私たちは最初のうち、これらの体験に喜びを感じたり、これらの体験を楽しんだりするかもしれません。しかしとりあえずは、このような体験をそのままにしておくことにしましょう。
第二の種類の体験は、注意深く観察してみると、私たちが生活している日常的な世界とある種の類縁関係にあることがわかります。
すなわちこのような種類の眠りの体験は、私たちが昼間生活しているあいだにそれについて思考し、理解しようとしても、通常の悟性ではとらえることができない周囲の世界の事象について明らかにしてくれるのです。
日常生活において、私たちは自分のまわりに存在する事柄について考えます。
私たちは事物のつながりを理解するために、さまざまな表象を作り上げます。あるいは私たちは、感覚をもちいて知覚した事象を、概念をとおして理解することを試みます。
第二の種類の眠りの体験は、これらの日常的な表象や概念と関わります。このような眠りの体験を通して、それまでの影のような暗い概念が、感覚的な世界の音や言葉にのみたとえることができるような、響きにあふれた生き生きとした性質を帯びるようになります。
私たちは次第に、解かなくてはならない謎の答えが高次の世界から音や言葉をとおして伝えられるのを感じるようになります。
私たちは、このようにして別の世界からやってくるものを日常生活と結びつけることができます。
抜粋は以上です。
まあ、自分の夢がそんな大仰なものなのかどうかは知らないですが、やけに現実的な夢の世界は淡々と進行しています。
昨晩などは、なんか変な儀式みたいなものにのぞむ光景で、今の現実の私の友人たちと共にその会場にいる夢でした。ネクタイを自分で結べない私は、友人にネクタイを結んでもらいながら、小走りに駆けていきましたが、どこに駆けていったのかが思い出せません。
【現世人類としての最期にの最新記事】