
▲ 1990年代後半のドキュメント『ヒストリー・オブ・ロックンロール』より、セックス・ピストルズについて懐古するエルヴィス・コステロ。ここでは「特に英国の音楽業界がパンクでの混乱から立ち直るのに」という意味です。
私は三十代より以前は、とにかくすぐ熱を出す人で、十代からやっていたバンドにしても、その後の演劇のようなものにしても、ステージ本番の時には「熱を出していなかったことの方が少ない」という弱い少年でした。いつも発熱と共に練習やイベントに臨んでいました。
晩年期を迎えた今は、体そのものは昔より強くなりましたけれど、「精神のほうはどうなんだろうなあ」とかは思います。若い頃は何だかんだと怒りやすかった時代もあった私ですけど、今は「怒り」という感情がほとんどない人間となってしまいました。 3.11以降、この「怒りが消えた」状態はさらに強くなり継続しています。
これはこれでいいのですが、昔を振り返るとさびしい部分もないではありません。そういう意味では、それなりに周囲も含めてカッカッとしていた頃を思い出します。それは、第21太陽活動周期(サイクル21)の活動最大期間近の 1978年から始まりました。
パンク的思想(行動は伴わず)な生活が始まった頃
小学校の高学年くらいからロックのようなものを聴き始めてはいましたけれど、何だか中学2年くらいには「普通のロックに飽きていた」ような気がして仕方ありませんでした。
当時の中学校で人気があったのは、男の子なら、キッスだとか、ディープ・パープルとかのたぐいのメジャー・ハードロック系で、女の子なら、キャロルだとか、ベイシティ・ローラーズなどだったように記憶しています。
でまあ、なんか、そういうものすべてが聴いていて退屈な感じになったんですよ。
そのような時、忘れもしない中学2年の時。年は 1977年か 78年ですかね。レコード屋で、セックス・ピストルズの『勝手にしやがれ』(邦題。原題は Never Mind the Bollocks )という下のジャケットのレコードを見まして、実はセックス・ピストルズに関しての知識は何もなかったのですけど、「ジャケットかっこいい」とジャケ買いをしたのでした(当時もその後も私はジャケ買いが多いです)。

・Amazon
そして、家に帰りまして、レコードに針を乗せた時に流れた1曲目が下のホリデー・イン・ザ・サンという曲で、この曲には「さらばベルリンの陽」という邦題がつけられていました。
Sex Pistols - Holiday in the Sun
イントロを聴いただけで、
「ああ、これは」
と、正直、絶句した思い出があります。
今聞けば、それほど激しいロックでも、それほど荒い演奏であるわけでもないのですが、こんな音楽はそれまで聴いたことがなかったわけで、瞬間的に興奮したのでした。世界中、そして日本でもたくさんの十代が同じように興奮したことが想像されます。
演奏もですが、何より、空間を狂気のように飛び回るジョン・ライドンの声は、その声そのものが強烈な存在でした。
私は音楽雑誌をほとんど買わない人だったんですが、「このバンドについて知りたい」と書店に行きましたら、音楽専科という雑誌だったと思いますが、ピストルズのポスター付きで売られていて、それを買いました。
家に戻り、それまで部屋に一番目立つところに貼ってあったレッド・ツェッペリンのポスターをずらして、最も目立つ場所にその日からセックス・ピストルズのポスターが貼られることになるのでした。
構図は違うかもしれませんが、下の撮影の際の写真が使われているポスターでした。

・John Peel Wiki
1970年代のロンドンのパンク・ムーブメントを知らなかった私は、上のファッションにも感銘を受けました。そして、このポスターを大変に気に入りまして、そのお気に入りぶりは、たとえば、中学校の修学旅行の際にも持参して、
「皆さん、ちょっとポスター貼らしてもらいますよ」
と宿泊した旅館の大部屋の壁に貼ったくらいでして(笑)、それなりのインパクトを私に与えたものではありました。
しかし、その後、ハードコアパンクだとかノイズだとかを知るようになるにつれ、中学の時にあんなにはしゃいでいた自分が急に恥ずかしくなり、中学の終わり頃から 10年も 20年もピストルズを聴かない時が続きました。
確か、中学以降で再びセックス・ピストルズの上のアルバムを聴いたのは、40代になってからだと思います。
セックス・ピストルズは、ゴッド・セイヴ・ザ・クィーン( God Save The Queen )という英国王室を揶揄する歌を「放送禁止状態のまま全英ヒットチャート1位にした」というようなこともしていますが、そのピストルズの解散から 20年近く経った 1990年代中盤のドキュメント番組で、ジョン・ライドンはその時でも以下のように王室に対して言及しています。
「自分たちを押さえつけているものを攻撃するしかないんだよ。イギリスの階級制度は永遠に続いていくんだ。その代表が王室ってわけさ。大目には見られない」(ジョン・ライドン / 1997年)
他のメンバーにはこのような思想性はなかったと思いますけれど、少なくともジョン・ライドンは、「自らを押さえ込めているものへの攻撃」という主張を持ってバンド活動をしていたようで、そのような「パンクの精神」は、その後のカウンター・カルチャーの中で、しばらく続いていたようにも思います。
しかし、1980年代が終わり、1990年代も終わり、21世紀に入る頃には、そのような思想は世の中から減衰して、最終的には消えた感じがあります。もう文化で反抗するムーブメントは(形骸化したものは別とすれば)本当の意味では残っているのかどうかは微妙な気がします。
社会が良い社会であれば、それは穏やかでとてもいいことなのだと思いますが、今の社会の場合はどうなのかなとも思います。もう、私たちは変革のキッカケを失ってしまったかもしれないわけで、これも民意だとすれば、仕方のないことなのかもしれません。
ちなみに、上の曲「さらばベルリンの陽」は、ドイツのベルリンに旅行に行った時のことを歌詞にしたもので、大ざっぱに訳せば、下のようなものです。
ベルゼンというのはナチスの強制収容所があった場所です。
Sex Pistols - さらばベルリンの陽 / Holidays In The Sun 訳詞
他人の不幸を観光するチープな旅
太陽に照らされたホリデーなんて要らない
俺は新しいベルゼンに行きたいんだ
何か歴史を見たい
今は手ごろなエコノミークラスがあるから
そして今、俺には理由が分かった
ベルリンの壁が待ち続けられてる理由が
2インチの壁に響くセンサラウンド
そう、俺は共産主義者のコールを待っていたんだ
俺は陽射しに聞いたりなんかしていないし、俺には第三次世界大戦がある
俺が壁越しに見れば、奴らも俺を見る
そして今、俺には理由が分かった
ベルリンの壁が待ち続けられてる理由が
そう、奴らは毎日夜も昼も監視している
俺がここにいる理由なんてまったくなかった
でも今理由が分かった これは本当の理由じゃない
そして、俺はベルリンの壁で待つんだ
ベルリンの壁を越えなきゃならない
じゃなければ少しもわからない
閉所恐怖症 そしてパラノイアだらけ
隠れ場所が多すぎる
それでいつ俺たちは落ちるんだい
ほとんど娯楽の要素のないタイトな歌詞です。
そして、多分、この曲と共に、私の短いパンク的な思考生活が始まったことは否定できません。
とはいっても、方法は人それぞれで、私の場合は、「自分を押さえつけているものを攻撃する」ために行うとした場合であっても、対象への憎悪や誹謗を伴わない形での「流れるようなもの」でありたいとは今でも思い続けています。
タグ:パンク SEX PISTOLS
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