2009年12月07日

No Fear - パニック障害や不安神経症を経ても思う「すべての経験はいい経験だ」ということ

私のここでの何とかネームは noffy としていますが、もともとは、メールアドレスなどを見てもおわかりかと思いますが、ここ10年くらい「nofia」という名前を使っていまして、完全に同じじゃ何だかアレなのでちょっと変えていたりする次第です。

nofia は英語の綴りの「no fear」(「怖れない」)の発音を綴りにしたものが先に存在していて、その語感が好きです。もっとも、この「no fear」というのはなかなか厄介な英語で、口語ではむしろ「強い拒絶」を示すようです。

まあ、しかし思えば、こんな「no fear」という単語も昔の私には切実で、何度か書いていますが、私は25年くらい前に不安神経症となり、パニック障害に陥りました。

パニック障害や不安神経症というのは基本的に「恐怖に取り憑かれる病」であって、理由もよくわからない、原因もよくわからない、しかも、内部(感覚的には脳の左右とか)に恐怖と苦痛が巣を作っている感じで、どうやっても逃れられないようなところがあります。病気自体の苦しさというより「逃げられない苦しさ」が強いです。

治療に関しては、西洋医学での治療法はひたすら薬物投与で、そりゃまあケミカルな作用があるから、対症療法としては効いたりもするのですが、そんな薬漬けの治療が根本の解決になるわけがない。アメリカでは人口の50%が精神に関する何らかの薬を服用していると、WebBot にはありましたが、アメリカの薬漬けぶりはすごいようです。
そして、日本の西洋精神医学も基本的にそのあたりから来ています。

もう十年以上前ですが、個人がインターネットでホームページを作れるようになった頃ですので、1996年くらいですかね。これに関してサイトを運営していたことがあります。私がはじめて作成したホームページで、パニック障害と不安神経症に関しての雑感をダラッと書いたものでした。確か「神経症治癒マニュアル」という名前だったと思います、何度かのPCやハードディスクのクラッシュを経て、今は原文もオリジナルも手元にないですが、「治癒マニュアル」と謳いつつ、そこに書いたのは、

「完治はできない」

というまるで諦観のような結論でした。

実際には「完治」というのはあったかもしれないし、あるかもしれないのですが、「完治はできない」と思って生きていた方がいいということを言いたかったのです。
それは「完治できる」と希望を持って生きることがむしろ絶望を導く可能性があると考えたからです。

神経症のような病気は風邪などと違い、「ある日すっきり治る」とはいかないわけです。何となく良い方向にいっている感じがしたり、ちょっと良くなかったりという曖昧な毎日の感覚の中で過ぎていくわけで、完治したとかしないというような「ふたつにひとつ」の価値観で対処した場合、「完治しなかったと感じた時に絶望してしまう」恐れがあると思ったのです。「治る」と「治らない」の2つではなく、その間にある無数の状態こそが自分そのものなのだと。

だから、

「今日調子がいいならそれでいいじゃん」

と、というように毎日流して生きていれば、そのうち、脳に張り付いたような苦痛そのものもの存在を忘れられるかもしれないじゃないですか、という意味でした。要するに「治る」ということを忘れるということです。自分の病気のことを忘れることをできれば、それこそ完治したも同然だと私は思います。


今日は一秒忘れることができた、明日は一分忘れよう、と。
(信じられないかもしれないですが、ひどい時はこんなもんです)

これは文字で書いても意味がわからないと思いますが、経験ある方なら実感できることだと思います。

「苦痛がその持ち主を捕らえて離さないようにする」のがこの病気の正体で、もっと言えば「持ち主が持ち主を苦しめている」のだから、敵は自分自身なので、本当に強大なのです。自分が敵なのだから勝てるわけがない。平等の相手と戦うという非常に形而上的な病気とも言えるかもしれません。

しかし、「自分に勝つ」のは無理だけど、考えれば「自分に負ける」というのもないわけですから、「そのまま」でいればそれでいい。両者睨み合いのまま50年とかですね。そんなに長い間、睨み合っていれば、睨み合っていること自体忘れるでしょうし。


これが私が十数年前に自分で導いたパニック障害や不安神経症との接し方でした。つまり、「治すことに意識を集中させるのではなく、ふだんの生活を楽しんで、そのうちに適度に忘れるようにしていく」ということです。

これは以前書いた森田先生の本から学んだことでもあり、森田先生の書かれていた「なすがまま」という精神はつまり、「自分との戦いには勝ちも負けもなく、そのまましかない」ということで、これは、以前、 Walk in the Sprits さんが書かれていた Faith に通じるということで、世の中なんでも繋がっているんだなあ、と最近思います。

そして、ヤスさんのところで知ったコルマン博士の論文は、今は良くなったとはいえ、神経症としての私の行き着いたひとつの大きな希望であるのですよ。

コルマン博士はこの論文で、左脳と右脳に二極分化して統合できなくなっていた人間の意識がじきにバランスを取り戻すと書かれています。これを信じるとか信じないとかはともかく、「左脳と右脳のバランスの問題と神経症」に関しては個人的に、少なくとも理論ではなく、感覚的に思うところがあって、それなら、最大の理想的なことを言えば、「すべての人間の左脳と右脳のバランスが戻ってきた場合には、この世から神経症やパニック障害が消える」ということにも繋がるわけで、そこまでの理想は自分でも想像しにくいですが、でもまあ何となくアリかなあと思っています。


ちなみに、上の「神経症治療マニュアル」というサイトではいろんな人と知り合いました。

そして、私もそうだったですが、おもしろいのは「神経症になって以来、どんどん人格が丸くなっていく」のです。私が会った人々も全員ではないですが、穏やかで人付き合いの楽しい人が多かったです。

多分、攻撃的に生きていると、神経症は良くならないのかもしれません。自然と自分でそれを悟り始めるような気もします。二十代までは結構トゲのある生き方もしていましたが、まあ、今は穏やかですね。穏やかというか、「二元論でものを考えない」ようになりました。「治る」と「治らない」の間にたくさんあるいろいろな状態や症状や感情。

それを観察して、初めて自分がわかるのかもしれないなあ、なんて殊勝なことを考えたりしたものです。なので、今ではむしろ病気に感謝しています。やっばりそのことでいろんなことを知ることになりますしね。「すべての経験はいい経験だ」という言葉はさほど間違っていないと思います(誰の言葉だ?)。

そういう意味では、みんな一回神経症になるといいですね(笑)。

突然こんなことを書いたのは、先日久しぶりに飲みに行った飲み屋でそこの主人が「実は自分はパニック障害だった」というような話になったことがあります。

神経症のことだけ書いて興味のない人にはすいませんでした。


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posted by noffy at 17:56 | ペアである自分