昔・・・まあ、どのくらいの時代まで遡ればいいのだかよくわからないのですが、まあ昔。
その頃、昨日や今日の日本のように豪雨と大地震が一気にやってきて、何だかもう被害にしても感情的にしてもグチャグチャになった時には、・・・やはり人々はお祈りをしたのではないですかね。
宗教があった時も、あるいはまだ宗教のできる前だとしても、何にお祈りしていたのかは別としても、神や大地や仏様やいろんなものに、村だの部落だののみんなでお祈りをするのがまず最初だったような時代もあるような気がするのです。
多分、昨日も今日も少なくとも日本では、老人ですら大地にお祈りしている人はあまりいないような感じですし、それよりも気にするのは、わかりもしない原因をわかりそうに解説している専門家などのテレビなどの意見。それをフムフムとか聞いて納得しているという時代。
ワタクシなんかもこちらのブログでは、やはり、わかりもしない原因をわかりそうに解説している一人なわけですが、まあ確かに・・・こんなんだと神様というのか大地というのか、やっぱりそっぽを向かれる感じはしますね。
例の愛さんのブログですが、先日の記事にこういう下りがあります。
しかし、中には、不足感を胸いっぱい、体いっぱいにたたえるこどももいる。
親が持ってきた餌もどこかに隠してあとで食べるような不審感丸出し。
これでは神も、ああそうですか、、自分で対処したいんですね、、、と言って突き放したくもないけど相手の思いを尊重する手前、構わなくなる。
だから人生はどうしてもきつくなる。
自分は守られていると考えることによって「任せられた神は悪い気はしない」というようなことを書かれています。まあ、これ自体は人生論のような感じですが、地球に対しての態度にも当てはまるのではないかなあと考えたりするわけです。
あと、 Walk in th Spirit さんの8ヶ月くらい前の記事なのですが、Perfect Stormの対処、JPJacksonからに、こういう言葉が紹介されています。この記事は私が「Faith」という英語の意味を覚えた記念すべき回(ドラマじゃねーって)なのですが、キリスト教関係の予言者としても知られるジョン・ポール・ジャクソン師(そちらの世界では大変に尊敬を受けている方らしい)の言葉があって、
神の原則は、Sin separate us from God.(強欲(罪)は、神の保護をなくしてしまう、)
神のProtection(保護)がなくなった人、社会は敵の手に渡ることになる
とあります。
この言葉と愛さんの言葉はわりと似たことを言っているような感じがするのですね。
これを今回の災害や天災に当てはめると、今の人間は「地球への畏怖なくしても人間はまだまだ自力でそれに対抗していける」と思っているフシがあるように見えるのです。
そうすると、地球も宇宙も、「じゃ、ご自分でどーぞ」と。
何となく悟ったのは、これからの世の中は、
1. 庇護が必要な人
2. 庇護は必要ない人
にわかれるということかもしれません。
「2」の庇護は必要のない人は、努力やがんばり、計算、知識、経験、コネクションなどあらゆる手を尽くして自力で道を切り開いていく人です。
どちらかというと、今の世の中では「立派な人」と言われるタイプだと思います。
私はそれを否定しませんし、そういう人たちがいなくなるとも思えませんし、何よりそういう人たちが今までの世界(この2000年くらい)では必要でした。
そして、もう一方で「1」の人がいる。(「庇護が必要な人」というより「庇護があって自分が今ここにいる」と思っている人ということかもしれません)
「1」の人の基本理念と生き方については、 Walk in th Spirits さんのこちらの記事からいただきますと・・・・・これです。(Faith のイメージは relax with sitting in the sofa だそう)

庇護を求めるには必死ではいけなくて、そして、愛先生の言うように「不足を埋める努力では得られない」ということになるようではあります。「漫然と地球と宇宙に身を任す」ということになるのかもしれません。(「漫然と」は違うなあ・・・まあいいか)
・・・今、人類は全体としては「2」を選んでいるように見えます。
ヤスさんの最新記事では、マヤ長老評議会のカルロス・バリオスのインタビューが掲載されているのですが、
カルロスが言うには、マヤの長老たちは悲しみにくれており、また大変に疲れているという。長老評議会は、自分たちの英知と知恵を世界の民衆と分かち合うために大変な努力をしてきた。だが、これからどのような危機が迫っており、人間が危機を回避する力をもっていることを説明することに彼らは疲れ果ててしまったという。これはマヤ族の責任ではない。一人一人の責任なのだ。
という記述があります。
「マヤの長老たちは悲しみにくれており、また大変に疲れている」というくだりは意外であり、また、何とも悲しいことにも思いました。
いずれにしても、このまま私たちが地球や宇宙に畏怖することも感動することもなく、地球という対象にさえ興味を持たないようなままだと、ひたすらカタストロフ・・・というか、今のすべてのシステムは制御を失ってピューッて弾けて飛んでいっちゃうような気はします。本当にカオスですね。
上で紹介したPerfect Stormの対処、JPJacksonからには、ジョン・ポール・ジャクソン師の動画へのリンクがあります。これから来る「パーフェクト・ストーム」のことについて語っています。英語のおわかりになる方はどうぞ。顔も声もいかにも「師」という感じの方ではあります。

The Coming Perfect Storm - Part 1
信仰、政治、経済、戦争、地球物理学的事象の5つ分野のパーフェクトストームについて語っています。
私はとりあえず、ゆったりと覚悟いたします。
悲壮な覚悟をこんな感じで・・・

ゆったりと・・・。
(しかも、この姿勢だと死んでもこのままでいられます)