(今、第8サイクルの1999年1月〜2011年10月28日の間にいるということを前提として)
・現在の多くの人が一つ前の1755年〜1999年の第7サイクルの期間に生まれている。
・第7サイクルの第6の日のミッドポイントは1962年である。この時期の後半は1962年から1972年。
という2つで、後半に関しては、先日、その頃とを振り返ったりしてみたわけですが、やはり一番気になるのは上の「現在の多くの人が一つ前の1755年〜1999年の第7サイクルの期間に生まれている」の部分なのです。
私もそうですが、今生きている多くの人はその期間に生まれている。
これは、10歳以上の人は多くがそうだと思います。1755年以前に生まれていた人はほとんど生きていないと思うので、私たちの世代は、大体、「第7サイクルの期間の人々」と共に生きてきたと思われます。
コルマン博士によると、1999年以降に生まれた子供、つまり現在10歳より下の子どもたちは私たちとはかなり違う価値観、あるいは私たちとは違う役割の世代だと言えそうだということかもしれません。
私たちのこの世代(1755年〜1999年)というのは、大体、産業革命が始まるあたりからのもので、消費万歳文明をまっすぐに成長させてきた役割でした。その間に地球は搾取され続けてヘトヘトになってしい、人類はなす術がなくなっているわけですが、コルマン博士によると、第8サイクル(1999年1月〜2011年10月28日)の意味は、
「男女、国家、人種、宗教の間でより平等で全体的な見方の枠組みを導入することである」
ということなのだそうです。
あるいは、
「経済成長が止まらない限り世界は終わってしまう」ので、
これを食い止めてくれる役割を今の10歳以下の子どもたちは持っているのかもしれません。
そういう思いを持って、自分の子どもを見てみても、そんな壮大な意志を持っているとも思えず、子どもの方もジュースを私のノートパソコンにこぼして逃げていったりしていて、「うーん・・・これではノートパソコンが壊れてしまうなあ」と考えつつ、少し遅れて「コラー」と叫んだりしています。
これらの思いの中から出てきたのが「1999年」という年でした。
1999年に関しての考察(先延ばし中)
機転となっていると考えられる、この「1999年」という年はどんな年だったのか、ということを最近考えているのですが、政治経済はともかく、文化の面で1962年からの抵抗文化と同じアプローチで考えていくと、異常に複雑で膨大になってしまい、メモだけでも恐ろしい量となり、まとめるのは諦めました。単なるマニアックな文章となってしまいます。(それだけ音楽、芸術、生活スタイルなどが多様化したということでもあるかもしれません。)
ただ、「その頃に何かあるか」と言われると、「あります」と答えられるように思います。それは1963年のビートルズブームが後世に与えた影響のようにわかりやすいものではないですが、確かにあるようです。
詳しいことは書くのを諦めましたが、ひとつの例として、このシールの存在を挙げておきたいと思います。

ペアレンタル・アドバイザリーというシールで、輸入盤のCDなどを買う方ならわりと見るのではないでしょうか。これはつまり「青少年に良くない内容と言葉を含んでいます」という米国レコード協会のシールです。今ではむしろ、まともな音楽にはほとんど貼られているので、何のことだか意味がわからなくなっている感じもありますが、これが「公的に内容が否定された言葉と内容」を示唆している点では今でも同じです。
このシールが登場した1990年から現在までの全米ヒットチャートとの動きを見てみるのも面白いように思います。
ちなみに、1999年のビルボード誌による全米ヒットチャートのナンバー1をとったアルバム(Billboard No.1 Hit ALBUMより)には19の作品がありますが、この一覧を見ると、この中の10のアルバムにペアレンタル・アドバイザリーのシールが貼られていたと推測されます。(下の表/赤い字がペアレンタル・アドバイザリー・シール付きだったと私が推定するものです)
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1. スーパーナチュラル - サンタナ 12週
2. ミレニアム - バックストリート・ボーイズ 10週
3. ベイビー・ワン・モア・タイム - ブリトニー・スピアーズ 6週
4. ファンメール - TLC 5週
5. シグニフィカント・アザー - リンプ・ビズキット 4週
6. ALL THE WAY... A Decade Of Song - セリーヌ・ディオン 3週
6. フレッシュ・オブ・マイ・フレッシュ、ブラッド・オブ・マイ・ブラッド - DMX 3週
8. フライ - ディクシー・チックス 2週
8. アイ・アム... - NAS 2週
8. ヒューマン・クレイ - クリード 2週
11.Made Man - シルク・ザ・ショッカー 1週
11.チャイナ・ドール - フォクシー・ブラウン 1週
11.ライド・オア・ダイ - ラフ・ライダーズ 1週
11.プレイス・イン・ザ・サン - ティム・マッグロウ 1週
11.Ricky Martin - リッキー・マーティン 1週
11.Christina Aguilera - クリスティーナ・アギレラ 1週
11.ザ・フラジャイル - ナイン・インチ・ネイルズ 1週
11.バトル・オブ・ロサンゼルス - レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン 1週
11.ブレス - フェイス・ヒル 1週
11.Issues - コーン 1週
11.ボーン・アゲイン - ノトーリアス B.I.G. 1週
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シールが貼られている多くはラップ系のヒップホップで、ヒップホップの場合は歌詞に fuck が入ることが常態化しているという理由もあるかもしれませんが、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのように、わざと全員で逮捕されるようなことをしたりして反抗的な行動を示すグループも、この頃から多くなりました。アンダーグラウンド・ベースの人たちではなく、「全米ヒットチャートを毎回飾る人たち」があえて逮捕されるという影響にご注意下さい。
「話題作りだろう」という声があるかもしれませんが、そもそも「警察に逮捕された方が人気が出る」という受け手側の価値観にもご注意下さい。
彼らは、この上にあるアルバムの曲のプロモーションのために、ニューヨーク証券取引所前でゲリラ撮影をして、撮影監督ともどもNY市警に逮捕されています。撮影監督は後に「ボウリング・フォー・コロンバイン」などのドキュメンタリー映画で有名になるマイケル・ムーア。私はマイケル・ムーアと体型が似ているので親しみがあります(笑)。
ちなみに、「ボウリング・フォー・コロンバイン」の題材となったコロンバイン高校の銃乱射事件も1999年でした。

▲ レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンによるニューヨーク証券取引所でのゲリラ・ライブ。演奏後、マイケル・ムーア共々全員逮捕される。このままプロモーションビデオに。
ペアレンタル・アドバイザリーはひとつの例であって、他にも面白い動きはあるのですが、「民衆と音楽」という関係の流れを時代と共に見ていくことはおもしろいと思います。
これは、限られた一部の人しか作ることができない、そして聴くことさえもできなかった中世のクラッシックという音楽環境から少しずつ民衆の手に音楽が戻っていく過程だとも言えます。
特に、打ち捨てられていたターンテーブルとビニールレコードを使って、ストリートで何の音楽知識もない黒人たちが始めたところから始まり、世界中に広まっていったヒップホップ(と、踊りのためのフロアミュージック)はその例かもしれません。
誰でもできる、誰でも聴ける。
音楽は「才能のある人から与えられるもの」ではなく、誰でも参加できて共有できるものだ、という意識です。数千年前とかまでは音楽はそうだったのではないですかね(わからないですが)。
あと、1999年の象徴的な出来事として、6月1日に「米国のナップスター社が音楽のダウンロードサービスを開始した」というのもあります。
営利を目的として始まったこの「音楽データ化によるインターネットへの音楽の放出と共有」の試みは、結果として「実質的な音楽の無料化」に繋がってきています。今では少し努力すれば、どんな種類の音楽でも無料で手に入れることができます。良い悪いの問題ではなく、「実際にできる」ということが重要です。これを食い止める手段はインターネットを停止する以外の方法はないかもしれません。
当然、このまま今の状態が拡大していくと、音楽産業は営利を上げることが難しくなり、ミュージシャン本人の収入もどんどん減ると思われます。
要するに、誰も音楽でお金を稼ぐことはできなくなるかもしれません。
実はこれが音楽に関する道程のひとつの最終的な目標に思いますが、いろいろな意味で面倒な話ではあるので、いつか機会があれば書いてみたいようにも思います。
本題を少し
あれ?
確か、タイトルは「戦下のレシピ」では?
今気づきました。(苦笑)
いや、実は先日、本屋で「戦下のレシピ」というタイトルの本を目にして、買ってみたのですよ。これがなかなかおもしろかったのです。
当時の婦人誌からの料理のレシピを添えながら時代を説明してくれているのですが、戦時下、たった2年ほどで急速に悪化していく食糧事情のこともですが、それ以前の日本の都市の豊かな食生活事情、「愛情料理」というイデオロギーを作ったのも、国家と婦人雑誌によってだった、など、なかなか興味深いものでした。
また、「もともと日本人は異常にコメを食べた」というのも初耳でありました。
たとえば、宮沢賢治の詩には「1日玄米4合と味噌と少しの野菜を食べ」とありますが、1日4合だと、3回食事しても、一回茶碗3杯くらいで、これでは、まるで宮沢賢治が「たくさんご飯を食べられる金持ちになりたい」という詩を書いたのかと勘違いされますが、そうではないようです。当時の日本人は、おかずはなく、コメしか食べなかったので、実際そのくらい食べていたようです。
従って、日本は戦前からずっとコメ不足だったようです。
なんと明治にはもうコメを輸入しなければ足りていなかったのだそうで、そんな歴史がありながらの、現在の日本の穀物食糧自給率20%台はなかなかエクセレントな政策だとは言えます。
この中にあったレシピのひとつで「代用醤油」というのがあって、これは今度やってみようと思っています。
「濃い塩水で昆布・わかめ・ひじきなど何でもいいですから海草類を気長に煮込みますと、色といい味といい醤油に近いものができます。あとの海藻はそのまま食べられます。」
(「主婦之友」 昭和19年9月号)
この本は楽天などのネットにもありましたので、興味のある方はどうぞ。

戦下のレシピ
ちなみに、戦中、最初に配給制になった食材は砂糖(1941年)でした。
その後、1年であらゆる品物が配給制になっていきますが、砂糖は最初に不足して、そのまま戦後まで不足したままだったようです。そのうち完全に入手できなくなり、戦争末期の頃の闇市での砂糖の価格は公示価格の50倍までになったそうです。
ちなみに、「配給」というのは何となくタダでもらえるような感じがしますが、「配給券とお金」の両方がないともらえなかったそうです。非常に大変だった模様。
これからの世の中も同じようなことになるのでしょうかね。