読んだ後に大きな清涼感が残るのは先日のコルマン博士の最新論文と同じであります。
それにしても、ヤスさんからは本当にいろいろと勉強させていだきますね。「ヤスの備忘録」を初めて読んだのは昨年の秋頃のことなのですが、そこにある、ふだんは触れられない予言や社会洞察の数々などが面白かったということはもちろんありますが、最初にもっとも興味を持ったのは、いま何が起っているのか?というヤスさんの論文なのです。これは毎回、記事の下にリンクがありますので、読んでいる方も多いと思いますが、読まれていない方には是非読んでいただきたいと思います。2006年に書かれたものです。
戦後の日本と社会システムについての考察や、現在の状態を招いてしまった要因、などが書かれてあるのですが、私がここ数年、もしかしたら、30年間くらい疑問に思ってきたことの原因というか、まあつまり「なんか世の中はおかしい」ということの成り行きを、少なくとも自分で目にしたものの中ではもっとも納得できる形で書かれているものです。
親と子どもの50年と人間と経済の5000年
子どもと接することが多い環境にいるようになってから、今の小さな子どもたちの生きている環境は、私たちの小さな時代とはずいぶんと違うことを感じるようになりました。
たとえば、うちの奥様がそうしているということは、わりと他のお母さん方もそうなのかもしれないですが、今の日本の社会では「子どもたちの行動、思考、人間関係は親からの指令で多くが決まる」という現実があります(もちろん、地域や環境によって違うでしょうけれど)。お母さん方が携帯かなんかで他のお母さん方とやりとりをして、メールでの連絡が終わる。
そして、子どもに向かってこう言います。
「明日は○○ちゃんと△△ちゃんと、●●に行きましょう。●●はみんな好きだよね。」
これがいいとか悪いとかはわからないですが、私の子どもの頃の40年前はこういうようなことはなかったです。それらは自分で決める、あるいは「環境が自然に子どもを導く」ことでした。当時でも住んでいる地域や環境によって様々でしょうけれど、少なくとも今のウチの子どもの年齢である4歳の頃には「そんなこと(誰と遊んでどこで遊んで、自分がどう思うか)は自分で決める」生活でした。
うちの親は当時としては比較的珍しく、出産後すぐに母親も働き始め、つまり共働きで、日中は私は常にひとりでした。ところが、「ひとりだった」という感覚も、また現実も全然なく、常に私たち子どもは「人を含む周囲のいろんなものに囲まれて」いました。これが導いたことは「いつも漂っている幸せ感」だったような気がします。
周囲の家はすべてが自分の遊びフィールドで、どこの家にも子どもは勝手に入ってよかったし、そこの子どもたちと勝手に遊んでいたのでした。また、その頃にはひとりでいろんなところを歩き回り始めました。指令も規則も曖昧で、Freedomな感じがしたものです。(なんで突然英語だ?)
そのうち、近くの孤児院(今でいう児童養護施設)に入り浸るようになって、幼稚園にはあまり行かなくなり(これには小児ぜんそくだったという側面もありますが)、午前はその孤児院で遊んで過ごして、午後は近所の子どもたちと周囲の畑の果物などを採りに遠征する、というちびっ子ギャングのような生活となっていったのですが(結構悪い幼児だった記憶あり)、それぞれに誰からの指令もありませんでした。
自分から動けば人間関係はできたし、「遊ぶためには自分から動かなければならなかった」ですし、また、動いている限りは孤独という状態を経験する必要はほとんどなかった気がします。
渋谷などの街で若い人たちが路上に座っている姿を見始めたのは10年くらい前でしょうか。もっと前でしょうか。私が東京に出てきた30年近く前はそういう人たちはいなかったので(物乞いはたくさんいましたが)、その後のことなのでしょう。
あの「座っている姿」は「待っている姿」なのではないかと感じたことがあります。
そして、私たちの今の子どもたちも、今のままだと将来的にはああなるのではないかと思うことがあります。「明日は○○ちゃんと△△ちゃんと、●●に行きましょう」という指令が来るのを待つわけです。人間関係や遊びに関して「こうしなさい」という指令が来ないと動きづらい。
子どもの頃に植え付けられた行動認識は結構強く後々まで残る気もいたします。
以前、タレント学校みたいなところで子どもに教えていたこともありますが、そこに子どもを連れてくる親などは、子どものプライベートをほぼ 100% 牛耳っているような人たちが多かったです。それでいいという子どもたちもいるのでしょうけれど、プライベートの時間はほぼ自分の時間だった子ども時代を経験している私から見ると、何となく痛々しくて、そこをやめたのも「これ以上こんな親子関係を見ていたくない」という部分もあったかもしれません。
また、厄介なのは親の方も「それ(子どもの時間と思想を管理すること)を子どもへの最大の愛情だと思っている」という点で、つまり、ほめられるのならともかく、批判されるような部分はまるでないと信じ込んでいるという点があります。
これはまあ、批判的な意味で言っているというより、全国規模での教育での状態の感じもしますので仕方のないことなのかもしれません。
こういうようなことも含めて、「では、どうすればいいのでしょう」と訊かれたとしたら、それはもう「根本から変えるか、消すしかないのでは」と答えざるを得ません。もはや部分的な修復は不可能と考えます(これは経済も同じだと思います)。そのあたりにも、最近ちらほらと私の中に存在している「人類社会の根本的なリセット」への願望が関係しているかもしれません。
冒頭でふれた2004年のコルマン博士の論文にこういう部分があります。
(ここから転載)
産業革命は、1755年から人間をあらゆるスピリチュアルなものに対して盲目にしてしまう特定の意識形態から生まれた動きである。この新しい意識の形態が生まれるにしたがって、人間は地球環境を自分たちがいかようにでも収奪できる死んだ資源として見るようになり、これを行うために左脳の計算力を使うようになった。
(ここまで)
最近思う「環境に対しての人類の罪」。
これは漠然と「なんとなく始まってしまったのだろうなあ」と思っていたのですが、1755年に始まったというきちんとした時が書かれているのでした。人間が
> 地球環境を自分たちがいかようにでも収奪できる死んだ資源として
見るようになってしまって、そしてご存じのように今もそのままです。
「現在のエコ活動で地球を再生できる」と本気で考えている人はキチガイですが、本気ではそう考えていない人が大部分なわけで、「地球環境を死んだ資源として考えている」ままであることがわかります。そういう意味では、1755年の春に人類を滅亡させるという選択もあったはずですが、宇宙はそんなことしていないわけですね。
「1755年に世界が終わっていればなあ、畜生」と、私も悔し涙を流しながら酒を煽るような人生を送ることもなかったのになあと考えたりもします(どんな人生だ)。
とはいえ、やはり、宇宙は私のように至らない人々に考えさせる時間を作るために250年長引かせているのかもしれません(コルマン博士によれば、人類が経済の成長を目指した歴史は5000年前に始まるということですが)。
それと以下のような記述がありました。
(ここから転載)
経済成長の希求は、人間の意識が左脳と右脳に二極分化し、統合できなくなっていた事実にあるのである。この分裂状態から心の限りない空虚感が生まれるのであり、人間はこの空虚感を物質的な満足で充足しようと、あくなき経済成長を希求するようになったのだ。
(ここまで)
「なるほどねえ」と深く頷くのでした。
しかし、小さな頃からどちらかというと、物質への欲求が少なかった私は比較的意識の分裂状態が小さかったのかなあ、などと今度は少し人生を自慢したい気分になったりして(悲嘆したり自慢したり忙しい)、なかなか心は揺れ動くのでした。
私は生まれてから、家や車や、あるいは生活に不要な高級品を欲しいと思ったことが本当に一度もないのです。考えたこともありません。高価なもの(たとえば10万円以上のもの)で実際に買ったものは、楽器とパソコン関係くらいで、手段のための道具だけなのです。
あくなき経済成長を希求しない立派な人間だったのです(超苦笑)。
エッヘン(おいおい)。