2009年05月12日

過去五千年との決別

ヤスの備忘録の最新記事に、コルマン博士の最新の論文の全訳が載せられています。本当にいい内容ですので、ぜひ読んでほしいと思います。

特に素晴らしいのは、コルマン博士は「マヤカレンダーが世界の終わりを予告しているとするような理解は実にばかげている」と、最近語られることのある「マヤ暦と世界の終わりの関係」をきっぱりと否定していることです。

> マヤカレンダーは意識の進化を説明しているのであり、どのような意識が人間の内面から湧き上がってくるのか説明すること以外に、具体的な出来事の発生を予言するものではない

と、つまり恐怖を抱く必要はまったくないと明言してくれています。

さて、個々の部分はともかく、私はこのコルマン博士の論文を読んで、最近の私の中に巣くっていた「一種の脱力感や諦観」がかなり払拭されました。

それを書きたいと思うのですが・・・まあ、例の頭があまり働かない状態は続いていて、分章の構成力などに致命的な欠陥が出やすくて、とてもわかりにくくなるかと思いますが、書いてみます。


まず、どうして脱力感や諦観のようなものがあったか。

それは自分の期待している世界というか、価値観が変わるかもしれない将来に向けてのステップの中で、「オレは単に世界の不幸を希望しているだけなのだろうか」と思い始めていた部分があって、何となくそんな自分がイヤになってきていたというのがあります。

たとえば、今は不況です。

もしかすると、もっと悪い不況や恐慌になるかもしれませんし、場合によっては、経済そのものや市場もいつか崩壊してしまうかもしれません。

そして、そのことを私たちの現代の社会は「悲劇」として捉えます。
実際に今現在、経済のことで苦しんでいる人たちがたくさんいます。

なので、必然的に世界中で「経済を立ち直そう」という機運になり、それに沿って各国などは動いています。その方法は一種メチャクチャですが(コルマン博士は「いま行われていることは、国民の税金で銀行を助け、そしてその同じ税金を使って銀行が国民に融資するという冗談のようなことである」と書いていました)、とにかく今の世は経済の立て直しを第一の目標にしています。

私本人としては、もはや今の経済体制や、それに伴う生活に関しての価値観(進学とか就職体制などを含む)を本当に下らないものと考えていて、「早くなくなればいい」とほぼ全面的に思っています。

しかし、もし仮にそうなってしまう場合、今よりもっともっと大きな「不幸感」が一時的にしても世の中を覆ってしまうのかも知れない。
つまり、「今の経済体制がなくなればいい」と希望することは、すなわち、「世界の人々の不幸を希望している」のとまるで同義のように思えて、そのあたりに関して何だかヤな感じになってきてしまったのです。最近は考えることに辟易し始めていました。

(私は世の中のこんなに多くの人々が今の経済体制をこんなに支持しているとは最近まで思っていなかったです)


結局最近ではこいう投げやりな考え、つまり、「完全に経済が立ち直ることなど奇跡があっても無理だろうけれど、何となく微妙にアップダウンしながら(今の)経済を低いところで維持する方がいいのかなあ」みたいに中途半端に止まってしまっていました。

その場合だと、人々の生活の価値観に対する行動はあまり変わらないか、むしろごく一部の格差の頂点を目指して進学、就職、エリート指向は強まって、さらにイヤな世の中になっていくのだろうなあ、みたいな感じはありました。


そんな世の中になっていくのなら、別に無理に黙々と生きていてもつまらないので、私も含めてどんどん死んでいくのまた幸せかなあ、とか。
そう思えてからのこの4月はなんかつまらなかったですね。


しかし。

コルマン博士は明確にひとつの方向性を示してくれたのです。

> マヤカレンダーが内包する宇宙的な視点から見るなら、経済成長が止まらない限り世界が終わってしまう

と言ってくれているのです。
つまり「経済は終わるかもしれない」ではなく、「今の経済は終わらなければならない」と。今の経済成長は地球にとってのガンであり、その増殖が止まることには大変に希望の見えることだ、と。


この1文を読んで、私の疑念はすっかり消えたのです。

すなわち、今の経済は中途半端に維持される必要もなく、絶滅していいと。それを望むことは間違いではないと。

そう理解すると、将来への見通しは大変明るくなります。
もちろん、「明るい」とするのは私自身の個人的な話です。
今の経済が続いて欲しいという人は多いでしょう。


しかし、地球のリソース(石油や森林や酸素や鉱石や水...etc)を消耗することでしか発展が約束されていない経済スタイルが未来永劫続くと考える方が不合理で、さらに、そんなことのために、受験に勤しみ、エリートをめざし、いわゆる裕福になることを目指すような人間の生活スタイルを「目指すべき生き方」とするように考えるのはやはり私には難しい。

仮に大変な苦痛と困難と被害が広がったにしても、経済は崩壊しなければならない。


と同時に、マヤ暦が人間の意識の進化のカレンダーである限りは、私たちの意識は他のあらゆる方面(医療、教育、自給)に関しても進化しなければならないのだと思います。

コルマン博士は

> これから起こることは、過去5000年間人類が経験したことにない持続可能な経済への移行なのである。

と書いていますが、これは経済だけではなく、価値観などの他の意識に関しても過去5000年とは違うものになっていくという考えもできるのではないかという感じがします。

5000年前の人々・・・。

その頃の生活様式はともかく、人々の意識を想像することは難しいです。

しかし、言えることは、資料や記録がつけられ始めた有史の歴史はせいぜいここ2000〜3000年のことでしょうので、それらはすべて絶滅、あるいは否定されるということかもしれません。四大宗教なんかも全部なくなるのかもしれないですね。


さて、人間が今と同じ生物スタイルだとして、どんな時代になろうと、生存するためには次の3つは必要かと思われます。

1. 水と食糧
2. 過度に暑すぎたり寒すぎたりしない気温(あるいはそれを制御するエネルギー)
3. 酸素



新しい経済も基本にはこれらはなければならないと感じます。
そして、それはコルマン博士の言葉を借りると「持続可能な経済」であるということは、それらの食糧や酸素、あるいはエネルギー等のリソースを損ない続ける経済ではないものへの移行の日が来るということなのかもしれません。


うーん・・・想像できないなあ・・・・・・。

しかし、これは想像することではないということにも気づきました。
なんとなく誰かエライ人(笑)が考えるのだろう、などと思っていましたが、多分、これは人類全員で考えることですね。つまり、私も考えていいことだと思います。

その前にいろいろと懸念はあるでしょう。

自然のこと、戦争のこと、パンデミックやキルショットや宇宙の異常。
いろいろあるでしょう。

特に民衆の暴動なんかはこれからのテーマというか、どんどん激化するというようなこともありそうですし、まあ・・・激化していってほしい(笑)という素直な気持ちもあります(素直だなあ)。

そして、もっとも大事なのは「それらは恐怖を感じることじゃない」と思うことではないでしょうか。

たまに怖そうなことも書く私が言うのもナンなんですが、恐怖を煽るようなものはどちらかというと、「古い価値観と体制側の勢力」と認識した方がいいかと思います。

考えれば不況なんぞはまったく恐怖することではなくて、経済は崩壊すればするほどいいわけだし、株式市場と貨幣制度が完全に崩壊して消え去るまでの道のりはむしろ希望への道であるのだと思うのです。

経済の成長が止まれば、地球のリソースに対しての破壊は地球単体ではとりあえずそこで止まります。

次にクリアしなければならないのは「人の死」に対しての観念。
これからいろんな理由で人が多く死ぬようなことも起きるのかもしれないですが、観念の転換ができれば、きっと恐怖に駆られることはなくなる。

もちろん、そんなのは私もまったくクリアなどしていません。

5000年以上前の人は「人の死」に対してどういう考え方だったのかを知りたいような気もします。


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posted by noffy at 09:49 | 地球の歴史