鳥インフルエンザだの豚インフルエンザだのパンデミックだのはどうも本質的な実感が湧かない感じがしないでもないです。
さて、発生してしまったものはもう仕方ないとしても、今起きていることがパンデミックだった場合、これから私たちはどの程度の規模と期間の付き合いとなるのか。
最近の新型インフルエンザの流行の中では一番近いように素人目に見える1918年のスペイン風邪をもう一度調べてみると、結局、スペイン風邪のことについてはまだよくわかっていないという事実に行き着きます。
原因等もですが、何より被害の状況が不明な部分が多い。
やはり第一次大戦中ということで、各国は「自国の被害状況」をひたすら隠していたようで(これは戦時中では仕方ないことかもしれません)、そのまま現在に至っているようです。
発生源からして書いてあるものによってバラバラで、アメリカ、中国、アフリカ、インド、フランスと様々で、今でも断定されてはいない模様です。
病原体がA/H1N1型だと判明したのも、鳥インフルエンザに由来するものだったと推定されるとされたのも、こちらによると、つい最近の1997年のことらしいです。
また、症状については、2007年にサルでスペイン風邪を再現する実験を日本の東京大学医科学研究所がやっていますが(サルも災難ですが)、通常のインフルエンザと違うのは、「肺への強烈な影響」という点のようです。
これは発生当時の米軍の記録にも咳や吐血が全体的に見られたそうで、肺炎や重い気管支炎など、肺が直接ダメージを受けることを示しているようです。
予防方法はないわけなので、治療は肺炎への対症療法ということなのかもしれません。
この分野は日本でもよく進んでいるであろうジャンルなので、確かに現段階の先進国では、それほど今回のインフルエンザは恐れるものではないのかもしれません。ただし、先にも書きましたが、その医療態勢がない国と地域では厳しいことになるかもしれません。
どうして青年層の死亡者数が多いのか
スペイン風邪で特徴的なのは、「死亡年齢層の偏り」で、通常のインフルエンザの場合は、老人や乳幼児など体力の弱いほうが危険にさらされやすい傾向があるのですが、スペイン風邪では、「20代と30代が多く死ぬ」という状況となっていたようです。
これが一番の不思議というか、解せない点なのですが、これについても理由ははっきりとは断定できていないようです。
一般的にはサイトカイン・ストーム(サイトカインというのはホルモンみたいなもの)という免疫の仕組みで「そうなるのじゃないか」ということらしいですが、確定されているものではありません。謎は謎だと思われます。
まあ、しかし、原因はともかく、1918年のスペイン風邪の時にこの二十代三十代が集中的に死亡したというのは事実ではあります。
「日本におけるスペインかぜの精密分析」よりわかること
1918年の新型インフルエンザの流行に関して、東京都健康安全研究センター年報の日本におけるスペインかぜの精密分析に当時の状況を知るのにとても参考になるデータが記されています。
当時の日本でのスペイン風邪の流行に関するデータです。
流行期間は1918年から1920年
死亡者数
1918年 男子34,488名,女子35,336名
1919年 男子21,415名,女子20,571名
1920年 男子53,555名,女子54,873名
となっています。
男女の死亡率はほぼ同じのようです。
流行期間は2年間で2回あり、それぞれの患者数と死亡者数は、(当時の日本の人口は約5500万人)
1回目の流行(1918年8月から1919年7月)
患者数21,168,398名,死亡者数257,363名,対患者死亡率1.22%
(およそで患者数2100万人、死亡者数25万人)
2回目の流行(1919年8月から1920年7月)
患者数2,412,097名,死亡者数127,666名,対患者死亡率5.29%
(およそで患者数240万人、死亡者数12万人)
2回目の流行で死亡率が飛躍的にアップしていますが、「流行性感冒」というところからの引き合いでは「患者數ハ前流行ニ比シ約其ノ十分ノ一ニ過キサルモ其病性ハ遙ニ猛烈ニシテ」という記述があり、つまり「患者数は少なかったけれど、症状がはるかに重くなっていた」ということらしいです。
多分、1年のうちのウイルスの「進化」だと思われます。
死亡者年齢の分布
興味深いのは年齢の分布で、男子と女子では若干違うのですが、
男子
1917-19年 21-23歳の年齢域で死亡者数のピーク
1920-22年 33-35歳の年齢域で死亡者数のピーク

女子
1917-19年 24-26歳の年齢域で死亡者数のピーク
1920-22年 24-26歳の年齢域で死亡者数のピーク

となっています。
どうしてかはわかりようがないですが、前述したサイトカイン・ストームというのも関係しているのかもしれません。
いずれにしても、今回のインフルエンザが似たようなタイプのものだった場合、二十代を中心とした青年層に被害が集まるということも考えられるのかもしれません。
また、地域の流行の広がり方の地図もあり、これは実際にサイトでご覧いただいた方がわかりやすいと思いますが、強烈です。
たとえば、1918年10月から11月のたった1カ月。
茶色になればなるほど死亡者数が多いと言うことです。

10月に九州で患者が確認された時には他のほとんどの地域は青(死亡者がほとんどいない)か緑(32人から64人)だったものが、翌月の11月にはほぼ日本列島の全域が茶色(死亡者2048人以上)や濃い茶(死亡者4096人以上)になっています。
絶望的な感染力の強さを示しているような気がします。
当時より人口が密集していて流通の発達している現在では、これはかなり脅威的に見える分布図です。
1918年のアメリカでは
アメリカも感染者と死者について比較的詳しい数字が残されているようです。こちらのサイトによると、こういう記録があるようです。
1918年8月 ボストンで患者60人
1918年9月 ボストンで63人死亡、ハーバード大学で5000人が発症、マサチューセッツ州で非常事態宣言
1918年10月 この月だけでアメリカでは195000人がインフルエンザにかかったとされる。
10月2日 ボストンで202人死亡
10月6日 フィラデルフィア市で289人が死亡
10月15日 ニューヨークで851人死亡
1918年11月 11月21日までにサンフランシスコで2122人が死亡したと発表
結局、アメリカでは85万人がスペイン風邪で亡くなりました。
そんなわけで、「1918年のスペイン風邪」のことについて少し調べてみました。今回のインフルエンザはあくまで今回のもので、当時と同じではありません。
しかし、どこかに類似点がある可能性もあります。
現在、当時より進んでいるのは対症療法の医療技術だけで、他に関しては1918年とそれほど変わらないかもしれません。