2009年03月24日

人類の進化はそんなに難しく考えなくてもいいのかも

昨日の記事で、パニック障害のことについて書いたんですけど、書きたかったことはつまり、

 > 精神的とか言われることも実は目に見えるモノ

ということなんです。

たとえば・・・なんというか難しいんですが、私が昨年の秋くらいから頻繁に感じていた感覚に「意味のない多幸感」というようなものがあるんです。
「理由がないのに満ち足りて充足している」みたいな。
生活状況的には最悪なのに(笑)。

で、まあもちろん幸福を感じること自体は(理由はわからないですが)嬉しいことなのかもしれませんが、でも、こういうことも、なんというか「気持ちの問題」として片付けられそうなんですが、体の中を眺めてみれば、見えている動きはあるわけで。

ドーパミンとかセロトニンとかの神経伝達物質のことだったり。
人を幸せな気分にしたりする物質。逆のもたくさんあります。

あるいはまだ判明していないたくさんの物質が人間の体内にはあるかもしれない。
幸福感をもたらす物質も、逆の物質も。

「そういうものの体内構成物質の変化そのもの」も私は人類の進化のひとつの在り方ではないかなあと思ったりします。

その原因が紫外線や宇宙線などのこれまでの人類史(宇宙の歴史大きいですからね)になかったものでも、あるいは環境変化が進んだことによるものでも、なんでもいいんですが、結果的に「体内の神経構成が違う新人類の誕生」となるという。

そして、脳が今までとは違う刺激に晒されたりする。
違う知覚と観念を獲得する。

突然変異としてはものすごく自分にはわかりやすいです。

これからのキツそうな時代、こういう「あまり根拠のない楽観」で生きた方がいいとも言える気はします。

私は1月くらいの WebBot ALTA 1109 Part2 の中の記述で涙が出た部分(嬉しくではなく、こちらは悲しくて)があって、

> 2012年前後には人口の大移動が世界的に発生し、人々は洞窟のような場所に住み、ゴミをあさることが生活を維持するための主要な手段となるとのデータがある。

という部分。


「たった4年でここまで?」

と愕然としましたよ。
これは下手すると、1万年前よりひどい生活(農作とか海での捕獲ができていないから)。

さすがに落ち込む未来像ですが(最新翻訳版にはこういう記述はないですが、ある意味もっとすごい)、しかし、私は冷静に考えたのですが、それでも人類の生活が続いていくとしたら、やはり何かしらの「精神的な変容」込みでこういう生活も甘受できているということではないかなあと。

昨年、人類の歴史では99.9%は戦争はなかったという話を書いたのですが、「人類は地上の外敵にことごとく負ける弱い動物だった」という前提の元に、原始生活では、

・仲間と暮らしてお互いを認めることが一番大事だった
・人類はそのことをすることでさらに仲間としての認識を深めた
・飢えと苦痛を解消する為に身を寄せ合って生きた

あたりが基本ライフだったようなんです。

この時代に戻るか、あるいは今より進化して、これからの苦しい局面を乗り越えていく、ということになるのじゃないかなあと。
私のように「ゴミあさりなんてひどい」と泣いているようなヒトはもうダメなんですね。「それもいいじゃん」と思えるようじゃなければ。


WebBot では、人間の進化は「宇宙からの未知のエネルギー」によるものとされています。

そういうオカルト的な響きは苦手な方もいると思いますが、そういう場合に、「人間の自然進化としての体内分泌構成の自然変異」という考えの方なら、そんなにオカルトでもないかなあと。
ほんのちょっとの変化の話ですし。
「急に肥満が増える」とかと変わらない程度のことですよ。
見かけが宇宙人みたくなっちゃうというような話じゃないです。

(私は宇宙からの未知のエネルギーあると思ってますけどね。)


今のように電気がすぐついて、トイレはウォシュレット、冷蔵庫にはいつも食べ物というような生活とは違うところへ向かうのだと。


でもね・・・なんというか、こう・・・あんまり考えることもないのかなあと。
自然でいい気もします。

最近考えていることは、「人類の絶滅があるとした上での楽観論」です。
わけわかんないですね。


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posted by noffy at 00:39 | TrackBack(0) | 人類の未来
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