2009年01月21日

パニック障害とfaithの関係



以前、Walk in the Spiritで学んだ、faithという英単語がとても気に入っています。
ふだんの生活でも「ああ、faithしよう」ってな感じで、ほとんど「リラックス」と同義で使っていますが、なかなかいい言葉だと思います。


faithは普通に訳すと、信頼、信仰、信条、などの文字が出てきて、ちょっと堅苦しい印象を受ける単語だったんですが、上記事の管理人さんの説明がわかりやすかった。

relax with sitting in the sofa

「信仰、信条」というような強い意味ではなく、「ソファにゆったりと体を横たえているような感じで信頼している」というのが原義らしいのです。
これは原義はヘブル語(ヘブライ語)だそうで、英語や日本語に訳していく段階で翻訳者の宗教観や人生観が反映されていくからだそう。

faithは、発音的にはこちらのページによると「face (「顔」のフェイス)」と「th」の部分以外は同じだそう。海外には「Faith to Faith - Face to Face」なんてサイトもあったりして、英語でも語呂合わせ的に使われているようです。


不安神経症とfaithの関係

突然ですが、ワタシは長いことパニック障害の症状を持つ不安神経症をもっていました。
21歳の時に発症して、今、四十代の中盤ですから、四半世紀近くなるんですね。
まあ、パニック障害という病気について説明するのが本筋ではないので、そのあたりは知っている方は知っている方なりに、知らない方は想像等でお考え下さい。

基本的にパニック障害というのは「それ単体の症状」としての病気ではなく、「根に必ず神経症を持っている」わけですが、これは大正時代(1919年)に世界に先駆けて、神経症の行動療法である森田療法を確立した、森田正馬という方がいて、ワタシ自身は今でも「基本的には神経症には森田療法の考え方しかない」と思っている面はあります。

ワタシ自身は森田療法を受けたことはないですが、いっとき(十数年前)、神経症関係のホームページを運営していたことがあって、そこでかなり多くの人と知り合いました。その中には森田療法(基本的に入院療法なので、社会生活とは両立できない)を行ったことのある人もいましたが、森田療法という行動治療法そのもののことではなく、神経症に対しての考え方そのものが、森田先生の学説は「神経症者本人から見ればほぼ正しい」のでありました。

これ以上書いてもワケワカメになると思いますので、ヤメときますが、森田博士が神経症者に強く見られる気質として、

不快な感覚に対して注意を集中すればするほど、不快感が増大する

を挙げておられます。

ここに神経症やパニック障害などが治りにくい部分があります。
つまり、

「こんな苦しいのはイヤだ」

と、それがどんな苦しみであろうと、人間は苦しみに戦いを挑むわけですが、それがよくないわけです。

なぜかというと、他の苦しみと違って、神経症は「苦しみの正体が頭の中にあるから」です。

パニック障害になる理由はいろいろですが、一番多いのはPTSDといって、わかりやすくいうと「ものすごく強いトラウマ」です。犯罪被害にあったり、命に関わる事故や体験をした後に、その恐怖の記憶がフラッシュパックしてきて、それに苦しめられるわけです。
簡単にいうと、自分の頭が自分を苦しめているんですね。

なので「苦しみは頭の中にある」のだから、その恐怖を引っ張ってこなければいいわけですが、神経症の人の多くは、

不快な感覚に対して注意を集中すればするほど、不快感が増大する

わけです。
これはどういうことになるかというと、


不快感が生まれる



対抗しようとする



不快感が増大する



さらに強く対抗しようとする



さらに不快感が増大する


もっともっと対抗しようとする



もっともっと不快感が増大する

×

エンドレス



となるわけです。
それで、まあ、人によっては社会的にリタイアしたり、自殺しちゃうような人も出てきちゃうわけです。うつ病ほどではないですけど、神経症の人の自殺や自殺未遂率は高いと思いますよ。腕がリストカットで編み目みたくなっている人とも会ったことがあります。


ワタシも最初の1〜2年はそこそこ大変でしたが、ただ当時からいろいろとアート的な公演だとか、ナンカいろいろとやっていて、簡単にリタイアもできない感じで、不快感の増大を酒や病院の安定剤で誤魔化しながらやっていました。

(実際、病院で処方されるクスリは一般的にはとてもよく効きますので、自分でもよくわからない苦しみのある方はまず病院に行くべきです。でも、クスリで症状を抑える段階はあくまで初期段階だと心得て下さい)


ある時、偶然、古本屋でボロボロになった森田先生が1928年に記した「神経質の本態と療法」という本が100円コーナーに転がっているのを見つけたのでした(今思えば、100円コーナーにあったのはスゴイ)。24〜25歳の頃だったと思います。



反発することをやめ、静かに身を横たえること

さて、どうして長々とこんな病気のことを書いたのかというと、この森田先生の神経症治癒の理念と「Faith」の概念が近いのです。

上の方に書いた「神経症が悪い方に増大していく仕組み」を見ていただいてわかるように「反発すること」がさらに悪い方向に向かってしまうのです。


ではどうすればいいか。

「諦める」のです。森田先生は「諦める」という言葉は一切使っていませんが、ワタシはその感じを掴んでいました。
そして、

苦しみの中に身を横たえて一体化してしまう

ことを学習する。
反発をやめてしまえぱ、悪循環は断ち切れるわけなのですよ。

つまり、「Faith」の原義はリラックスしてソファに横たわっている感じですが、そのソファが柔らかくなくても、恐ろして苦して気持ちの悪いソファでも、リラックスしてそのソファに横たわることが大事なのです。

まあ・・・・・これは神経症じゃない人には、人生訓みたく響くのだろうなあ。

でもこれは人生訓や理想論ではなくて、「治療法」なんですよ。

ワタシはどこにも通わずに自分で森田療法を解釈して、十数年かけて、神経症の症状を誤魔化しながら楽しく生きてきました。だから、誰にでもできることだと思います。

もちろん、「トラウマそのもの」は残っているわけで、たまに頭の中で反発することはあるんですが、どこまで「軽く流せるか」というのが訓練の賜だったのですね。まあ、訓練っていっても、「ダメなら昼間から酒飲めばいいし」程度なんですけどね。


なんかこのトシになって、いろんなことがひとつに結びついてきている感じがすごく楽しい感じではあります。


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posted by noffy at 00:31 | TrackBack(0) | ペアである自分
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