2009年01月13日

大恐慌下の生活

本棚に溜まっていた本を整理していたら、「史料が語るアメリカ」(有斐閣)という本が出てきました。裏に100円シールが貼られていたので、「そのうち何か役立つかもしれない」と、100円コーナーで買ったまま本棚の奥に放置されていたようです。

1584年〜1988年までのアメリカに関しての資料が訳されているようですが、目次を見ると、「大恐慌下の生活」というものがありました。

これは公的史料ではなく、1933年まで夫婦でアメリカのどこかで音楽を教えていた、わりと裕福だった中産階級の夫婦の奥さんの1934年の手記です。

読むとなかなか興味深く、また、ネットで同じようなものが見当たらなかったので、一部抜粋しておこうと思います。これからの生活がどんな感じになるかわかるかと。(大体似たようなことになるのだと思うので)

この手記が1934年のものというのは、大恐慌が1929年から始まっていることを考えると少し驚いたのですが、アメリカで本格的に生活に影響が出だしたのは1931年頃からということで、長い恐慌だったのです。何しろ、株価が回復するのは約20年後ですしね。

そして、一番精神的にダメージを受けたのはもともと快適な生活を送っていなかった貧困層ではなく、それまで比較的裕福に過ごしていた中産階級だったようです。彼らは二十年代の好景気の中で快適な生活を送っていたものですから、この頃から始まった、住むところもなく、食事を並んで配給を受けるというような生活は非常に屈辱的で耐え難いものだったようです。


以下、「史料が語るアメリカ」179ページ「アン・リヴィングストンによる「救済を受ける身」(1934年)」より少し抜粋



 二年前、私は住み心地のよい、安定した生活を送っていた。
 夫は名の通ったオーケストラで良い職を得ていたし、私は大勢の将来性のある生徒たちにピアノを教えていた。しかし、夫のオーケストラが解散してから、私たちの生活は急速に下り坂を滑り落ちていった。夫は、ほかの楽団でも仕事を得られなかった。私のクラスもしだいに数が減っていった。今や預金に頼って生活するほかはなかった。

 一九三三年初夏、私は八ヶ月の身重であったが、アパートの月額家賃一二ドルを支払うともう一銭も残らなかった。そのアパートたるや、こんなものが本当にあるのかと思うほどひどかった。最低の条件ともいえる暖房、バスタブ、採光、給湯さえも欠いていた。鼠や南京虫も横行した。・・・天井は雨漏りし、それがあまりひどくなってきたので、雨が降るたびに、水に濡れないよう、部屋のそこかしこにバケツを置かなければならなかった。

 だが、有り金の最後を家賃に払い、食費はどうなるのであろう。貸してくれない金を求め奔走した。夫は習性で、職が得られないのに職を求めては歩き、仕事が得られないといっては、自分を責めた。そのほかには、隣人に奨められ、近くの食料品店に、つけ勘定を頼んだ。緊急救済局への願い出は、絶望の中で最後の方法であった。

(中略。この部分は、救済局に何度も通って、ようやく85ドル分の食料小切手をもらうことができるまでが書かれています。その間、食事はわずかなオートミールくらいしかとれない。しかし、その食料小切手で溜まった食料品店へのツケを払わなければならないのです)

「もっと払ってくれなきゃ、こっちも貧乏でね」。私は首を振った。「待って、今に払うから。でも今日はだめ」。私は空腹を抱え、小さな店のなかを見廻した。妊娠中の女性の食欲は、毎日の半飢餓状態で、繊細さがいやましてもいた。私は新鮮な果物がどうしても欲しかった。「ぶどうはいくら」と私は聞いた。「ぶどうはだめだ。売れないよ」とピートは答えた。「どうして」「ぶどうは贅沢だ。豆か、じゃが芋か、玉葱だ。貧乏人はぶどうなんか食べないんだ」

 私は当惑した。しかしピートは本気だった。彼は救済局から渡された掲示文で、失業者が食料小切手で買える品目表を見せてくれた。そこには、塩漬豚肉とスライスしていないハム、豚肉のレバーや内臓、それ以外の肉はなかった。米、豆、芋、パン、玉葱が主な品物であった。新鮮な野菜など、どこにもなかった。私は無性に腹が立ってきた・・・。




(抜粋ここまで)

これは生活自体の悲劇を嘆いているというより、「快適な生活からたった1年ほどで日々の食料にも事欠く生活になってしまった」という「生活の激変」に対する狼狽というか、驚異というか、そういう想いからの記述といえそう。

そうなることをほとんど想定していなかったことも伺えます。

もちろん想定していても恐慌は多くの人の上に降りかかるでしょうが、住むところは仕方ないとしても、食料の確保が大変な様子が見てとれます。逆にいえば、食料がある程度あれば、多少は冷静にいられるということでもあるかもしれません。

そして、上のアン・リヴィングストンさんの経験したような生活は世界中の多くの、いわゆる「中産階級」と呼ばれている人々のすぐ近くにまで来ているような感じもいたします。

今の日本人には耐えられるかなあ。


Sponsored link




posted by noffy at 11:15 | TrackBack(0) | 地球の歴史
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/136394054

この記事へのトラックバック