2009年01月05日

道徳とはサバイバルであると悟った日

昨日、1月4日に家族で初詣に行きました。
1カ月ほど前にこちらの記事で、ホームセンターの帰りにお参りに立ち寄ったのと同じ井草八幡宮。

初詣は大体このあたりの時期に行っています。
いつもならすでに結構ガラガラなんですが、日曜日だったせいか結構な行列となっていました。

行列に並んで、約30分でお参りの順番が来たので、3歳の子どもの手を引き、「こうやってお賽銭をここに入れて、こうやってパンパンと手を叩いて一礼して・・・」というようなことを説明して(説明せずともできていましたが)、ふと、自分も何か願をかけなきゃいけないんだ、ということに気づきました。何をしに初詣に来たのか自分で忘れていたのです。

「えーと・・・」

先日来た時も、こんな社会状況で自分のことを何か祈願しても仕方ないなあ、という感じで、何となく「全体的によろしく」みたいな感じだったのですが、今回も、「えーと・・・なんか全体的にうまく行くといいですね」というようなことを思った後に、

なんか自分にできることがあればするし


神様に向かっての言い方としては違和感のある感じの言い方をして、戻りました。帰途、奥様に「なんかやっばり自分のこととかお願いしにくいよね」と言ったら、

「あら。私も今年はそうだった」

とのお答え。
子どものことなどを祈願していると思っていたので、奥様も「全体的によろしく」的な祈願だったことは意外な感じはしました。


思えば初詣に行ったこの数十年間、ほとんどすべては自分のことしか祈願してこなかったわけで、いつでも願うことは「何はともあれ、オレのことをよろしく」でした(苦笑)。
そういう意味では今年は異例だったと。


苦しい時の「人」頼み

その時、漫然と気づいたわけですが、時代がどんどん厳しくなってくると、意外とこういう「他の人のために祈る」人は増えるのかもしれないなあという気はしました。前に「人類の歴史では99.9%は戦争はなかったという話」という記事で書いたのですが、状況がどんどんひどくなって最悪な生活環境に行き着くと、むしろ人々は自分のことではなく、周囲のことを考えざるを得なくなってくる。

あまりにも自分(人間)が弱い存在である事実に気づき、自然と人々は共同体の中で助け合って生きていくようになる。周囲の人間が生きていること自体が自分の生存そのものであり、自分の存在は他と等しいか、あるいは自分は他人以下だと。


私は、日本が大飢饉や戦時下の最悪の状況でも全体のパニックに至らずに乗り切ったことが不思議だった部分があったのですが、この「生存するとは助け合うことである」という意識が働いていたのではないかという気もします。


・・・と、ここで私は小学生の時に学校で教えられた「道徳」に行き着いたのです。

小学生の時ですら、私たちのようなひねくれた一部の子どもたちは「道徳なんてのは、国家や学校が人を管理育成するための手段でしかないんだよ」(どんなひねくれた小学生だったんだ)というような捉え方はあったわけですが、「それは違う」と今気づきました。

確かに道徳教育の目的は人の管理や統制にもあったのかもしれないですが、「道徳」という概念はずっと昔の日本からあったわけで、その起源は多分、「生きるためには人に施さなければならない」という単純な生活防衛の知識だったのではないかと。周囲の人々がいて、初めて自分という存在がある。


誰かが食べるものを作ってくれて、誰かは病気を治してくれる。
力のある者、頭のいい者、明るい者、よく考える者、器量のいい者、歌を歌える人、物語を作ることのできる人。

いろんな人が集まって人に自分の才能の範囲で施すことができれば社会はバランスを持ち始め機能する。


そういうことなのではないかなあと。

つまり、道徳こそ生き残る知恵なのだと。


最後は少しほろ酔いで

「小学校の時に生意気なことを言った先生に謝らなきゃなあ。どの先生だか忘れたけど」などと考えながら、帰途につこうとしていたら、子どもたちがみんな綿アメを持ったり食べたりしている。それを見ていたうちの子どもも大きく反応しました。

「綿アメ食べる?」と訊くと激しく首を縦にふる。「うちに持っていって食べようか」と値段表を見ると、「袋入り600円 袋なし300円」とあります。

「ひー、袋代300円なの? (@_@) 」

ということで、急遽、袋なしに変更して境内で食べることに。私は綿アメはいらないので、子どもと奥様が食べる様子を横目で見ていましたが、次第に「オレもなんかほしい」と店を覗いて回ることに。
相変わらず新年の縁日の価格は仰天価格。
食べ物類はオール500円以上で、おでんの盛り合わせなどは1000円。

「うーん・・・熱燗ください」(500円)

ということで、昼真っから神社で酒を飲みはじめたら、これがおいしい。
結局、2杯飲んで1000円。、最初から袋入りの綿アメを買っていた方がよかったということになりましたが、神社でほろ酔いというのもなかなかいいものではありました。


来年も同じようにみんなが初詣をできますように。
そして、今年と同じようにお酒や綿アメが売っていますように。

(酒類の多くは、コメや小麦などの穀類から作られるので、極端な食料不足になると市場から消えます)


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posted by noffy at 02:52 | TrackBack(0) | 雑記
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