2008年12月25日

人類の歴史では99.9%は戦争はなかったという話

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資本主義というか貨幣経済がなくなった時

先日、うちの奥様がテレビを見ていて、その後に、

「ホームレスの人たちの話だったんだけど、2つのグループを取材しているのね。ひとつは、NPOかなんかの、とりあえず宿泊施設があって食事も出るわけ。で、もうひとつのグループは行き場がなくて、結局、公園とかで寝泊まりしてるのね」

というような話で始まったのですが、彼女が不思議に思ったことを要約すると、


・ふつう、こういう状況だと、家と食事を与えられている方が余裕がありそうな気がする。

・しかし実際に話を聞くと、家と食事を与えられている方は「他人のことなんて今は考えられない。自分と自分の少しのお金を守ることしか頭にない」とか言う。

・一方、野宿しているグループはどう考えても最悪の生活状況なのに、周囲の同じ野宿しているホームレスに対して、やたらと優しい。病気の人がいれば寝ずに看病して、弱っている者から食料を回していく。



ということが「不思議だった」とおっしゃったわけです。

これに対しては、私は比較的明確に回答できる部分があります。その答えは、「もともと、人間はそんな感じで生きてきたから」と。

「もともと」というのは数百万年前くらい前からの原始社会。経済とか政治的集団グループができる5000年前くらいまでの約500万年くらいの期間です。「そんな感じ」というのは、身を寄せ合って、助け合って生きてきた、ということ。


これは別にその頃の人間が優れていたとか、そういう話ではなく、今も昔も人間は人間なわけで、自分たちに置きかえて、「人間が生きるためには何が必要か」ということを考えれば理解できると思います。

人が生きていくには、たとえば(絶対必要かどうかは別にして)、

・食料、水
・医療
・道具などを作れる人
・生活上の新しいアイディアを考えられる人
・自分が動けない時の労働力
・歌などの娯楽
・神や宗教などを司る人


などがあると思います。

これらは、近代、現代ならすべてお金を出せば事足ります
というより、現代においては、「お金がない状態でそれらを手にするのは難しい」とも言えます。


さて、では原始の時代
まだ貨幣経済も資本主義もありません。

上記の必要品や生活上の欲求を満たしたい時はどうしたらいいのか?

それは「自分のできることを相手にしてあげて、そのかわりに相手にも相手のできることをしてもらう」ということにしかないわけで、簡単にいうと自分たちが生きていくためには「助け合う」しか方法がないのです。

くどいようですが、これはその頃の人の心がいいとか悪いではなく、手段としての助け合いなわけです。

労働の力や能力のある人は畑を作ったり、水を運んだり。
医療の知識がある人は、薬草や処方で病気や怪我をした人を治し、人々が神を畏れているのなら、神と対話する人が神や自然をなだめる。何にもできることがないけれど、歌を歌える人や人を笑わせられる人は、人を和ませて楽しい気分にさせたりする。
(多分、ワタシは原始に生きてたらこのタイプだ・・・。人を笑わせてご飯もらうタイプ(笑)


集団で争う理由がなかった原始時代

原始人の極限生活(洞窟時代)→共同体というサイトによりますと、

人類は地上の外敵にことごとく負ける、弱い動物。外敵の襲来に怯える絶望的な生存状況」だったために、洞窟に20〜30人の単一小集団で細々と生活していたようで、しかし、そんな「絶望的状況の人類に生きる力を与えてくれたのは」

・仲間充足・共認充足。共認充足だけが生きる糧であり、唯一の武器。
・人類は共認充足を上げるベクトルで共認機能をより進化。
・まず、恒常的な飢え、苦痛、怯えを解消する為に、身を寄せ合い安心充足(親和充足)。
・「喜怒哀楽」の感情やその表現手段の多様性(表情や、身振り手振り)。
・日々「どうする」の行動方針(=課題と役割)を模索し、闘争共認を確立。
・このように、共認機能を唯一の武器にして、生きのびてきた。


だったそうです。

そういう苛酷な環境では、単一の小集団で細々と生き延びるしかない。したがって、他の集団とぶつかることはありえないことで、人類500万年の歴史の内、99.9%は戦争はなかったのだそうです。

本当かどうかは別として、人類が戦争するのは本能ゆえか?という記事に、「“戦争するのは人類の本質・本能”では決してなく、肥大集団を統合するために捏造され、成員自らも進んで洗脳されてきた“欺瞞観念”こそが、実は戦争の原因である。」だそうです。

まあ、要するに、冒頭のホームレスの話を見てもわかるように、資本主義や貨幣経済が少しでも残っているうちはダメで、人は人に優しくするのは難しそうです。

なぜかというと、「お金があれば生きていく上での何でも手にして達成できる」という社会では、「生きていく上で一番上位にあるものはお金」ということになり、「一番上位にあるものは人間である」という考えにはならないからです。考えというより、生存本能からの行動の中で、そうは思えないということです。

だから、時間はかかっても、お金の経済なんかなくなればいいんです。


完全に今の経済が破綻して何もかもフラットになり、「お金は自分の生命を守るための何の手段にもならない」という時が来た時に、また人々はお互いに身を寄せ合って、助け合って生きていくことができると考えます。

これは理想論ではなくて、歴史上である程度は推定されていることですので、多分そうなるのではないかと。ただ、そういう価値観が浸透するまでには時間はかかりそう。

世代が変わって「完全に価値観が変わる頃」。早くて、20年。うまくいかなければ、50年とかになるかもしれませんが、その時の世界はいい世界じゃないでしょうかね。
食料危機や戦争や天変地異。それに新型のウイルスや疫病で、世界の人口も今の3割くらいになっていそうですし、1からやり直すにはいいのではないかと思いますよ。

だから、「人類の歴史を良い方にリセットする」には完全な破綻しかないと最近は思えるようになってきました。ワタシなんかも今の悪い経済を享受して生きてきたのだから、十分に地球に対しては犯罪者。

堂々と死ぬ日を迎えたいと思います。


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posted by noffy at 13:35 | TrackBack(0) | 地球の歴史
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