無意識的に変な記事を書いていたみたいですね。
体調は相変わらずで、
リハビリ的に外を歩いてみたりしていますが、まだあやふやです。
しかし、それはともかくとして、ここのところ、
夢の世界の「確立感」が半端じゃないのです。
確立感だとか、ここのところとかいうのも曖昧ですが、
数ヶ月くらい前から徐々にという感じで、
「一晩限りで夢が完結しない」
ことがどうも多いのです。
たかだか夢なのに、次の日や、あるいはしばらく後に、
登場人物も含めて「話が続く」のです。
それ以上に、最近は昔の知り合いが異常といっていいほど出ます。
私は昔から夢はよく見ましたけれど、現実的ではない夢を見ることが多く、
夢の中に、肉親や友人を含めて、
実際の知り合いが出てくるなんてことは、ほとんどなかったのです。
それが、今は本当によく出る。
生涯で知り合ったすべての人が出てくるような勢いが続いています。
昔の友人、昔の恋人、母親も出るし、
それどころか、亡くなった親戚や祖父母も出てくる。
亡くなった友人も出ます。
昨日なんかは、この数十年間ほとんど思い出したこともないような、
中学時代と高校時代の友人何人かと電車に乗っていました。
昨日の夢の中では、それなりに楽しく会話しているのに、
私は、「じゃあ」と、彼らを残して、
降りるべき駅ではないところで下車するのでした。
もちろん、これまでは、
「昔の知人や現在の知人と道などで会う」という夢もたくさん見ましたけれど、
このように「別れる」という夢もたまに見ます。
こんなに何十人も夢の中に現実の知り合いが出てくることは、
人生で初めてのことです。
ちなみに、私は、
・夢をちゃんと見ている(つまり、夢を夢だと気づかない普通の状態)
という普通の夢とは別に、
・それが夢だと気づいて見ている夢
というものも見ます。
後者のほうは、まるで映画でも観ているように
第三者的にその光景を夢の中で見ています。
目覚めているわけではないです。
その場合は、かなり客観的になっていて、
「これからどうするのだろう」
とか、いろいろと考えながら、その夢を見ていることがわりとあります。
これがレム睡眠とかノンレム睡眠などの状態と
関係あるのかどうかわからないですが、
客観的に夢を見ていることは毎晩のようにあります。
しかし、問題は普通の夢のほうの最近の状況設定なんです。
その夢の世界は、
「その世界は自分が過ごしてきた世界とすごく似ているけれど、でも違う」
というもので統一され始めているのです。
しかも、一晩で完結しないものも多いです。
最近は何度も何度もその人生での夢を見るのです。
その世界は全体的には自分の過ごしてきた人生や世界観と
何もかも似ているのに、細かい部分ではまったく経験したことのない経験をしている。
たとえば、演劇の本番の夢を見ている時も、
自分ならおこなっても不思議ではない公演の内容で、出演者も大体同じなのに、
「そんな公演はしたことがないし、その場所もまったく知らない」。
というように、「実際の人生から少しだけズレた世界」なんです。
でも、その世界は、何かがちょっと違えば、
多分、私が実際に経験していた世界であるとは思われ、
「自分の人生では出現しなかったけれど、別の未来では出現していた可能性が高い」
というような世界なんです。
そこは単なる普通の東京の風景で、
異常なことも何もない。
自分の人生をただ振り返っているように見えるけれど、
ところが「どれひとつ実際に経験したことのないことばかり」なのです。
こんな夢の世界を繰り返し経験していると、
「夢」というものに対しての考え方も、最近は少し違っています。
何かというのは具体的にはわからないですが。
あるいは、起きているほうの世界、つまりこっちの世界が無くなったり、
私自身が存在しなくなった時には、
私のあっちの、つまり夢の世界での存在が始まったりするのですかね。
だとすると、今まで過ごしてきたこちらの人生と、
ほんの少しの輪郭の違いがある程度で、その根本は大して変わらない。
仮にその夢が自分の頭の中にあるものだけだとしても、
少しだけ違う経緯のもうひとつの人生が、そこで進んでいる。
というのは不思議というのか、
あるいは、そんなものなのかもしれないとか、
いろいろと考える次第なのでした。
あーフラフラするの早く良くなんないかな。
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