2014年10月20日

夢の中の父親とか自分たちの夢ではない未来とか

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how stuff works


ここ2年くらいは、昔の、特に演劇時代の友人がよく夢に出てきます。

この二十数年間、続けて付き合っている人など数人だけですが、たまに彼らと会うキッカケも夢を見て……ということが多くなりました。夢に出てきた翌日あたりに「元気かなあ」と電話をすると、むこうもこちらの夢を見ていたことも何度かあります。


まあ、それはともかくとして、つい先日、夢に父親が出てきました。

夢の中の父は病院にいて、あまり元気がなさそうでした。
その場には医師もいて何か言っています。

起きた後、何となく気になり、実家に連絡してみると、父は病院でガンの可能性を告げられていたのでした。

まだ生体検査などをしているわけではなく、内視鏡レベルでの判断ですが、ほぼ 80 歳に近い年齢で、この年齢だと今ではガンになること自体は不思議でも何でもありません。

母親が冷静だったので安心しましたが、父も母も比較的そのあたりの考え方は私とも近く、つまり、「年をとって死んでいくことに抵抗しても仕方ない」というような考えが多少あります。

今の時代、80歳は特別長生きではないですが、それでも、父親は10人きょうだいの中で、もっとも年齢を重ねて生きているうちのひとりです。しかも、今でも船で釣りに出かけているほど、年齢から考えると非常に頑健な人です。

なので意外感はありましたが、いずれにしても、父のガンが仮に確定した場合、治療をするのか、あるいは「しない」のかなどを含めて考えることになりそうです。老人のガンの進行は遅いですから、慌てて考えるようなものでもないですし。

母が「治療しない」という選択を父が持っていることを口にしていましたので、治療しないかもしれません。

そんな中、昨日、冒頭に出てきた昔からの友人のひとりが私の住む町にやってきて、朝まで飲んだのですが、その友人の父親もずいぶんと前にガンと診断されています。

その友人の父親は元大学教授で、ラジオなどの教育講座の番組を持っていたほどのインテリで、医学にも詳しい人だったその人が、ガンと診断された時の即断は、

「治療はいっさいしない」

というものでした。

「無意味な抗がん剤治療など受けてもどうにもならない」ということで、放置しているそう。痛みなどが出た場合だけ対症療法的なことをしてもらうような感じらしいです。

昨日、その友人と話している中で、

「まあしかし、父親世代はともかくとして、オレら自身も十分な年だし、そろそろオレらも1人ずつこの世から消えていくわけだ」

というようなことを話していました。

「誰が最初かな」
「どうだろね」
「田中くんは逝っちゃったしな」
「オレかな」
「いや、オレだわ」


などと話しながらも、とんでもなくハシゴを続けたのでした。

考えれば、病弱だった私は、子どもの頃に医者から5歳だか6歳くらいまでしか生きられないだろうと言われていたわけで、50年ほど生きたうちの四十数年はオマケのような人生だったのかもしれないですし、だからわりと適当に生きていたわりには「生きてきた感」がありますし、野望というようなものを基本的に持たない人なので、特に思い残すようなこともないし……というような人生で。

それと共に、ちょっと前に In Deep に書きました、臨死体験についての記事にあるような、「意識は死後も継続する」ということを今ではわりと真剣に考えていて、あるいは、物質的世界の方自体が、「意識が作り出した架空のもの」かもしれない……というような思いが頭をよぎることもありますが、それを完全に思ってしまうと、逆にこの世はつまらない感じもしますので、

・意識
・肉体を含む物質的世界


に関しては、一応のところは、どちらも独自に存在するということで、お許し願えれば幸いであります(誰に言ってんだよ)。

そんな最近です。


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posted by noffy at 15:50 | ペアである自分