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2014年06月16日

ツバメへの愛とラモーンズへの愛

昨日(6月16日)は、うちの奥さんの父親の命日が近いということもあり、その墓参りに奥さんと子どもと3人で行きました。お墓は東京の高尾という場所にありまして、霊園が集中している場所なのですが、今回は、お墓参りの他に、奥さんにはもうひとつ高尾に予定がありました。

それは高校時代からの友人が関係している個展というか、イベントを高尾でやっているので、そのギャラリーに行くことでした。

奥さん曰く、

「高校時代から続いている唯一の友だちなの」

とのことで、高尾でおこなわれているのはその友だちが「参加」という形で毎年関わっている『ツバメ、今年もみた?みた!みた!-展 2014』というもので、ツバメの子育て情報や、ツバメに関するエピソード等を集めて展示しているというものでした。

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▲ 小川美奈子さんのウェブサイトの infomation より。


うちの奥さんのその友人という方は、上の中の小川美奈子さんという方で、リトグラフを中心とした絵を描く版画家の方なのでした。彼女はここで、ツバメ関係の絵や、ツバメの巣をイメージした作品など、ツバメを思い制作したものを展示していました。

上のものとは別に、今、東京の国立で「小川美奈子版画展 - リトグラフ作品による6月の小さな世界 - 」という個展もやっているそうで、小川さんのウェブサイト「リトルミーナ」に素敵な作品がいくつか載っています。

あとで調べてみましたら、この小川さんは、最近、新聞でツバメのことで取り上げられたことがあることも知りました。


人工巣でツバメ育て 小平市の女性ら共存できる街づくり目指す
東京新聞 2014.05.05

毎年、春になるとやってくるツバメの子育てを支援するため、東京都小平市の版画家小川美奈子さん(43)がツバメの人工巣を作っている。

ふんが落ちると問題となる店舗の入り口などを避け、人間とツバメに都合のいい場所に人工巣を設置し、共存できる街づくりを目指す。小平市で育った小川さんは十年ほど前、「子どものころはツバメの巣がある駅が多かったけど、最近は少なくなった」と感じた。(以下略)




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▲ 小川さんの作っている「コルク製ツバメの巣」。自身で改良を重ねて、ツバメが営巣するまでに至ったとこちらに書いてありました。


というわけで、お墓参りの後、その『ツバメ、今年もみた?みた!みた!- 展 2014』に行きました。

「自分の個展も今やってるから、彼女はいないと思うけれど」と奥さんは言っていましたが、入ってみますと、奥さんの友だちの小川さんはそこにいらっしゃったのでした。

うちの奥さんは今も異常なほど真面目な人ですが、小川さんも高校の時、真面目で、しかもお互いに地味な2人だったそうです。そんなこともあって、とても気も合い、当時の奥さんにとって、友だちと呼べる相手というのは小川さんくらいだったのだとか。

小川さんはとても可愛い感じのする女性で、上の東京新聞に出ている年齢には全然見えないのですけれど、うちの奥さんがふと、

「あ、ラモーンズのTシャツ着てる(笑)」

と言ったことで初めて気づきましたが、小川さんは、ラモーンズという 1970年代から1980年代を中心に活躍したアメリカのバンドのTシャツを着ていたのでした。

下の絵柄をTシャツにしたような感じのものでした。

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すると小川さんは微笑と共に、

「最近になって、ラモーンズの良さがわかってきて」

と奥さんに言っていました。


ラモーンズは、今はバンド自体が存在しないですが、相当メジャーなバンドで、ラモーンズ - Wikipedia から抜粋すると、


ラモーンズ (Ramones) は、アメリカの4人組パンクバンド。1974年結成、14枚のスタジオアルバムを残し1996年解散。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第26位。

1979年に発表した5作目のスタジオアルバム『エンド・オブ・ザ・センチュリー』はバンド史上最大のヒットアルバムとなり、2012年現在も大リーグの試合でこのアルバムの曲が演奏されるなど、アメリカ人に深く浸透している。




などとあり、また、次のような記述、


2001年4月15日にボーカルのジョーイ・ラモーンが他界。世界のメディアは見出しに「パンク・ロックのゴッドファーザー逝く」「パンク・ロックは教祖を失った」と書き、ジョーイの業績を讃えた。



にあるように、ラモーンズは「パンクの始祖」のような扱いを受けることがあります。

誰がパンクの始まりか・・・というのは、実は「そういう概念自体は存在しない」のですが(パンクという言葉自体が欧米のメディアが作りだした造語なので)、それでも、下は 1990年代のドキュメンタリー映画の中の、ラモーンズのボーカル本人の発言で、本人たちも「自分たちがパンクの始祖だ」と思っていた部分があるようです。

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▲ 『ヒストリー・オブ・パンク』より。このシーンが収められた動画は下のほうに貼っておきます。


私自身にとっては、ラモーンズの音楽はあまりにも軽快なロックンロールのせいもあり、どっぷりとアンダーグラウンドに浸っていた私は、こういう聴きやすい音楽はあまり聴かなかったのですが、しかし思えば、「ラモーンズって今どうしてるんだ?」と思い、小川さんに、

「ラモーンズって今どうしてるんですか?」

と尋ねると、

小川さん「ほとんど亡くなっちゃいました」
わたし 「ボーカルの人も?」
小川さん「(自分のTシャツを指さして)この人とこの人と・・・この人も亡くなったんですよ」


と、4人のオリジナルメンバーのうち、3人が何年も前に亡くなっていることを知りました。さきほどの Wikipedia によると、


2001年4月15日 - ジョーイ(ボーカル)がリンパ腺ガンにより49年の生涯を閉じる。ジョーイは南アフリカの黒人隔離政策に反対する運動「サンシティ」に参加していた。



とのことで、上の写真のボーカルの人は、10年以上前に若くして亡くなったようです。


その時、「ああ、そういえば」と、先日の記事、

・「つぼ八」で聴いた神様の声がこの世から消えてから20年
 2014年05月25日

で書きました、ユニクロで買った「ニルヴァーナ」のTシャツをシャツの下に着ていたことを思い出しました。

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私は、「そういえば、僕も今、早く亡くなったこの人のTシャツを」と、小川さんに、そのニルヴァーナのTシャツのロゴを見せました。


そして、私は、

「・・・というか、僕は、ニルヴァーナでパンクというか、ロックが終わったと思っている人なんですよ」

と呟きました。

これは何が言いたいのかというと、初対面の小川さんと私が、

ひとりは「パンクの始まり」(だと言われている)バンドのTシャツ

を着ていて、

ひとりは「ロックの終わり」(だと私が考える)ニルヴァーナのTシャツ

を着ているということと、それがうちの奥さんの唯一の高校の友だちだということに何となく面白い縁を感じたりしていたのでした。

ところで、その肝心の『ツバメ、今年もみた?みた!みた!-展 2014』に関しては、ちょうど前日に、うちの子どもと奥さんが、近所の街を歩いていた時に、小さなビルの建物の中にツバメが飛んで入っていく様子を目撃したのだそうです。

子どもが、「どこに行くんだろう」と、ツバメの後を追っていくと、そのビルの建物の店舗の横の開いた部分に、ツバメの巣があって、そこからツバメの子どもたちが口を開けてピーピーと鳴いているところに遭遇したのでした。

その翌日がこの日だったので、子どもはツバメの写真や報告書をそれなりに興味深く見ていました。そして、子ども自身も「ツバメ目撃情報」を書いていました。


ちなみに、ツバメは、今住んでいるところに越してくるまでは、つまり、東京の杉並区に住んでいた頃は、まったく見たことがありませんでした。

今住んでいるあたりは、全体として鳥そのものが多いですが、ツバメも多く、そろそろ、うちの目の前にある電線に子ツバメたちが飛ぶ練習のために親たちと共にやってくると思います。


そんなわけで、最初のほうのラモーンズについて、ドキュメンタリー映画『ヒストリー・オブ・パンク』より、ラモーンズがメジャーレーベルからデビューした頃の話です。

ラモーンズのデビューのエピソード




ちなみに、意外に思えるかもしれないですが、パンクやニューウェイブはアメリカでは「音楽に対して真剣な態度」で進行していき、イギリスでは「ファッションとして」進行していきました。

どちらがいいとか悪いとかは一概には言えないですが、その後、つまり、1980年前半以降の「あらゆるジャンルの真面目で新しいポピュラー音楽」は、多くがイギリスではなく、アメリカから出現した感じが強いです。
タグ:ラモーンズ


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2014年06月07日

《義足のロンド》 33年ぶりに聴く Shampoo の新譜

今から30年以上前、私が 18歳くらいの頃、日本の女性2人組のデュオで「 Shampoo 」というバンドがあったのですね。

P-Model というバンドの平沢進のプロデュースでレコードデビューして、その後にリリースされた『 Rebel Street 』という日本のオムニバス・アルバムに収録された「ロンド(輪舞曲)」という曲が私は大好きで、今にいたるまで、たまに聴く大好き曲のひとつだったんです。曲は記事の最後にのせておきます。

バンドそのものはとっくになくなっていると思っていたのですね。

先日、ふとしたキッカケで、 Shampoo という音楽ユニットは残っていることを知ったのです。

それは元のメンバーふたりのうちのひとりの折茂昌美(オリモマサミ)さんという方がやってらっしゃるのですが、その彼女が、「現在、義足である」ということも知ったのでした。

All About の記事、

楽器化した義足Leg TwoとShampoo

という記事によると、原因はわからないですが、オリモさんは、 2007年に右大腿部切断ということになってしまったらしく、生きるか死ぬかという時代を送った後に、少しずつ彼女は自分を取り戻していき、上のリンクのページにありますが、

> 自身の義足を楽器化したLeg Twoを装着して演奏

というところにまで行き着いたようです。

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▲ 『 Blizzard Drive 』という Shampoo のアルバム。このジャケットにあるように、自分の義足を楽器化して演奏しているようです。私は未聴でしたので、探しましたら Amazon のこちら にありましたので、注文してみました。

33年ぶりに聴く Shampoo です。


現在はブログや、ツイッターを見る限り、お元気なようです。

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▲ Shampoo のブログより、多分、現在のオリモマサミさん。


ちなみに、下の写真は今から30年以上前に出たレコードジャケットで、右の眼鏡の女性がオリモさんだと思います。

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若くして、脚を失うというのは、本当にたいへんだと思いますけど、表現への欲求が強い人はそういうことさえも自分の進む道を妨げるものにはならないのだなあと、妙に感動しました。

というより、自分の脚を楽器にするという「世界で唯一無二の存在」にまでなることを選んだ

でもまあ、このオリモさんなんかも、一種の「パンク」というフィールドのアーティストで居続けたわけで、私もそうですけれど、「精神的な意味でのパンクス」というのは、「外見的なものを内面的な部分で補強したい」と考えたりすることは事実かもしれません。

下の歌が30年間聴いている Shampoo の「ロンド」という曲です。


Shampoo (Japan) - ロンド / Rondo (1982)




私が若い頃に好きだった人の多くが、いわゆるメジャーではない方が多かったですので、現在、何をしているのかよくわからないような音楽家やアーティストが多いのですけれど、インターネット上に、ふいにその状況が出現して知ることができたりするのでした。

知ることができることががいいことかどうかは別としても。


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posted by noffy at 19:27 | ニシオギ日記

2014年06月03日

神の場所

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最近、手当たり次第に Amazon などで本を買っていて、ほとんど古本なんですが、「一冊一冊理路整然と読んでいく」ということができない私は、手が空いた時に、その時の気分でどれか一冊手に取り、すでに読んだページ以降の適当な場所を開いて、10分くらい読み、また手が空いたら別の本を・・・という、実にいい加減な読書方法なのですが、しかし、それだけに、パッと目にしたフレーズが忘れにくいというものがあります。

今日、パッと開いて目にした部分で、とても「なるほど」と思ったのは、下のフレーズでした。


神とか、真理とかいうものがわれわれの「外」にばかりあるものならば、神とか真理とかに従うということは、われわれ自身が「外」から縛られることになりますので、われわれは決して自由になれないのであります。

神とか、真理とかいうものが自己の「内」に埋蔵されている神性であるからこそ、神に従うということ、真理に従うということが、自己に埋められている神性をのびのびと外に出すことになるのであります。




これは、谷口雅春の『生命の実相』からですが、この、

> 神や真理が私たちの「外」にあるのなら、私たちは決して自由になれない

ということは、以前からそんなようなことを思っていたこともありますが、現実には、さまざまな宗教では、たとえば、その宗教の聖典などを読めば、このことはどこかに必ず書かれてあることだと思うのに、「その宗教を伝えている人がそれを大きく言わない」というところに問題があるような気がしています。

世界中にある多くの宗教の多くの信者たちの中の多くが、

> 神は「外」にいる

というような概念を持っていると思うのですよ。

これでは、宗教を信仰すればするほど、自由になれない。

神(あるいは真理)は、「自分の内部にいる」と考えなければ、どこまでも「外部の神」に精神的に縛られてしまう。

上の文章を書いている谷口雅春も新宗教の代表ではあるわけですけれど、「人間と自由」という問題と、「宗教と自由」ということについて、漠然とそう思ってはいたことですけれど、上の部分は、文字として読んで刮目した部分ではあります。


もっといえば、「人間は神や天使そのもの」ともとらえられるような表現を、18世紀のスウェーデンの科学者であり、神学者であり、神秘主義思想家のエマヌエル・スヴェーデンボリなんかは、1758年の『宇宙間の諸地球』に書いています。

こんな下りでした。


『宇宙間の諸地球』の中の章「主が我々の地球に生まれることを良しとされて、他の地球に生まれることを良しとされなかった理由」より

どのような地球の者であっても、神を人間の形の下に承認し、拝する者はすべて主から承認されて、受け入れられることを知らなくてはならない。

なぜなら、人間の形をとられた神は主であられるからである。

そして、主は人間の形をした天使の形をもって、諸々の地球に住む者たちに現れたもうゆえ、それらの地球から来ている霊と天使たちとは、神は実に人間であられることを、我々の地球の霊や天使たちにより告げられると、その聖言を受け入れ、それを承認し、それがそうであることを喜ぶのである。  

上に述べた理由に、以下のことを附加することができよう。

すなわち、我々の地球の住民や霊たちは、かの最大の人間の中では、自然的な祖となる感覚に関係しており、その感覚は最も外なるものであって、そこに生命の内部が終わっており、またそこにそれをその共通の基底として依存しているのである。  




この中の、

> 神は実に人間であられる


というあたりなどもそうですし、あと、谷口雅春と似たようなことも書いてます。


> その感覚は最も外なるものであって、そこに生命の内部が終わっており、またそこにそれをその共通の基底として依存している


という異常なほど難しい書き方ですが、当時は「神と人が同じ」だなんて書くと、どうなるかわからない時代ですしね。

これは、「私たちの外部は実は、私の内部で終わっていて、そして、これは人間同士の共通の場所でもある」というようなことだと思います。「人間の内部に神がいて、そして、その人間自身は神である」というような意味でも構わないかとも思います。

実際にそれが正しいか正しくないかは別としても、そう思えば、今よりは周囲の人たちへの感謝や尊敬の気持ちが少しはアップするのじゃないかと思えば、悪い考えではないとも思います。


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posted by noffy at 17:52 | 現世人類としての最期に