2014年05月31日

神経症の見えざる世界への苦痛が与えてくれた恩恵は実はムチャクチャ多いのです

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最近、神経症の話が多くて、特に先日の、

森田正馬と老子とブッダと梶井基次郎のコアミックスが神経症治癒に対して示唆してくれるもの
 2014年05月29日

という記事などは、神経症ではない方には、もうまるでなにが何やらわからないものだったと思いまして、何となく無意識で長々と書いてしまいまして、申し訳ないです。

ところで、あの記事を書いた後、下のような芸能記事を見ました。

遠野なぎこさん、19年間苦しみ続けた摂食障害「大切なのは愛情でした」
 産経デジタル IZA 2014.05.29

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私自身は失礼ながら、この女優さんを存じ上げないのですが、タイトルで気になって読んでみますと、

「ああ、森田療法はこういうタイプの人によく効くんだよ」

と思いましたので、あえてふれさせていただきました。

記事の全体の内容としては、過食嘔吐(食べた後、自分で指などで吐き出す行為)が止まらなかったのが、今の旦那さんと出会って、それが止まったというもので、全体としては、ポジティブな記事です。

この記事の中で、下のような部分があります。

多分、編集した記者さん自身も、意味がよくわからずに、彼女が言っていたことをそのまま書いたのだと思いますが、こんな下りです。


泣きながら戸締まりや火の元を確認して、家を出るのに何時間もかけていたら死にたくなりますよ。ドライヤーから火が出るイメージが広がり、電源を抜いても家を出られません。



この中の、

> 泣きながら戸締まりや火の元を確認して

という部分が、「どういう意味か」ということが理解できれば、神経症の強迫性というものがどのようなものか、少しその片鱗が伺えるかもしれません。

この文脈をすっと読むと、

「何か他のこと(たとえば、過食や嘔吐や、家族関係など)でつらくて泣きながら戸締まりや火の元を確認している」


というようにスラスラと読まれてしまう方もいるかもしれないですが、そうではないのです。

戸締まりや火の元の確認を「やめられないから」泣いている


のです。

何度も何度も、場合によっては、10回 20回と確認する。

上の遠野なぎこさんという方は「何時間も」とおっしゃっているので、それ以上かもしれません。

流れとしてはこのような感じが一般的だと思います。


・戸締まりし、外出する。

・ドアを閉めた瞬間、元栓を閉めただろうかと心配になり、戻って確認する

・また、ドアを閉め、家なりマンションを出る。

・本当にカギをかけただろうか? という想いが湧く。一度何かの想いが湧くと、もう、それは行動するまでは収まらない。また家に戻る。

・カギはかかっている。ここで「元栓を閉めただろうか」と思う。

・でも、先ほど2回も確認したのだし、大丈夫だろうとカギをかけて外出する。

・駅まで向かう道で、元栓のことが頭の中でどんどん肥大してくる。

・「でも、大丈夫。2回も確認したのだから」と電車に乗る。

・元栓のことはさらに頭の中で肥大して、過呼吸などの体調の症状が出てきて、次の駅で降りる。

・そして、また自分の駅まで戻り、家に戻り、元栓も確認する。

・再び外出する。歩いていて、ふと「ベランダの鍵はどうだっただろう・・・」と思い出す。




キリがないですが、このループです。
症状のひどい人になると、これだけで1日が終わります。

あるいは上の過程のどこかで、過呼吸やパニックを起こして倒れたりする人も、わりと多いと思います。

このような「傾向を持つ人」は、病的に発症していない人を含めれば、日本に数百万人はいると思います。これは、神経科や心療内科でもらうことのできる薬でもある程度の対症療法としては効果があります。

しかし、「根本的」に改善する方法もキッカケも「いまだにわかっていません」。

改善するキッカケがわからないということは、そのメカニズムもわかっていないということです。

私自身も子どもの頃から、かなりの強迫性を持っていまして、そして、場合により、「特定の症状が出る」ことはあったのです。たとえば、中学3年の時に、ある日、

「学校の椅子と自分の体が接触していることが不快で不快でたまらなくなった」

という時がありました。

授業中はずっと椅子に座っていなければならないのですから、もう、それは地獄のような時間でした。

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でも、その時は神経症なんて病名も知りませんでしたし、「オレのこの変な考え方は何だ?」と思いながらも、やや困ってはいたのですが、高校に入った時には、そんなことは忘れていました。

このように、ある特定の症状については、それは「気づいたら治っていた」ということも多いです。

でもまあ、結局、20歳過ぎにはパニック障害に至るわけで、そのまま何十年も過ぎているわけですから、「自分の根本」は何も変わっていなかったことにも今だから気づきます。


遠野なぎこさんという方は、今の旦那さんと出会ってからそれらが止まったというのなら、それが「治癒」のキッカケだったのだと思います。

しかし、これはよく俗に言われる「愛情云々」ということとは違うと考えます。

愛情以上にその男性と彼女の間に「治癒に関係する見えない何か」が潜んでいたことは十分にわかります。それだけに・・・まあ、知らない方ですけれど、「いい人と知り合って良かったなあ」と思います。

このあたりの「治癒に関係する見えない何か」というのは、今日の In Deep の、

「気温 40度の5月」の光景が気になりつつ、聖書とクインビー博士と森田正馬博士の言葉から考える「この世」と「神の子である人間という概念」
 2014年05月31日

で抜粋した森田正馬博士の学位論文『神経質の本態と療法』の以下の部分でも十分にわかることだと思います。


『神経質の本態と療法』第八章より

われわれの血行も、心の中に起こる感情や観念連想も、みな法性(ほっしょう)であって、常に必ず自然の法則に支配されている。

夢も偶然の思いつきも、忘却も、執着も、みな必ずそれに相応する事情があってはじめて、そのようになるのである。

頭痛、眩暈も、必ず起こるべくして起こる弥陀(みだ)の配剤であれば、煩悶、恐怖も必ずあるべくしてある自然法則の支配によるものである。




つまり、私たちは「見えざる自然法則の支配」のもとに生きているわけで、神経症が突然良くなることには、上にあるように、

> みな必ずそれに相応する事情があって

良くなったのですが、その具体的なものは何かというと、普通はよくわからない。


ただ、神経症は、

良くなるキッカケもわからない

と同時に、

理由がわからず悪化することもある

のも事実です。


ですので、一生、その「影」がつきまとうわけですけれど、私自身の場合としてですが、20歳過ぎに発症した神経症。それに対して、現時点までの結果として、

神経症になって良かったか悪かったか


と聞かれれば、「良い悪い」はさすがに答えようがないとはいえ、「その後に得たものの量はとてつもなく多かった」ということは言えます。

私の今に至る、たとえば今書いているようなブログやサイトなども含めて、この30年間ほどの私の人生は、神経症の発症があったからのものです。

それでなければ理解できない概念も多かった。

聖書も経典もまともに読んだこともないけれど、その「中心テーマ」が何となくわかるのも、前回の記事で書いた、神経症という病気自体が老子の言う、


「宇宙の本元すなわち真理を虚無と名づけ、無名と云う。しかもすでに無名という名目があっては、それはもはや本体ではない」



を人に理解させる病気だからだと思います。

確かにつらい時はすんげーつらかったですけどね。

でも、キュアとかヒール(共に治癒)の道は必ずありますし、今後、クレアでかどうかはわからないですけど、自分が「自分に対しての」一種のヒーラーでいられる分野はこれくらいですので、私に提示できることがあれば、書こうと思っています。


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posted by noffy at 18:37 | 現世人類としての最期に

2014年05月29日

森田正馬と老子とブッダと梶井基次郎のコアミックスが神経症治癒に対して示唆してくれるもの

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「無」と「主観」の比較

ここ数日、森田療法を創設した森田正馬博士が、神経症の治療理論を具体的に記した『神経質の本態と療法』( 1922年)をずっと読んでいて、ちょっとシュタイナーはお休みしています。

この『神経質の本態と療法』に関しては、二十代の時から知っていたのですが、何しろ、大正時代に書かれたものですから、新刊でない時代のものは、文字、漢字、表現が私にはよくわからない部分があったのです。

「私は」が「余は」だったり、「われわれは」は「吾人は」という表現の上に、文字遣いも難しい。

それが現在出版されている新刊では、そのあたりが、ほぼすべて現代の仮名と表現となっていて、実に読みやすいのですが、改めて読んでみて、この『神経質の本態と療法』というものは、神経症の人には、まさに「圧巻といえる存在」だと思わせしめるものがあります。

ただ、神経症やパニック障害といってもいろいろな「気質」があり、この場合、「不安観念」や「強迫観念」が強いタイプの神経症の人に限られる部分がありますが、私などは「まるで自分のために書いてくれているみたいだ」と思わせるほど、釈然とする部分が多いです。

内容的には、学位論文として書かれたものが後に出版されたものですので、あくまで学術論文そのものではあり、神経症以外の人には概念自体がよくわからないものではあるとは思います。

その中に、神経症患者が「自分の意識とどのように対峙するか」ということについて、森田博士は「老子」の次の言葉を引用しています。


「宇宙の本元すなわち真理を虚無と名づけ、無名と云う。しかもすでに無名という名目があっては、それはもはや本体ではない」



この老子の言葉は難しいですが、多分、つまり、真理(宇宙)の存在は「無」だとしても、そこに「無という名目」があっては、それはもう「無」ではないというようなことではないかと。

あるいは別の解釈では、「無という名前」が無についているということは、私たちは「無」を「無という名称」や「無という概念」として「無として存在しているものとして無を認識している」わけで、もはや、それは「無」の本質ではないと。

これを読んで、

「しかし、じゃあ、無はどのように現せばいいのだろう」

と考えますが、概念であろうと、名称であろうと、表現できる状態の「無」というものは存在しない。なので、この世の真理は、およそ表現できるものではないということなのかなと。

ちなみに、森田博士はここで思想や宇宙論を展開しているのではなく、ここでいう「無」というものが、人間の「自分への認識」と似ているものだといっているようです。

つまり、自分が自分に対して第三者のように向きあうことは出来ないということです。

ところで、シュタイナーはまさにこの「自分のことを第三者からのように向きあうこと」を神秘学の訓練の中のひとつとして記していたりして、「科学者・森田正馬 vs 神秘思想家・シュタイナー」という図式も見えたりして興味深いものです。


ちなみに、これを読まれている方の中で、神経症である方がいらっしゃるとして、森田療法に興味を持たれたなら、森田療法に関して平易に、あるいは「優しく」書かれたようなものも数多く出版されていますが、森田療法の「真意」を知りたいのなら、創設者の森田正馬さんのものだけを読むべきだと思います。

そこにあるのは「冷徹な治療原則」だけで、「愛」とか「優しさ」とはある意味で無縁です。「その症状を完治させる」という本来の医者というものの姿勢を貫いているだけです。

そこには「一切の甘えを許さず、自己と向きあう」方法が書かれています。

『神経質の本態と療法』は Amazon にありますし、そのページに森田博士の他の本も関連書籍として表示されると思います。

この本には、読むだけでも治癒になりそうな「迫力」があります。




お釈迦様が悟った瞬間


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ところで、「あきらめ」という言葉は、いろいろな面で、マイナスのイメージの強い言葉かもしれないですが、「あきらめ」というキーワードは、少なくとも自分に対しては有効なものかもしれないなあと思います。

森田博士は「あるがまま」という言葉を使っていますが、それは著作では以下のように書かれます。


無念無想とか、必死とか、さては悟りとかいうものは、自らこれを獲得しようとするときには、それはすでに仮想であるから、まるで鏡に映る映像のように、自己以外に投影した客観的な対象となり、すでに自己そのものではない。

勇気とか自信とかいうものは、獲得しようとしてもできるものではない。それと同じで苦痛とか煩悶とかいうものも、それを離脱しようとしても思う通りにはならない。

それを離脱しようとするには、二つの場合がある。ひとつは苦痛、煩悶、そのあるがままになりきることである。そうなればこれは純主観の状態であるから、まったく客観的な批判を離れ、さきほど述べた自分では自分の顔を見ることのできない状態となる。




お釈迦様が「悟り」に至った際のことにも言及していて、


釈迦が大悟したのも、人生を安楽として安心したのではない。人生の最も悲観である諸行無常、是生滅法ということを覚悟して、はじめてそこに安心立命を獲たのである。



これはものすごい簡単な表現で言い換えさせてもらいますと、お釈迦様は、

「今は生きているけど自分も死ぬんだ」

と理解して、やっと安心した、と。

しかし、この「今は生きているけど自分も死ぬんだ」という気持ちを完全に体得することがどれだけ難しいことかはおわかりかと思います。「自分は死ぬ」ということは誰でも知識としては知っていても悟れない。

しかし、森田博士はそんなことを無理に思うこと自体が間違いだともして、以下のように書きます。


死をおそれるということは、主観的にわれわれの感情における事実である。われわれは外界、内界を問わず、その現象、事実を如実に記載、叙述説明するものを「科学」といい、それを正しく推理、判断することを「論理」といい、それに絶対服従することを「信仰」と名づけるのである。

それゆえ、知識によってただちにこの感情の事実を無視、没却しようとするのは、常識的な誤想である。




なので、「死」をおそれることは普通のことであり、「死をおそれ、死に不安し続ける自分自身を積極的に受け入れる」と。

それにより、おそれも不安も自分と一体化したものとなり、つまり、「自分の顔を自分では見ることができないように」おそれと不安は、客観的に自分を見ている自分からは離れていく・・・という、まあ、どう書いてもわかりやすくならなくて、すみません。

何だか、森田博士の論文を読んでいると、梶井基次郎さんの小説の一部を思い出します。そういや、梶井さんも神経を病んでいまして、多分、梶井さんは森田博士の時代でいう「発作性神経症」(今でいうパニック障害)とか「心悸亢進発作」(今でいう心臓神経症)などもわずらっていたと思います。

たとえば、1924年の『瀬山の話』という短編などは、強迫観念気質、つまり、「ひとつのことが異常に気になる」部分が端的に現されています。この「瀬山」というのは、梶井さん自身のことだと思われます。

これは過去記事の「バーストした視覚の中での新宿にて」の中に抜粋したことがあります。


梶井基次郎『瀬山の話』( 1924年)より

一体、何故アといえば、あの片仮名のアに響くのだろう。私は口が発音するその響きと文字との関係が --- 今までついぞ凝ったことのない関係がへんてこで堪らなくなった。

「一体何故(イ)といったら片仮名のイなんだろう。」

私は疑っているうちに私がどういう風に凝って正当なのかわからなくさえなって来た。

「(ア)、変だな、(ア)。」

それは理解すべからざるもので充たされているように思えた。そして私自身の声帯や唇や舌に自信が持てなくなった。

それにしても私が何とかいっても畜生の言葉のように響くじゃないかしら、つんぼが狂った楽器を叩いているように外の人に通じないのじゃないかしら。

身のまわりに立ちこめて来る魔法の呪いを払いのけるようにして私の発し得た言葉は、「悪魔よ退け!」ではなかった。ほかでもない私の名前だったのだ。

「瀬山!」

私は私の声に変なものを味わった。丁度真夜中、自分の顔を鏡の中で見るときの鬼気が、声自身よりも、声をきくということに感ぜられた。私はそれにおっ被せるように再び、「瀬山!」といってみた。その声はやや高く、フーガのように第一の声を追って行った。その声は行灯の火のように三尺も行かないうちにぼやけてしまった。私は声を出すということはこんな味があったのかとその後味をしみじみ味わった。

「瀬山」
     「瀬山」

   「瀬山」
         「瀬山」

私は種々様々に呼んでみた。
しかし何というへんてこな変曲なんだろう。




こういうのも、ある種の神経症の人から見れば、普通のこととして理解できる面はあると思います。

私にもこのような性質が強くあります。

この執着が強迫になり、そしてそれが理由で「苦痛」が生じた時、その人は病気ということになります。しかし、苦痛がともわなければ、それは「病ではない」ということでもあります。病気か病気でないかの境界線は「苦痛があるかないか」という主観的な部分にあるのが神経症やパニック障害の特徴です。

いずれにしても、私の場合は、臆病で不安ばかりの自分とさらに一体化して、確固とした「臆病な自分」に「気づかなくなる」までの道のりが自分が一生涯進む生き方であり、そして、これまでの生き方でもあったことに気づきます。

そうでなければ、「完全な自由」にはなれないのです。

自分が自分を束縛し、自分が自分を恐怖させている状態が死ぬまで続いてしまうのです。高い次元という以前に、その前提であるオールフリーである自分を獲得することさえできない。

そのことを最近少し忘れていたみたいで、また、そのことを思い出して生きていきたいと思っています。


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posted by noffy at 13:48 | 人類の未来

2014年05月25日

「つぼ八」で聴いた神様の声がこの世から消えてから20年

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先日の In Deep で、

タイのクーデターから知った「ニルヴァーナ」(入滅)の意味
 2014年05月23日

というような記事を書いたのですが、この「ニルヴァーナ」というバンドが大きく世の中に露出してきたのは、1991年以降だと思いますが、その頃、私は人生の中で最も音楽を「聴いていない」時期でした。

演劇活動も一段落ついて、どう表現していいのかよくわからないですが、「何だかもうどうでもいい時期」だったのです。何をする気にもならないし、何にも興味が湧きませんでしたし、体調もずーっと悪いままでした。

年齢としては 30歳前後くらいで、もう十分に大人ではあるんですが、朝から晩までゲーセンやパチンコ屋で過ごしたり、ほとんど無為に毎日を生きていました。

完全に人生に対しての意欲を失っていました。

その頃、一緒に演劇をやっていた人たちは、私を含めて、ほぼ全員が東京の西荻窪という町に住んでいて、仕事場まで西荻窪にありました。よく一緒に飲んでいたのですが、1軒目はチェーン系居酒屋などに入ることも多かったのですけど、その日は西荻窪の「つぼ八」というチェーン店で何人かで飲んでいました。

現在の西荻窪にはその店はもうないですが、その店にはところどころにモニターが吊されていて、そこでヒット曲などが流されていました。

そして、ある曲の「イントロと声」が聞こえた瞬間、私は、「え?」とモニターのほうを見ました。

流れていたのは下の In Bloom という曲のプロモーションビデオでした。

Nirvana - In Bloom (1991年)




しばらくこの曲と「声」を呆然として聴いていました。
そして、曲が終わった後、一緒にいた友人に、

「このバンド売れるよ

と私が言ったら、

「すでに超メジャーですよ。オカさん、ニルヴァーナ知らないんですか?」

と友人に言われました。

私  「この(ボーカルの)声は神様の声そのものだよ」
相手 「そうですかね」
私  「こんな魅力的な声、ロックを聴いて以来最高レベルかも」


そして、その頃から少しずつ、また失いかけていた音楽への興味が戻っていったというような経緯があります。

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▲ 私が今でも着ている Nirvana のTシャツ。どこで買ったのだか。昔はよくタイでTシャツ買ってましたけど、タイじゃなさそう。


上のビデオを初めて見た2年後くらいにこの「神様の声」だと私に思わせたボーカリストのカート・コバーンは自殺してしまいます。

考えてみれば、今から20年前なんですね。

それにしても、上の In Bloom は、ニルヴァーナの代表曲というわけではないのに、再生回数が2600万回を越えているあたりが、今でも根強い信奉者がいることを思わせます。

「神様の声」に対して、「魂の声」だと私が後になってから思ったボーカリストがいたバンドがあって、それは、ジョイ・ディビジョンという 1970年代のイギリスのバンドでした。

この私が「魂の声」だと思った声の持ち主だったイアン・カーティスという人も、1980年に若くして自殺しています。

ジョイ・ディビジョンの曲は、若い頃より、年をとった最近のほうがよく聴いています。下の曲など、魂の声そのものだと今のほうが思います。下のプロモは後に作られたイアン・カーティスの伝記的映画のもので、本人ではありません。

No Love Lost - Joy Division (1978年)




「神様の声」のカート・コバーンは、双極性障害(昔でいう躁鬱病)でした。
死因は自殺。享年27歳。

「魂の声」のイアン・カーティスは、てんかん発作を持ち、うつ病でした。
死因は自殺。享年23歳。

こんな人たちの音楽を聴いて生きて、しかも自らもビョーキ持ちの私が 50歳まで生きてしまっている自分自身に恥ずかしさもおぼえますが、しかし、それもそれでまた仕方がないことでもありそうです。


ところで、最近、近所のユニクロに、ニルヴァーナのTシャツがあることに気づきました。ニルヴァーナのロゴは、下のこれ

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なのですが、このロゴをあしらったTシャツがあったのです。

下はユニクロのサイトからの写真ですが、胸元に正規のニルヴァーナのロゴが印されています。

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「へえ、ユニクロでねえ・・・」


と思いつつ、結局このTシャツを買いまして、最近着ています。

しかし、このTシャツ、胸元にロゴを入れているので、上にシャツを羽織ると、「単なる黄色いラインのあるTシャツ」ということになってしまい、それが悩みといえば悩みです。


まあ・・・Tシャツの悩みはさておき、若い時から私に生きる糧を与えてくれた表現者の中には、上のふたりのように本当に早くに亡くなってしまった人もいますけれど、そうではない人もいて、要するに、別に「死ぬことで人の価値が上がるでも下がるでもない」ということは言えそうで、肉体的な死に関しては「あるがままにまかせる」しかない部分はありそうです。

抵抗しても仕方のない、陳腐な表現でいえば、運命というものに思えます。

何はともあれ、今生で知り得たこれらの素晴らしい価値観は、仮に未来世というものがあるのなら、その価値はさらに成長して続いていくものだと思います。


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