2014年04月29日

六歳の春から何十回目かの春

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▲ 本文とは特に関係ないですけど、今年1月に北海道で撮影されたサンピラー(太陽柱)現象。北海道のどこかまでは記されていません。 雪が降る中の太陽柱は珍しいように思います。YouTube より。



免疫に見放されていた幼少期

何歳の頃にそう言われたのかは知らないですが、私は小さな頃、医者に、

「この子は6歳まで生きられるかどうか」

と言われたそうです。

もちろん、言われたのは親ですが、それを聞いた母も父も、それからは意地になったといってもいいほど、かなり必死に私の面倒を見てくれていたそう。

この6歳というのは特別な根拠というより、「小学生まで」というような曖昧な区分だったのかもしれないですが、何しろ、私の幼少期は、医者がそのようにこぼすほど「病の連続の日々」でした。小児ぜんそくがベースとなり、その中で、数限りない病気を繰り返していたものですので、当時の医学では、医者がそう言うのも無理はない・・・というほど多くの病気を経験しました。


多分、今思うと、感染症に対しての免疫能力が非常に低かったのだと思います。

小児ぜんそくは小学校3年くらいまでには治りましたが、それまでの私の当時の写真を見ると、驚くほどガリガリでした。よく「ミイラくん」とか「ガンジーくん」というあだ名がつかなかったものだと思いますが、同じ小学校にも他に多少、ぜんそくの子どもがいて、全員ガリガリでした。

そういえば、ガンジーといえば、20代の終わりにインド人の多いある国へ旅行に行った時に、宿泊していたホテルの土産物店のインド人の母と娘さん双方から、その店に買い物に行くたびに、

「あなたはガンジーと似てる」

と言われ続けたことがありました。

どこをどうしても似ていないと思うのですが、ただ、その時、ガンジーのような「丸い眼鏡」(サングラス)をかけていたので、そのせいかもしれないとは思います。

Gandhi.jpg



話を戻しますと、ぜんそくは「呼吸することに多くのカロリーを費やす」ということもあり、余計な肉を体につける余裕がないのです。その上、小さな頃、私は食事に興味がなく、ひとりではまったく食べなかった。

親にむりやり水でご飯を流し込まれたこともありました。
それをされなければ、ずーっとご飯を食べないままだったかもしれません。

そんなわけで、非常に痩せていたのですが、小児ぜんそくが治ると、今度は薬の副作用の強烈な反動がきました。

これは、多分、当時の小児ぜんそくの人々が治った時にはほぼすべてが経験していたと思うのですが、それは・・・強烈に太るのです。

それはもう、体重が2倍とかになっていくような太り方で、小学校の中頃からは今度は、「肥満児」ということになってしまいました。

ぜんそくが治った後も感染症に対して弱かったのは同じで、中学、高校と、すぐ熱を出す人でした。

ひどい時には月に1週間くらい熱で学校を休むこともありました。

バンドのライブや、その後の演劇の舞台なども、20代くらいまでは熱を出しながら出ていたことが多かったです。というより、「イベント時に熱のない時のほうが少なかった」という感じもあります。

上に「免疫力が低かったのでは」と書きましたが、風邪などの感染症だけではなく、腫れ物やものもらいなども本当によくできる少年でした。

結局は、年齢と共にそれらは消えていったのですが、普通の人なら誰にでもある免疫力を獲得するために数十年かかったということなのかもしれません。


今から 20年ほど前、30歳になった頃、「最後の大難関」ともいえる「謎の病気」にかかったことがあります。

とにかく体がだるく、風邪のような悪寒が続いて、動くこともままならないほどの状態が半年くらい続いたことがあるのです。

もちろん、各種の病院に行ったわけですが、どんな検査でも体には特に問題はなく、ただ、「異常に白血球が多い」という状態が続いていまして、何らかの炎症と体が戦っていたのかもしれないですが、炎症が何かわからない。

いずれにしても、半年くらい、昼は寝たきりになったような状態でした。

こういうような「あれは何だったのかなあ」という病気は、大人になってからも、何度かありますが、最近は、まあ、おおむね人並みの免疫力ではないかと思います。最近は1年か2年に一度くらい風邪を引く程度です。




似たもの同士

そういえば、最も近しい友人だった人が亡くなったことを書きました、

永遠の「この間」の輪廻の中で - 追悼・のようなもの
 2014年01月10日

という記事の中で、亡くなった友人の田中くんのお葬式に4人で行ったことを書いたのですが、その4人はみんなセルフ23という劇団のようなものを一緒に最も長くやっていた4人で、全員 20年以上の付き合いになりますが、その4人のうち3人が「小児ぜんそく」を経験していたことを知りました。

小児ぜんそくの患者数はそれなりにいるとはいっても、比率としては大変に少ないものではあるわけで、それを知った時には「へえ」と思いました。

やはり、他の二人も小児ぜんそくが治った時には急激に太ったそうです。
ひとりは、柔道を始めて痩せられて、もうひとりも何かスポーツで痩せたそう。

スポーツがまったくダメな私は、身長が伸びるに従って、やや普通の体系に戻っていきました。

本当かどうかは知らないですが、「町蔵(町田康)も小児ぜんそくだったらしいぞ」と、20年くらい前に音楽関係の人から聞いたことがあります。


ちなみに、4人の中でひとりだけ小児ぜんそくではなかったジローさんという人は、「狂犬病のワクチンを打ったことがある」という今の日本ではかなり珍しい経験を持つ人です。

東京の世田谷で生まれて育ったジローさんですが、子どもの頃に犬に噛まれ、病院につれて行かれると、そこで狂犬病のワクチンを打たれたのだそう。

私はその話を聞いた時、

「それはいいなあ。日本で狂犬病が再流行した時に安心じゃない」

と心から羨ましく思いました。
狂犬病のワクチンは今の日本ではお願いしても打ってもらえません。

でも、お隣の中国やロシアなんかは狂犬病だらけのわけで、再流行しないということは言えないですしね。

というより、「狂犬病のない国」のほうがはるかに少ないのです。
下の図は 2008年の資料ですが、緑の国が狂犬病のないとされている国です。

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corgi.asobon より。

アジアで狂犬病がない国は日本と台湾だけ。
全世界で見ても、狂犬病がないのはオーストラリアと周辺国。
そして、北欧の一部とイギリスなどわずかです。

他の国は狂犬病があるんです。

いずれにしても、私は医者に言われた6歳を大きく過ぎてもまだ生きています。
タグ:病気


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posted by noffy at 13:41 | ペアである自分

2014年04月23日

数年ぶり(十数年ぶり?)の多幸感に見舞われた中でのこの世は神話そのものだと気づく

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さきほど道を歩いていた時、ふと「自分が異常に心地良い」状態にいることに気づいた瞬間に、「多幸感」の中にほんの数分間突入しました。

この「多幸感」という言葉、 Wikipedia 的には、


多幸感とは、通常短い間続く、非常に強い幸福感およびそれに伴う興奮。

脳細胞間のシナプス間で幸福感を司る神経伝達物質であるセロトニンが大量に放出されている状態。




というように味気ないですが、この状態が、

・酒だとか
・クスリだとか
・何か幸福感を得るような直接的な原因だとか

がなく、唐突にやってくることが、数年から十数年に一度あります。


タイトルに「数年ぶり(十数年ぶり?)」としたのは、この前のがいつだったか明確な記憶がないからですが、50年も生きていた人生で数回しかないことです。

これは要するに、「意味なく唐突にセロトニンが大量に放出される」という状態に陥るということになるようなのですが、その数十秒とか数分間とかのあいだはまさに天国で、何もかもが心地よく感じる上に、全身が溶けてしまいそうな恍惚感さえ伴います。

しかし、終わるのも早くて数分もすれば、元の状態に戻ります。

「久しぶりだったなあ」

と思いつつ、しかし、改めて街の風景や人々を見ていると、

「これって神話なんだよなあ」

とも思います。

神話の世界はあまりにも美しいものと醜いものと暴力的なものが混沌としていていますが、「どちらかというと、神話の世界は醜い部分が強い」ことは、世界どこの神話を見ていても、そんなようなものの気がします。

日本の神話も国産みの最初は、 ヒルコ - Wikipedia によれば、


ヒルコ(水蛭子、蛭子神、蛭子命)は、日本神話に登場する神。国産みの際、イザナギとイザナミとの間に生まれた最初の神。しかし、子作りの際に女神であるイザナミから声をかけた事が原因で不具の子に生まれたため、葦の舟に入れられオノゴロ島から流されてしまう。

始祖となった男女二柱の神の最初の子が生み損ないになるという神話は世界各地に見られる。




と、「不具の子だから川に流す」という現代で考えても相当非道なことをやっている人たちから神話というか、日本の形成がスタートしている。

そして、それが、


世界各地に見られる。



というのが神話の世界。

つまり、「神様の世界」。

さらにわかるのは、「そういう子に奇跡をもたらすことができない」という無能さ。
現代社会と、そして今の人間と何が違うのか? と思います。

幸い、多くの今の日本人は神話ほど非道ではないですけれど、同じようなことは多く見られるわけで。

非道を脈々と受け継ぐ人たちがいて、そして、そうではない人たちもたくさんいる。

常にこの世は神話である・・・というより、今は特に神話だと思います。

今日の「多幸感」の中を歩く異常な心地よさと、そして、その空間に、多分、必ず同居している苦痛や悲しみ、あるいは非道。

それらがすべてひとつの点だと感じた一瞬でした。


関係ないですが、以前の記事で「インド系アンビエント」を聴いているようなことを書いたのですが、次第に聴いているだけではつまらなくなり、いろいろな曲から部分部分を寄せ集めて、好きな音楽を再構成したりしています。

下のはそういうもののひとつです。

Spice of India vol.1




今日もいろいろなものを見ました。


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posted by noffy at 18:45 | ニシオギ日記

2014年04月18日

病気の時代 2014

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▲ ナンテンの鉢に生えていた「いわゆる雑草」が花をつけて、ナンテンの赤い葉と見事なコラボレーション。少し前の写真ですが、これも春の楽しみのひとつでもあるので、冬の間はいわゆる雑草は一切、排除しません。しかし、花が咲き終わったら雑草を引き抜く非情さも併せ持ちます。



今年2月に、うちの子どもが「インフルエンザB型」にかかったのですね。

そのあたりのときの感想として、2月21日の In Deep の

地球の上空の本当の光景とは? : 国際宇宙ステーションが撮影した写真に写り続ける地球高層圏の不思議な様相


という記事の最初に、雑談として「カオス化する通常インフルエンザの症状」などというセクションを書いたりしたのですが、実はうちの子どもが一昨日くらいから鼻水が出ていて、昨日は36〜37度の微熱がありました。

これらの、

・春まで流行が続くインフルエンザB型はすでにやった
・鼻水と微熱が主体のゆったりとした進行
・4月中旬という季節


を考えると、どう考えても「風邪だろう」と思うわけですけれど、ちょっと思うところがあり、病院に行きました。初めて行く病院だったのですが、医師は喉を見たり胸の音など聞いたあと、

「インフルエンザの検査をやってみましょう」

ということになり、そのまま検査をしましたら、結果は「インフルエンザA型」。

それでも、行ってよかったです。

病院に行ってよかったというより、インフルエンザだとわかったことがよかったのですけれど、それにしても、うちの子は、昨年までは一度もインフルエンザにかかったことがなかったのですけれど、今年はA型もB型もかかってしまうことになってしまいました。

「4月の中旬でもインフルエンザってあるんだ」と思いましたけれど、4月16日の医療介護CBニュースの「インフルエンザ、各地で終息傾向- 群馬で警報解除、東京など首都圏でも減少」という記事では、多くの地点で患者が減っているとしている一方で、


国立感染症研究所がまとめた全国の患者報告数(3月31日―4月6日)では、青森や岩手、山形、福井、沖縄の5県で、依然として警報継続レベルを上回っている。

また、学級閉鎖の報告も続いており、栃木県は今月15日、佐野市内の小学校1校で学級閉鎖、日光市内の小学校1校で学年閉鎖の措置を取ると発表。神戸市も16日から二つの小学校で学級閉鎖を行うという。




ということで、4月の中旬になっても、それなりに流行しているようです。


病気の話題は個人的な関係の周囲にも、社会的な話題でも多いです。
昨年の風疹の流行に続いて、今は「はしか」がとても流行っています。

はしか流行…4月までの患者数、昨年1年間超す
読売新聞 2014.04.15

という記事に寄れば、現在の患者数は昨年同時期の 2.8倍に上るのだとか。

「はしか」なんていうと、大したことなそうにきこえますが、上の記事の続きは、


はしかの感染力は強く、季節性インフルエンザの6倍、昨年大流行した風疹の2倍。39度前後の高熱や全身の発疹に加え、3〜4割の患者は重症化して、肺炎や脳炎などで入院する。有効な治療薬はないが、ワクチンで予防できる。



とあり、結構恐ろしいものです。

このニュースを見た時にも、慌てて、うちの子どもの予防接種歴などを見たりしましたし。

西アフリカで流行しているエボラ出血熱も「新種」のものであることがわかったりしています。

西アフリカのエボラ・ウイルスは「これまで知られていない新しい種のウイルス」であることが判明
 地球の記録 2014年04月18日




病気の正体

クレアの過去記事の・・・見てみると、日付けが2011年11月ですので、ずいぶん以前の記事ですが、

病原菌とブルーノが教えてくれる『病気の実態』
 2011年11月20日

という記事の冒頭は、「熱で寝込みながら」とあり、私はこの時に、熱を出して寝ていたようです。

そこに「病原菌との対話 2011」ということで、


わたし 「私は君に名前をつけるのをよそうと思う」
細菌  「ふむ。では、あなたは私を何と呼ぼうというのか」
わたし 「キンと呼ぶ」
細菌  「愛称はつかないだろうか。『ちゃん』などの」
わたし 「それでは欽ちゃんになってしまう」


のような下らない会話がえんえんと描かれていますが、細菌と思われる者がジョルダーノ・ブルーノの


万物を包んでいる包括者はひとつであり、ひとつの大きな機構がこの広大な地域に撒き拡げられているのです。(中略)

動物のなかにもいわゆる異質部分があって、骨、腸、静脈、動脈、肉、神経、肺、四肢、といったそれぞれの姿をもったもののさまざまな構成に従っています。

また同様に、炎症、丹毒、結石、めまい、発熱など無数の症状、体調は霧、雨、雪、炎熱、稲妻、雷、地震、風、海陸の嵐に対応するのです。




という言葉を引用して、

病気の『症状』は、すべて自然の存在や現象と共鳴している。

という話になっていっていたりします。

しかし、これは「症状」であり、病気の原因、たとえば、インフルエンザならそのウイルスの存在そのものは何と対応しているのだろう・・・と思ったりした今日でした。

どこから来ているのかは想像つくわけですけれど、存在自体の理由が今ひとつ。

この「病原菌やウイルスの存在の意味」は昔から考え続けて、今は「ほんの少しわかる部分がある」という一方で、わからない部分も多いです。


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posted by noffy at 13:22 | 人類の未来