2013年12月29日

苦しみながら笑劇とテレサを聴き比べ

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21歳の頃、神経症からパニックにまで陥った頃は、とにかく毎日結構苦しくて、まだ「心療内科」なんてものがこの世にあるとも知らずに、フランス人ばりに昼からワインをがぶ飲みして生きていました。

「ワインをガブ飲み」なんていうと、スノッブな感じですが、当時(今から 30年くらい前)住んでいた環境では、大容量のお酒で最も安かったのが「ワイン」だったのです。銘柄不明のワインが近所の酒屋で「一升800円」とか、そのあたりの価格で売られていました。甘いのではなく、普通のワインです。

そうなんです。
ワインが一升瓶に入っていた(笑)。


そういうのを飲んで昼も夜も過ごしたりしていました。

それで、最終的には 23歳の時に、「こりゃ自殺寸前だな」と自覚して、心療内科に駆け込んだわけですけれど、それがよかったかどうかは別として、今、私は生きています。


でも、その頃の苦しさというのは、その後も、周期的にやってくるのですね。


しかも、結構長いスパンで、正確じゃなくとも 10年とかの周期でやってきて、今がその時期らしいんですね。自分のことに「らしいんですね」という言い方は変ですけれど、客観視でもしないとやってられない面もありますし。

でまあ、わりと「苦しい」時が頻繁におとずれたりして、そのあたりを人前を含めて、ジェントルに(苦笑)やり過ごすには、やはりお酒を飲むとか、あるいは薬というのもありますけれど、他には、効果の理由は曖昧ではあるけれど、私には効果があることとして、

・お風呂に入る(暖まるのが理由なので洗ったりしない)
・お香を焚く


というのが、少なくとも私には多少の鎮静効果があります。

どちらも家にいないとできないですけれど、それだけに、最近は特に家を出るのが億劫になっています。


お香はアジアのものは昔から嫌いではなく、インドあたりのお香は結構試しましたけど、日本で売られているインド系お香の二大勢力として、

・HEM (ヘム)

というのと、

・Tulasi (トゥラシ)

というメーカーがあります。日本での販売勢力では、 HEM が圧倒している感じがしますが、私は HEM のは香りがキツくて、 Tulasi というメーカーのほうのものを使っています。最近は調子も良くない時にはよく焚いています。


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インドのお香といっても、日本のお香などとあまり変わらないものもあり、ふと気づけば、自分の部屋が「仏壇のある部屋」的な辛気くささに包まれていることに気づいたりします。





ファルスの声

何とか落ち着いてくると、20代はじめの昔のことを思い出します。

とはいっても、人間は「体感」としては昔の苦しさを思い出せなくて、「まるで客観的に見ている自分の過去」ということになってしまいますが、その頃、苦しかった時によく聴いていた曲があります。

パンクですが、あぶらだこというバンドの Farce という曲です。

最近、苦しい時にその曲を聴いてみても全く状態は良くならなかったですけど(苦笑)、それでも思い出の曲でもあり、先日、歌詞を入れてアップしてみました。このバンドは、歌詞がほとんど聴き取れませんので。

あぶらだこ - Farce with Lyrics (1986)




私の好きだった当時のバンドで、レコードに歌詞カードをつけるようなバンドはひとつとしてなかったですが、このあぶらだこもそうでした。あぶらだこの歌詞は、後年になって少しずつ解明されてきたものです。


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このタイトルの「 Farce 」はネットで、意味をみますと、

・演劇・映画の用語。英語ではファース。→笑劇
・詰め物料理→ファルス (料理)


となっていまして、料理でないとすると「笑劇」というほうの意味なのでしょう。



そして、話は飛びますが、ちょうど1年ほど前、やはりあまり調子が良くない時だったんですが、地元で入ったお店が、ほどよく荒んでいて(笑)、そこでビールなどをひとり飲んでいると、小さな音量で音楽がかかっていることに気づきました。

きれいな声の入る美しい曲でした。

その店のやや廃れた状況と、その音楽とのマッチングが妙に良くて、そのお店の、多分、私と同年代くらいと思われる女性店主に、

「この曲は何ですか?」

と尋ねると、

「テレサ・テンです」

と言われました。

「曲名はわかりますか?」

と聞くと、

店主 「×××××××」
わたし「WTF ? 」



店主の女性は台湾の方だったようで、中国語で答えてくれたのでした。
今住んでいる場所は、台湾人の方の飲食店などが多いのです。

聞き直すと、「ユンシェンキン・イェシェン」という曲だとのことでした。

家に帰り、その店主の「ユンシェンキン・イェシェン」を手がかりに、翌日、その曲を探してみたのです。そうしましたら、下の「雲深情也深」という曲でした。


ケ麗君(テレサ・テン) ~ 我雲深情也深(1977年)




それで、翌日、 Amazon で テレサ・テンの中国語の歌のベストアルバムを購入てみると、上の曲も入っていました。


「雲深情也深」の日本語での意味は、「雲は深く、愛も深い」という拍子抜けするほど単純なものですが、大衆歌謡の良さは歌詞のストレート性もあるのだと思います。

「億の神が地下水で眠っている」というような言い回しでしか自分の苦悩を表せない人たち(私もその範疇です)よりは、ストレートに言えるのなら、そのほうがいいですものね。

ちなみに、テレサ・テンを特に好きではない私のような人たちが、最大にテレサ・テンの魅力を引き出すには、「耳を立てないと聞こえないほど小さな音量で聞いてみる」というのがあります。

外を歩いていると、どこからかわからないけど、いい歌が聞こえている・・・という感じを作り出すのですね。


そんなこんなで、今日も朝になってしまいました。


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posted by noffy at 07:48 | ペアである自分

2013年12月24日

パンドラと不思議惑星キン・ザ・ザの関係

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▲ 2年ほど前におこなった公演。役名は、創造神にあやかったヌーワと、そして「パンドラ」でした。過去記事「宇宙は毎日、彼女の中で無数に作られ続ける」より。
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先日の In Deep の

光で語り合う自分の細胞と他人の細胞。そして、人間は生きているだけで永遠を体現していることをはじめて知った日
 In Deep 2013年12月23日

という記事で書きました『処女懐胎の秘密』という書籍。記事では Amazon に古本でありますと書いたのですけれど、売り切れになっていました。

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せっかくいい本なのに、どこかにないのかなあと思い、発行元の株式会社パンドラの書籍コーナーを見ましたら、紹介されてはいるのですが、販売はしていないようで、出版した現代書館では、販売コーナーはあったのですが、「品切れ」となっていました。

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どうも、現在は新刊としてまったく流通はしていないということになりそうです。

いい本なのに残念だなあと思いますが、まあしかし、 Amazon で「処女懐胎の秘密」というキーワードで検索しますと、そこに並んで「トンデモ本」などが出てきますので、今の世の中では基本的には「人間の単為生殖」という概念は、トンデモや、あるいは、キワモノ扱いされてしまうということになってしまうということなのですかね。

そちらのほうも何となく残念な感じもしないでもないです。

ところで、この発行元の株式会社パンドラ。

まあ・・・いろいろな意味で「パンドラ」とは縁の深い私ですので、この会社名を知った時にも苦笑しましたけれど、この会社は、書籍の発行だけではなく、映画の上映などもしているようで、そのトップページの「お知らせ」の下の文章を読んで、「え!」と思い、そして、その日付けが過ぎていたことに愕然としたのでありました。


12月21日(土)新文芸坐のオールナイトで「不思議惑星キン・ザ・ザ」『UFO少年アブドラジャン」が上映されます!



と記されていまして、そのリンクの東京池袋の新文芸坐のサイトを観ると、下の予定表が!

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私は、

「キンザザを映画館で観られるチャンスだったんだ! 12月21日って、ほんのちょっと前じゃないか!」

と、それなりに悔しがったのでありました。

意外と思われるかもしれないですが、旧ソ連の映画というのは「自由な発想と、自由な表現の最高峰」の作品群を作り出していました。タルコフスキーの映画などもそうですが、アメリカ映画など、その足下にも及ばないほど素晴らしい作品が多く作り出されていたものでした。

特に、上にある『不思議惑星キン・ザ・ザ』なんてのは後にも先にも「こんな面白くて、ふざけていて、そして規模の大きな超大作映画」はないわけで、今後も作られる可能性はないと思います。


二十代の時にビデオで見て以来、「映画館で観たいなあ」と思ってはいたのですが、ついにその機会がないまま、ここまできてしまいました。

ストーリーは、 不思議惑星キン・ザ・ザ - Wikipedia からそのまま抜粋しますと、


2人の男が異星人を名乗る裸足の男の持つテレポート装置によってキン・ザ・ザ星雲の砂漠の惑星プリュクに飛ばされてしまう。星の住民は地球人と同じ姿をしており、見かけによらぬハイテク技術と、地球人類を風刺したかの様な野蛮な文化を持っていた。彼らはテレパシーが使え、通常の話し言葉は「クー」と「キュー」のみで、後者は罵倒語、前者がそれ以外を表す。

社会はチャトル人とパッツ人という2つの人種に分かれており、支配者であるチャトル人に対して被支配者であるパッツ人は儀礼に従わなければならない。2つの違いは肉眼では判別できず、識別器を使って区別する。


というところから始まる壮大な叙事詩です。

下はロシア人がその惑星の人間と出会う感動的な(笑)シーンです。





当時のソ連は、映画の予算はソ連という国家が出していたので、「予算は無尽蔵」。

検閲は厳しかったようですが、直接的にソ連への体制批判さえしなければ何を作ってもOKでした。そして、実際には多くの映画が、複雑な映画にしながらも結局は体制批判になっていたことも事実です。


皮肉な話ですが、ソ連が崩壊してから、ロシアには自由な映画も自由な音楽も存在しなくなってしまいました。ソ連時代には、音楽に関しても、パンクもテクノも最先端の音楽が存在していました。


ずいぶん昔ですが、東京の雑貨屋の店内で、この不思議惑星キン・ザ・ザのテーマ曲がずっと流れていたことに気づいたことがあります。「結構好きな人が多いんだなあ」と思いました。下のがテーマで、オープニングを含め、劇中で延々と流れます。




このキンザザは、現在は日本語字幕のついた DVD やビデオなどにはプレミアがついていて、まあ買えない値段というほどではないにしても、高いです。

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Amazon での中古価格。


さらに、このキンザザの映画音楽を作曲したグルジア出身のギア・カンチェリという音楽家の映画音楽集 CD は、たかが CD なのに下のようなプレミア状態。聴きたいですけれど、さすがに、 CD 1枚に1万円を出すという気にはなれません。

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Amazon での中古価格。


最近は、「ほしいものほど手に入らない」という状況が以前より多くなっていて、それはつまり、自分の好きなものが再発売されにくい世の中になっているということでもありそうで・・・。それにしても、こんなことを思い起こさせてくれたのも、「パンドラの縁」なのかも。


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posted by noffy at 11:33 | 現世人類としての最期に

2013年12月02日

毎日がはるかに夢のようだ 未来は絶望的だ

この間の記事で、山崎春美らの著作のレビューを書いていた方の文章の中に、


> 空虚なロジックと無意味なレトリックの垂れ流しだが、独特の美意識に貫かれた流麗な文体が読む者の心を捉えて離さない。


という部分がありますが、今ひとつわからない面もあると思ったのですね。「空虚なロジックと無意味なレトリック」とはどんなものかということが。

たとえば、具体的には、山崎春美の書く歌詞などにもそれは端的にあらわれていると思います。

下の歌詞は、1984年頃に、関西の自主制作レーベルから出たオムニバスアルバムに収録されている「歌に身を切られる」という歌の歌詞です。

「空虚なロジックと無意味なレトリック」ということの具体的な部分がほんの少しおわかりになるのではないかなあと。



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どうでもいいですけど、私はこの曲が好きで、学生の頃よく聞いていたものです。

貼っておきます。
映像はまったく関係ないものです。

山崎春美 - 歌に身を切られる(1984年)




この歌詞の、


毎日がはるかに夢のようだ
未来は絶望的だ



という否定でも肯定でもない気分というのは、若い時の私の気分とリンクします。

毎日毎日がまるで夢のようなのに、未来は絶望的だと確信している。

トシをとった今は、その「毎日が夢のようだ」という部分がなくなってしまい、後半の部分だけになってしまいました。


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posted by noffy at 18:51 | 現世人類としての最期に